夏休みと影踏み

夏休みも和来高校は開放していた。青い空の下で、太陽は地面をじりじりと焼いていた。蒸し暑い中で運動部が活躍する裏で、怪奇調査同好会は熱の溜まり場である旧校舎で終業式後の夜のことについて話し合うことになっていた。

前回に続き寝不足な陽菜乃は何度目かのあくびをした。


「ひとまず兄の遺書が確認できて、やるべきことが決まった。レッドムーンの謎とこの紙に書かれていた牢獄の意味を解き明かすことだ。そして、兄に変えてくれと願いを託された。最終的な目標はこれになるだろう」

「なんか深く知ったら消されそうだな」

「闇がある前提なの怖すぎでしょ」


間芝と帆夏の物怖じする様子に、少しだけ幸先が不安になった。藤森は黙って越谷の続く言葉を待っていた。夏休み期間も少しだけ活動したいという思いに快く賛成して後の反応を見ると二年の三人も思ったより軽く受け入れていた。内心無理していないか心配になったが彼らの言葉を信じることにした。

かくいう陽菜乃も先日に怪奇と接触した夢を見たことで、少しの刺激で心がざわつくようになっていた。それでもきっと知るべきだし、知りたいと思う。越谷が一人で負ってきた苦しみを分け合えるのなら、何か手助けをしたかった。

長期休みに入るため、個別に予定があることを考慮して同好会全体で連絡先を交換した。長居すると熱中症になってしまうため、早めに話を切り上げてコンビニへ涼みに出かけた。暑さのストレスはコンビニに入るとすーっとなくなっていく。体がリラックスしたことで再度あくびをしていると誰かが背中を押した。振り向くと藤森が菓子パンを持って後ろに立っていた。帆夏は後方の飲み物を見ていたからどう考えても犯人は後ろの藤森だった。


「天久さんて家この辺なんだよね」

「はい。そうですけど」

「もし良かったらこの近くの映画一緒に行かない?今日でも明日でも」


唐突な誘いに陽菜乃は数回瞬きをした。なぜ誘われたのかよく分からずフリーズしていると、炭酸ジュースを藤森の首に押し付けながら帆夏が割って入ってきた。


「私の陽菜乃ちゃんを勝手に誘わないでもらえます?困ってるじゃない」

「いや、私は帆夏さんのじゃないです」

「あ、ごめん。別に変な意味ではなくて、近所に映画館がないから学校方面まで出てこなきゃいけなくて、土地勘がないから誘ったんだけど」

「じゃあ私も行く」

「なんで帆夏さんも来るんですか」

「だって~心配なんだもん!」

「なにがですか。子ども扱いしてます?」


何か勘違いされているような気もしなくもないけれど、藤森も特に異論はないようだったのでそのまま了承した。レジでシュークリームを買ってコーヒー台の近くで帆夏のレジが終わるのを待った。アイスコーヒーを飲み始めていた越谷にブラックかと聞くと平然と肯定が返ってきた。コーヒーのブラックは飲めなくはないけれど、基本ミルクを入れている陽菜乃からしたら越谷が大人に見えた。


「ブラック苦くないんですか」

「あー、コンビニのだからそこまで感じないがな。モノによっては苦い」


恐る恐る尋ねると越谷は平気そうに答えた。陽菜乃が飲んだコーヒーはとあるカフェで父の飲んでいたブラックコーヒーの飲みかけだったため、コンビニのものと味は変わるのかもしれなかった。

帆夏のレジが済んで、五人揃ってコンビニから出る。残念ながら日陰はなく、少し来た道を戻って学校の隣の公園へ寄った。水筒の水を飲んでも飲んでも喉が渇いているような気がしてため息をつきたくなった。越谷が不自然に公園の辺りを見渡す様子に藤森が口を開いた。不穏な発言に先に帆夏が反応した。


「どうしたんですか急に。何かいるんですか」

「えっやだやめてよ」

「いや、逆だ。学校の隣なのに全く怪奇や霊の気を感じない」

「そう言われてみれば確かにそうですね」


首を傾げながら辺りを見回す。公園のベンチの背後や下に霊が存在することが多いが、ここには影ひとつ見られなかった。奥にある滑り台が太陽の光を受けて眩しく光っているのを見て、やけに白い公園だと思った。

最後の一口のシュークリームを口に入れようとしたとき、強い風が吹いた。陽菜乃は風の音が止んだ後の一瞬だけ世界が止まるような感覚が好きだった。余韻を感じるつもりだったのだが、間芝のふざけた発言に情緒を持っていかれた。


「いやあっついな!一瞬の風じゃ足りねえよ!」

「夏ってそういうものじゃない?」


一拍遅れて、淡々とした藤森の突っ込みに、口に入れかけていたシュークリームを吹き出してしまった。大事な最後の一口が口から消えてしまい、ベンチのすぐ下に落としてしまった事に気づく。地面に落ちてしまったシュークリームの残滓を物憂げに眺めた。まだちょっとクリームが残っていたのに勿体ない。ティッシュを出すまでに時間を要してしまって、再度地面に目を落とすとグレーの毛並みをした猫がシュークリームに近づいていた。陽菜乃は条件反射で右側に座る帆夏にくっついた。


