階段の先
昼の旧校舎は夜よりかは怖さはなく、見慣れたおんぼろの壁を伝いながら三階の最初の教室を開ける。前と後ろの扉は勝手に閉まらないように開けっ放しにした。
昔は三年生の使っていた教室で、椅子や机はなく埃の被った床や所々腐った壁が確認できた。怪奇や変な霊などは見られず、窓は開けるのに一苦労するほど動かせなくなっていた。教室を適当に五分割にして、昔使っていた頃のヒントや他に越谷兄の残したものがないかなどを探して回った。ひとつ見てしまえばすっかり慣れてしまって、あっという間に三つの教室をクリアしたが、クラスに使っていた教室には想定通り何もなかった。
階段の真ん前にある、怪奇調査同好会の上の教室は先生の休憩室として使われていた。この旧校舎は不思議な構成で、真ん中の教室が他の教室よりもコンパクトで狭い設計になっている。加えて階段の真ん前に教室が配置されているため、旧校舎に何かあるんじゃないかというのは怪奇調査同好会以外の生徒たちにも噂されているようだった。越谷がその教室を開けると、黒板とそれ以外にはなにもなかった。すっかり慣れた調子で教室へ入る。この教室はさっきまでの教室と比べて埃やごみが少ないように思った。探検前に、小さなことでも気になることがあったら全体で共有すると決めていたため、陽菜乃は教室を出る前に声をかけた。
「この教室、さっきまでの教室と比べて埃とかゴミが少ないように感じました」
「確かに、床に塵が少ない気もする」
「俺も思っていたところだ。一応メモしておこう」
今のところはただの教室探検であるためみんなの気は緩んできていた。次は元々視聴覚室だった場所だが、校舎のホラーでは何かしら起こりやすい場所でもある。少し警戒を高めて越谷の後ろをついて行くと、前を進む彼の困惑する声が聞こえた。
教室の電気がつかないらしい。スマホの光を当ててそこが電源であることを確かめたため、ここの電気は切れているようだった。
「えっなにここ、めっちゃ暗っ!まだ昼だよ⁉」
「窓に遮光用の紙が貼られてるだけだよ、どこかの部活が使ってるんじゃないかな」
「天久、向こう頼めるか。三人は黒板側を頼む」
越谷の指さした廊下側の後方を見ると、瞳に細い手足のついた怪奇が、首と思われる瞳と接続した体の部分が伸びてきてこちらをじっくりと見てきた。気持ちの悪い体躯に顔をしかめながら右手で祓う。しかし怪奇は一回では消えず、ただでさえ細い体部分がさらに細くなっていた。クルクルと鳴く怪奇に、陽菜乃は深呼吸をしながらゆっくりと目を開ける。右手に力を込めて、勢いよく手を振り下ろした。怪奇はシュルシュルと言いながら粒子となって散って消えていった。初めて使ったやり方だったけれど上手く収束したようだった。胸を撫で下ろして後ろを振り返るとしっかりと見られていた。今更ながらに恥ずかしくなって彼らから目をそらす。
陽菜乃は最近帰ってきた父親から強い怪奇を祓う方法を教わっていた。対怪奇用のグッズに潜在能力を働きかけて力を掛け合わせる方法は、呪文もなく必殺技っぽくなくて良いと思っていたが、人の視線があるとどんな形であれ恥ずかしかった。興奮した様子のみんなは矢継ぎ早に囃し立てた。
「そこにいたの⁉怖っ」
「何が起こったの⁉怪奇いなくなった?」
「陽菜乃ちゃんかっこいい~」
「詠唱かなんかで祓うのかと思っていたが、これもかっこいいな」
「とりあえずいなくなりました。あ、でも……」
越谷の言うままに祓ったのは良かったが、最初に夜の学校に潜入したときの怪奇が言葉を発していたことを思い出す。もし話が通じるのなら話を聞いても良かったかもしれない。そんなことを伝えると、越谷は消しちゃったものは仕方ないし次に出てくる怪奇の雰囲気で決めればいいと軽い調子で流した。そんなことよりも、帆夏による祓い方の冷やかしがあまりにも誇張が過ぎていて見ていられなかった。
他に何かが出てくることはなく、足早に教室を出て隣の旧音楽室に入った。三階の端はこの教室となっており、教室の奥には楽器などの物が残っていた。一列になって入っていく途中で間芝が声を上げる。
「なあ、ありがちなのって肖像画が動いたりするんだよな」
「あとはピアノの音とか?」
越谷の後ろを歩いていた陽菜乃は、窓の外に大きく張り付いた横幅5メートルほどの鷲のような鳥と、同時に前にいた彼が腰を抜かすのを見た。ざわつく後ろの三人を宥めて教室全体を見回す。怪奇や霊がいないことを確認して越谷の代わりに配置を指示し、一歩前へ出る。右手へ目を落とすと、全く効き目がなさそうだった。これは見えない振りをしてやり過ごすほかもなく、座り込んでしまった越谷を百八十度回して後方観察にさせ、陽菜乃はピアノの鍵盤側に回った。すると、今までいなかったはずの椅子に黒い長髪の女性が座っていて、視線に気がついた彼女はこちらを振り向いた。その顔はひどいもので、陽菜乃は鞄に潜ませていた鏡を反射的に彼女の霊に向けた。細く長い釣り目で口の裂けた、およそ人間とは言えない見た目にぞっとしてしまった。鏡を向けられた彼女は一瞬困惑したような表情をした後に、断末魔のような叫び声をあげて消えていった。彼女の声は陽菜乃の鼓膜を壊すほどの音量で、みんなにも聞こえたのか一斉にこちらを向いた。
