第4話 ランニングウェア姿のクォーター少女
そこから話は驚くほどスムーズに進み、担当者さんが持ってきた契約書に記入し、最後に印鑑を押す際、白河さんの笑顔で無言の圧に負け、僕は判を押した。
本当にこれでよかったのだろうか……?
◇
翌日。
白河さんは以前住んでいた部屋はすでに解約済みで、昨日まで梅原さんのところにいたらしく、一度、荷物をまとめてから来ることになり、白河さんは梅原さんと一緒に帰ってしまった。
僕はこの広すぎる部屋で独り寂しく一夜を過ごしたわけで。
もちろん落ち着かなくて全然寝れなかったよ、はい……。
「はぁ……」
時計を見ると、十時過ぎ。
白河さんが来ると言っていた時間にはまだ早い。
待っている間に、昨日、白河さんが帰宅するまでの間に少し話した会話の内容を思い出していた。
改めて、白河さんの本名は、白河沙和子。
明らかにハーフ顔の白河さんなのだが、ハーフではなく、母方の祖父がロシア人のクォーターである。
そして、驚きだったのが、白河さんは僕よりも一つ年上だったことだ。
見た目からして、年下か、いっても同い年だと思っていたから、それを聞いた時は、驚きを隠せ切れなかったのか、顔に出ていたらしく、白河さんに笑われてしまった。
そもそも、白河さんがこの部屋に住みたがっていた理由を聞くと、「この街で一番高いところだったら、見えるかな~って思ってね」という謎の答えが返ってきた。
詳しく聞こうとしたが、気恥ずかしそうに笑うだけで、その先ははぐらかされてしまった。
白河さんは、いったい何が見たかったのだろうか?
ピンポーン。
三人掛けのソファに座って、ぼんやりと昨日のことを思い出していたら、来客を知らせるインターホンの音がリビングに響いた。
「あれ? 白河さんかな? でもまだ早い気が」
僕は立ち上がり、リビングに設置されているモニター付きインターホンの応答と書いてあるボタンを押した。
「は、はい」
『あっ。おはようございます! 引っ越しのムカイです!』
「はい?」
引っ越し業者……?
僕の荷物はすべてリュックとキャリーバッグに詰めて持ってきている。
ということは――
『えっと。こちら、梅原様のお宅でお間違いないでしょうか?』
「えっ? あ、はい。そうです」
一瞬、違いますと言いかけた。
だが、白河さんの荷物は梅原さんの家から来るはずだから、梅原さんの新居と思われても仕方がないかと思い返事をした。
けど、引っ越しの契約者の名前までわざわざ梅原さんにする必要があっただろうか?
数分後。引っ越し業者のスタッフさんたちが部屋に到着し、手早く部屋の角などに養生を張っていく。
「じゃあ、運び入れて行きますね!」
リーダーっぽい元気のいい男性スタッフさんがそう言って、契約者不在の搬入作業が開始された。
◇
搬入作業が始まって二時間弱が経っただろうか。
引っ越し業者のスタッフさんたちが、未だひっきりなしに出入りを繰り返している。
台車に大量のダンボールを乗せ、それをリビングにきれいに並べて積んでいく。
どうやら出発前にそういう指示をされていたらしい。
僕はその光景をソファに座り眺めていた。
そしてまた、次々へと運び込まれるダンボールたち。
……って! どんだけダンボールあるのっ!?
リビングが一番広いとはいえ、部屋の四分の一がダンボールに埋め尽くされちゃったんですけど!?
「ふぅ~。これで最後です!」
「え? ああ、そうですか……」
ダンボールのみで引っ越し作業が完了した。
ちらほら三脚やスタンドみたいなものあるものの、家具類は一切なし。
「こちらに完了のサインいただけますか?」
「あ、はい」
差し出された書類に僕は『梅原』とサインした。
「ありがとうございましたっ!」
リーダーっぽい男性スタッフがそうあいさつをしたときには、ほかのスタッフによって撤収作業が完了していた。
「は、はやっ……」
◇
ピンポーン。
引っ越し業者が撤収した直後、再び来客を知らせるベルが鳴る。
今度こそ、白河さんだろう。
「はい」
モニターに映し出されたのは、カメラに向かって笑顔で手を振る白河さん。
『開けて~』
「え? ああ、はいはい」
どうやら白河さんは玄関の前まで来ているらしい。
あれ? カギ持ってるよな? 自分で開けて入ってくればいいのでは?