「ひぃっ⁉」

「わっびっくりしたぁ。猫ちゃんだ!シュークリーム食べちゃダメだよ~」


猫が足元にいることで帆夏の隣から一ミリも動けないでいると、その猫は食べかけのシュークリームを食べてしまった。その様子を見ていた藤森は慌てて吐かせようとしたが、猫は不機嫌そうに体を震わせて彼の手から逃れた。帆夏の肩から手を離せないまま警戒してその猫を観察する。見る限り野良猫のようだった。耳の付け根辺りが黒くなっていて、首元は白っぽい毛が首輪のように見えた。瞳はライトグリーンでキラキラと光っているようだった。早くどっかへ行ってくれと睨みつけるが、猫はその場で座り込んでしまった。


「帆夏さんちょっとどい、退いてください」

「えぇ~どうしよっかなぁ。抱きつかれるの役得だし~」

「山本、退いてやれ」


越谷の一声で帆夏は横にずれてくれた。くっついたままベンチを立って、帆夏から離れる。動悸がまだうるさくてゆっくりと深呼吸をした。藤森が猫を抱えて離れてくれようとしているが、猫は何度も手から抜け出していて大変なことになっていた。


「よっぽど猫苦手なんだね。昔なんかあったの?」

「いえ……特にはないですが。一時期住んでいた家の向かいの人が犬と猫を放し飼いしていて、躾もあまりしていなかったみたいでした。ちゃんと前の門が締まってないことが多くて、ランダムに急に犬が出てきたり猫が威嚇しに来たりするんです。それに毎度びっくりしていたから、かもしれません」


間芝の問いに答えながら藤森と猫とのやり取りを遠巻きに眺める。安全な離れたところから見る分には問題はないから、未就学児のあの頃の怖さがトラウマとなっているのかもしれない。藤森が一度捕まえ損ねると、猫は一目散に陽菜乃の方へ向かってきた。みゃ~と気の抜けた鳴き声に陽菜乃は脱兎のごとく公園を背に駆け出した。


「すみません私帰りますお疲れ様でした!」


猫が公園を出る前に越谷が捕まえて抱き上げた。今回ばかりは皆陽菜乃に同情した。





八月の半ば、お盆前に藤森と帆夏と映画を観に行く約束を取り付けていた。私服には無頓着な陽菜乃だったが今日くらいはお洒落に力を入れようと張り切ってコーディネートをした。暑いからと新しく買ったキャップを被って鏡の前に立つ。背後にいる黒い長髪の女性が恨めしげに見つめる瞳に気がついて一度鏡からずれた。鏡をみて誰もいない空間を認識した女性は口を大きく開けた後に自ら消えていった。経験則でもしかしたらとは思っていたが、霊は鏡に映らない自分を認識すると消えていくのかもしれない。怪奇がその法則で消える所は目撃していないから不明だが、ただの霊には効果的であることが分かった。


朝から何を分析しているんだと自分に呆れながら準備を整えて家を出た。最寄り駅に十時半に待ち合わせで、時間ぴったりに着くと改札から出てくる藤森が手を振ってきた。同じく振り返して少し気恥ずかしくなる。家族以外とプライベートで待ち合わせて遊びに行くのはこれが初めてだった。怪奇調査同好会に入ってから、初めてすることが増えた気がする。


「おはよう、天久さん。山本一本電車遅れてるらしい」

「おはようございます。寝坊とかですかね」

「メイクとかで時間かかっちゃったんじゃないかな」

「なるほど。帆夏さんいつもメイク綺麗だからあり得ます」

「本人に言ってあげたら喜ぶんじゃない?」


暑いからと駅構内の日陰に入って次に来る電車を待った。だいぶ田舎の場所だから次に到着するのは二十分後だった。十時から十六時は一時間に二本の電車しか来ないためそこそこ不便である。緊張しながらも雑談をしているとあっという間に電車の走行音が聞こえてきた。改札を出た帆夏は陽菜乃を見るなり顔が華やいだ。嫌な予感がしたため軽く走ってきた彼女が手を広げる前に壁側に寄った。勢い余って転びかける帆夏をジト目で見つめる。


「帆夏さん遅刻ですよ。昼食が先で良かったですけど」

「うう~ごめんてば……」


駅から二十分歩けば住宅街を抜ける。店や商店街の並ぶ中に片手で数えられるだけのチェーン店がいくつかあった。そのうちの映画館近くにある飲食店はうどんと牛丼の二つの店があり、夏バテ気味の藤森とガッツリ食べたい帆夏がじゃんけんした結果帆夏が勝った。テーブル席を取って三人で座るとなんだか不思議な気分になった。学校帰りに五人で外を歩くことはあれど、部活でもないただの遊びでご飯を食べに来ていることが新鮮で嬉しかった。普段よりも外で食べる料理がおいしくてあっという間に平らげてしまった。

