峯田信明1

 今日も一日が終わる。


 朝起きて、適当に朝食を済ませ、会社に行き、工場で電子基板にチップを打つ機械を動かし、昼になったら社食で大して美味くもない昼食を食べ、午後からもまた機械を動かす。


 経費削減を掲げているためか、老朽化が激しく、ちょっとしたことですぐ止まってしまう機械をチマチマ直しながら、まるで機械自体を騙しながら動かしているようなことを繰り返しながらラインを動かす。


「ちょっと、峯田みねたさん。ボンドもチップもズレすぎ! ちゃんと調整してるの?」


 品管の主任である小埜田おのだ 満智子まちこがクレームを言ってくるのは毎度のことだ。


 どう調整したって最初の数枚はミスが出る。


 その数枚はきちんと別にしているのに関わらず、小埜田満智子はそれも持って行ってはこうやってクレームをつけてくるのだ。


 小埜田満智子は社長の愛人で、四十を過ぎでいつもミニスカートを穿き、高いヒールの靴に分厚い化粧をしている。


 化粧品の匂いなのか香水なのか、通った跡がしっかり分かるほど残り香が漂い、具合が悪い日には近くにいるとそれだけで体調が悪化しそうになる。


 社長の愛人という肩書きはこの小さな工場では王者の称号に近しいものがあり、誰もあの女には逆らえない。


 それをいいことに、こんなふうに誰彼構わずイチャモンをつけてはネチネチと嫌味を言っている。


 みんな、そんな理不尽に耐えながらも、自分の生活のために歯を食いしばっている。


「すみません、気をつけます」


「毎回それを言うのに一向に直らないじゃない! 自分が給料泥棒っていう自覚あるのかしら?」


 それを言うならお前の方が給料泥棒だろう!


 そう言いたいのを我慢する。


 主任なんて役職がついているが、小埜田満智子の仕事といえばただ工場内をウロついてはこんなふうに誰かにグチグチガミガミ言うことだけ。


 仕事らしい仕事もせず、人に嫌味を言うだけで給料がもらえるなんていいご身分だ。


「俺もあんたになりたいよ……」


 俺のぼやきなんて小埜田満智子の耳には届かない。


 肉体的疲労よりも精神的な疲労の方が大きく、仕事が終わり帰宅する途中で、毎回公園に立ち寄るのが日課になっていた。


 俺はバツイチで、別れた妻の方に娘が一人いる。


 結婚した当初は大手の営業職に就いていたのだが、過労で体を壊し、無理が利かなくなり、それでも何とか頑張って今の工場の職に就いたのだが、年収は半減以下。


「貧乏は嫌なの!」


 工場で働き始めて二年が過ぎた時、妻はそう言って、子供を連れて実家に帰ってしまった。


 実家が資産家で、元々裕福な暮らしをしていたためか、金がない生活に耐えきれなかった妻。


 一方的に離婚届が届き、話し合いもできず、親権もあちらに取られ、慰謝料も養育費もいらないから二度と私達の前に現れるなと言われた。


 こんな理不尽なことがあってたまるかと思ったのだが、あちらには優秀な弁護士が付いており、そんなもんを雇うお金もなかった俺にはどうすることもできなかった。


 公園で遊ぶ子供達を見ていると、娘の元気な姿を思い出し、胸が切なくなる。


 だけどそれ以上に愛しい気持ちが溢れてきて、まるでそこに娘がいるかのような錯覚さえ覚える。


「ちょっとお話いいですか?」


 やけにヘリが飛ぶ日だった。


 いつものように公園に着くなり、知らない若い男に声をかけられた。


「な、何ですか?」


「あー、私、こういう者です」


 渡された名刺には新聞社の名前と、この男の名前が書いてあった。


「新聞社の人が俺に何の用ですか?」


 新聞契約の勧誘なのだろうか?


「中崎西高校で事件があったのはご存知ですか?」


「中崎西高校で? 知らないですね」


「結構騒ぎになっているはずなんですけど、ご存知ない?」


「仕事が終わると家に帰って寝るだけなんで。テレビとかも見ませんし、新聞も取ってませんし」


 スマホは持っているが、ただ持っているだけ。


 工場から機械が止まってしまった際に連絡がくる、ただそれだけのためのツールであり、ゲームをすることもなければ、今流行りの動画サイトを見ることもない。


 前の会社を辞めて以来友達もいないため誰かと頻繁に連絡を取り合うこともここ数年は一切していなかった。


「そうなんですね」


 嫌な視線を投げつけてくる男だ。


 値踏みするかのように人を上から下までジロジロと見ている。


「失礼ですがお名前を伺っても?」


「……峯田です」


「ミネタさんですか……字はどう書きます?」


「そこまで言わなきゃダメですか? 初対面ですよね?」


「あぁ、そうですね、不審に思いますよね」


 一応名乗っただけありがたいと思ってもらいたいもんだ。


「中崎西高で殺人事件が起きたんですよ」


「は? 殺人? こんな田舎で?」


「えぇ。殺されたのは高校二年生の女の子でしてね。この近くのコンビニでアルバイトをしていた子なんです」


 公園から五分ほど歩いたところにコンビニが一軒あるのは知っているが、コンビニ弁当は高くつくため滅多に利用することはない。


「そうなんですね……可哀想に」


「可哀想だと思いますか?」


「そりゃ思いますよ……俺にも子供がいますし……まだ小学生ですけど」


 娘は今小学五年生だ。


 離婚した時はまだ小学二年生だったため、もう随分大きくなったことだろう。


 顔付きは俺に似ていて、どんなふうに成長しているのかが非常に気になっている。


「ミネタさんはどうしてこの公園に?」


「仕事終わりに公園の前を通るので」


「ほぉ、前を通る……で、この公園に立ち寄って何をなさっているんですか?」


「……俺、何かしましたか? 疑われてるとか?」


「いえいえ、そういうのではないですよ。事件があったから取材を兼ねて色んな人に話を聞いているんです」


「そうですか……精神的に疲れているんで、子供達の元気な姿を見て、自分も元気をもらっているだけです」


「あれ? お子さんがいらっしゃるのでは? ご自分のお子さんに癒されればいいんじゃないですか?」


 嫌な言い方をしてくる男だ。


 俺に何を言わせたいのだろうか?


「……離婚して、妻の方に引き取られたので、会えないんです……こんなことも話さなきゃいけないんですか?」


 その後もあれこれ聞かれ、俺が話した内容を手帳に書き留めていた秋山という男は、十五分ほど立ち話をすると立ち去っていった。


 殺人事件が起きたのなら、危険性を考えて子供達がこの公園で遊ぶことはしばらくないだろう。


 唯一の楽しみを奪われた気分だった。




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