そう考えながらも、玄関に向かい、玄関のロックを開錠。
ドアを開けると、黒色のパーカーをラフな感じに羽織り、下はラインスキニーパンツ、そしてベースボールキャップを被った白河さんが立っていた。
梅原さんの家から走ってきたんじゃないよな?
「ごめんね~、待ったよね~」
そう言いながら白河さんはドアを開ける僕の横を通り過ぎて行く。
その瞬間。温かみがあり、どこか甘さもあるような香りがした。
白河さんの匂い……?
「い、いえっ、大丈夫ですよ。ただ、引っ越し業者が来るなら前もって言っておいてくださいよ」
いい匂いに気を取られ過ぎて、とっさに出た声は裏返ってしまった。
これじゃまるで変態みたいじゃないか、僕……。
「あははは、忘れちゃってたよ。ごめんね?」
そう言って白河さんは照れ臭そうに舌をペロッと出した。
その表情に僕は素直にドキッとしてしまった。
「べ、別に僕は怒ってませんから。ただ……」
リビングに入り、僕の視線の先を白河さんも目で追った。
「おお。すごいね~」
リビングの四分の一を占領したダンボールの山を見て、白河さんは感嘆の声を上げた。
「ほんと、すごいですよね……」
女の人ってこんなにも荷物が多いものなのかと思ってしまうほどある。
僕の荷物なんてダンボールに詰めたら十箱もない。
そもそもこんな量の段ボールをどこにしまうつもりだろうか?
「あ。そういえばまだ部屋割り決めてなかったよね」
「そういえばそうですね。白河さんはどの部屋がいいとかありますか?」
この部屋には、お風呂と洗面所、それとトイレ以外の部屋はすべてリビングを中心に直結している。
部屋は合計三つあり、二つは六畳で、もう一つは十畳くらいある。
「えっとね、実は麻宮君にお願いがあって」
「え? ええ、なんですか?」
「私に部屋を二つくれないかな?」
「二つもですか?」
「うん。詳しくは言えないんだけど、一つは寝室で、もう一つは仕事部屋として使いたくて」
「ああ、なるほど」
最近テレビで聞いたことある。
テレワーク、だっけ?
そもそも、家賃を払うのは白河さんなのだから、僕があれこれ決める権限はない。
「ダメ、かな?」
「いえ、良いと思いますよ。僕はここに住まわせてもらう立場なので、白河さんがしたいようにしてもらって構いませんから」
「麻宮君」
「は、はい……?」
白河さんがまたグイっと顔を近づけてきた。
「同じ屋の下で共に生活する仲なんだから、遠慮なんていらないからねっ?」
しかめっ面をしているようだが、全然怖くなくて、むしろ可愛いまである白河さんの表情にまたまたドキッとしつつも、僕は必死に冷静を装う。
「は、はい。わかりました」
「うんっ! それじゃあ、こっちとこっちは私の部屋ってことで」
白河さんは一番広い部屋とその反対側の部屋を指差してそう言った。
「わかりました。じゃあ、僕はこっちの部屋を使わせてもらいますね」
「オッケー。それじゃあ、さっそく――」
白河さんは積み上げられたダンボールの山の前で両手を腰に置き、仁王立ちする。
「荷ほどき、手伝ってくれない?」
「え?」
「私と麻宮君との初めての共同作業ってことで」
そう言った白河さんは、舌を少し出して見せ、ウィンクまでしてきた。
「い、一応聞きますけど、この量の段ボールを荷造りするのに、どれくらいかかりました?」
「んー? 引っ越し業者さんにも手伝ってもらって一日くらいだったかな?」
「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ始めますか」
「うんっ! ありがと、麻宮君っ!」
白河さんの屈託のない笑顔と言う報酬を前借した僕は、白河さんの荷ほどきを手伝うのだった。
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