今回見ようと提案された映画は学園ミステリーらしく、本好きの間では有名な作品だと藤森が語った。読書の大好きな生徒が教師の出す謎を解き明かしていくうちに学校の不祥事に気がついてしまうという話で、話を聞きながら現在の自分たちがその半分くらいに当てはまっているのではと思ってしまったが黙っておくことにした。

原作を読んでいない陽菜乃と帆夏は楽しめるだろうと藤森は羨ましげに作品の魅力を語り倒した。ネタバレを防ぎながらも十五分間語りきった彼に呆れつつ、牛丼店から出て映画館へ向かった。


ポップコーンを抱えて入る帆夏に食べきれないのではと指摘したが、映画を見ながら食べるポップコーンは美味しいんだと力説された。そして気づけばポップコーンの消化の手伝いをさせられた。昼食後に真っ暗な映画館の中でリラックスは睡眠にとても適した環境だった。ポップコーンが残り半分を切ったところで、物語の鍵が動き出した。暗い理科実験室の先で火を使った先生と主人公の女生徒が鉢合わせしたところで陽菜乃の意識は途切れた。


「いやーー面白かったネ、陽菜乃ちゃん」

「特にあの悲鳴にはびっくりしました」

「君ら寝てたよね、僕知ってるよ。あの悲鳴で天久さん起きたのも見たし」

「よく寝られました。映画館って寝心地いいですね」

「映画館は寝る場所じゃないから!」


藤森はもっとしっかり見てほしかったと嘆いていたが、昼食後に映画館はさすがに眠くなると開き直って抗議した。久々に気持ちよく寝られて最近の寝不足が取れた気がした。帆夏もまたお腹いっぱいで気持ち良かったと一緒に弁明してくれて、なんだかとても楽しかった。藤森は何かぶつぶつ言った後に気になったら本を貸してくれると言っていたが二人はあまり興味を持たなかった。それから周りの店などをぐるっと回った後に駅で解散となった。

改札で別れた所に駅員が立っていて、二度見したら怪奇だった。帽子が溶けていく姿にぞっとして、念のために持ってきていたカーディガンと腕に付けるお守りを鞄から取り出して付けてから駅から逃げた。


駅員に擬態した怪奇が鮮烈に記憶に残って、そういえば今日はあの怪奇以外には遭遇しなかったことを今更ながらに思い返す。映画館で気持ちよく寝られたのも怪奇が珍しく見られなかったからストレスフリーであったことが関係しているのかもしれなかった。食事中も変なのがいなかったから純粋に外食を味わえた。外でご飯を食べる時は学校含めて色んなものに囲まれて食べることが多かったから味に集中できることが少なかったように思う。今回歩いた場所は近隣の町ではあったものの普段から行く場所ではないから怪奇の出にくい場所なのかもしれなかった。




片手に対夏の弱装備を掲げて旧校舎の教室に集合すると、首にクールリングを巻き付けた越谷がなかなかの中装備で待っていた。右手にお守り、左手に保冷剤を包んだ長いハンカチに目を落として越谷に向き合う。


「そういうのあるなら教えてくださいよ」

「あるぞ。いるか?ひとつ五百円でどうだ」


人数分に用意されたクールリングを取り出すとみんなの目の色が変わった。待った、と間芝が手を挙げる。越谷は無言で先を促した。


「それって定価ですか。利益取ってないっすよね?」

「税込みで大体六百円だ。文句あるか?」

「ありませんありがとうございます」


レシートを見せて販売価格を告げられて、間芝は縮こまりながら五百円玉を渡した。簡単な吸水の素材で、水道から生ぬるい水をかけて首に巻くと少しだけ首元が涼しくなった。買おうか迷っていたらしい帆夏は飛び跳ねて喜んでいた。

今日の活動は旧校舎全体を回ることだった。暑い中で活動するのは大変だからと事前に十分な熱中症対策を予告されていただけあって、越谷は抜かりなかった。

準備が整ったところで経路を確認した。上から順番に見て回ってだんだん下へ下がっていき、終わったらそのまま帰れるように考えられていた。旧校舎での他の部活や同好会は今日は活動がないらしく絶好の探検日となっていた。忘れ物がないか確認して同好会の教室から出る。陽菜乃が最後にドアを閉めようと取っ手に手をかけた時、いつも見守ってくれている越谷兄の霊は厳しい顔をしていた。


一度確認したとはいえ教室前の階段の結界が気になっていた陽菜乃は先に行こうとする皆を止めて、三階へ続く階段の先に恐る恐る右手を伸ばした。指先が少し結界に触れると、お守りが反応したのか手首の辺りから電流が走って反射的に手を引っ込めた。転校してすぐに確認した時よりもまた強くなってバリアが張り巡られているようだった。結界の壁は越谷にも見えないらしく、この階段は使えないのだと諦めて非常用の階段の方へ向かっていった。


階段を離れていく五人の背中を、三階の踊り場から小さな人影がじっと見下ろしていた。




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