「なにっ、今の声なにっ⁉」
「神様仏様お父様、南無阿弥陀仏……」
「間芝大丈夫か?一度教室から出るか」
半泣きの間芝は腰が元に戻った越谷によって廊下に連れ出された。女性の霊がいなくなったピアノ付近には何も残っておらず、他の場所も特に変わったところはなかった。音楽室を出ると、床で座り込んでいた越谷と間芝はこちらを見上げてきた。心身ともに疲れている様子を見て、階段を下りてから昼休憩を四十分ほど取った。廊下の窓を全開にして音楽を聴きながらくつろぐ帆夏と文庫本を読みふける藤森の横で、間芝はひと眠りをしていた。陽菜乃が効果のあった鏡を綺麗にしている後ろで、越谷は身体を動かしてストレッチをしていた。各々で休息を取った後は二階の教室を見て回った。
埃とカビの多い教室が続く中で、一教室にかかる時間が少なくなってきて効率的に動けるようになってきた。真ん中の教室は同好会の教室なので飛ばして、次の教室は使われていなかった空き教室となっていた。だんだんと集中力も落ちてきて、適当にざっと見て回る。お腹も空いてきて、スマホで時計を確認すると十二時前だった。この探検に意味なんてあるのかと消極的になってきたところで、誰かの発見した声が聞こえた。
「下になんか挟まってるみたい。誰か定規みたいなのない?」
「あるよー」
帆夏と藤森が奮闘しているロッカーの下を見ると、確かに白い紙らしきものが挟まっていた。引っ張って破れないように慎重に時間をかけて取り出すと、何か数字が書かれていた。暗号か何かだろうか。後からやってきた越谷は、紙の裏に赤い指紋のような跡を指摘した。裏返すと確かに指紋のような跡がやけに赤黒いインクで押されていた。陽菜乃が考え込む前に、間芝が震えながら口を開いた。
「これ、って血……だったりしない……?」
「じゃあダイニングメッセージってこと?」
帆夏が改めて数字の書いてある方を向けて、みんなで紙を覗き込む。
『150・33・2₇₅0・3』
不規則に間隔のあいた数字が羅列されていた。間にある小さな丸は赤いインクで塗られていて、指紋の血の色と何か関連があるのかもしれないと思った。数学だろうかと悩んでいると間芝が三本の指で赤い丸部分を隠していた。隣で、帆夏がわざと塊にさせたのかと感嘆を漏らしていた。しかし肝心の数字の意味が分からない。せめて誰がどんな状況で書いたのかが分かればいいのだけれど、なんてことを考えているとここにいない誰かの息遣いが聞こえてきた。スマホを見ると、時間は十四時四十一分だった。さっき十二時になったばかりだったのに、時間が狂っている。日付も十月二十七日に変わっていた。そして、周りに自分しかいないことに遅れて気がついた。
廊下から全速力で走ってくる足音が近づいてきて、この教室のドアを開けて入ってきた男子生徒がいた。先客である陽菜乃を無視し、ロッカーの低い背を机代わりにして何かを書いているようだった。ぶつぶつと呟く独り言に耳を凝らす。
「あいつはやばい。新聞の発行を止めたかと思えば俺を選ぶだなんてとんだ野郎だ。怪奇なんかあるわけねえと思ってたのに、このままじゃさらに生徒が少なくなっちまう。あれを止める方法は他にないのか」
足をここから動かしたら座標軸がずれてしまう。陽菜乃はそれを理解しながら彼の周りをぐるぐると泳ぐ奇妙な怪奇に耐えていた。黄色と緑の色が変色する魚のような怪奇からは、背筋の凍るような強い力を感じた。この角度からじゃ彼が何を書いているのかが見えない。彼の言葉を一言一句逃さないように意識を集中した。
「……少しわかりやすかったか。いや、しかし簡単な二桁の文字起こしでないと他の者には伝わらないな。俺がいなくなっても、これを誰かが見つけて何とかしてくれる、はず」
そうして彼はロッカーの下の隙間の僅かな隙間の空いたところに紙をねじ込んだ。少しだけ見えるように手前に出して、彼はお腹の方に手をやった。お腹から手を出した後の指先には何故かべったりと血が付着していた。その指で紙を触って、紙を見えるか見えないかくらいのところまで奥にやった。
陽菜乃の体に振動が加わって、急激に負荷がかかった。目を閉じて数秒間耐えていると冷たい感覚が背筋を駆け抜けた後に、湿度の高い温い空気が肌に当たった。ゆっくりと目を開けると、怪奇調査同好会のメンバーがすぐ側にいた。戻ってこられたことに一安心して座り込む。陽菜乃が過去に飛んでいる間に、暗号は間芝と越谷で解き終わっていた。
「たぶんシンプルに校長でいいはず」
「校長に鍵があるんだろうな。何か聞いてみるか」
「あっ待ってください!さっき過去に飛んで見たんです。おそらく新聞部の男子が、新聞の発行を止められて俺を選んだとか言っていました。もしその校長が彼の言うあいつなら、味方ではないと思います」
「はっ?過去?」
「陽菜乃ちゃん立ちながら気絶してるみたいだったけど、まさか当時の彼に会いに行ってたってこと?」
「私もびっくりしたけど、きっとそうです」
過去で見たことを全て伝え終えると、信じ難いものを見るような目で越谷に感謝された。途中で気絶していた陽菜乃に気づく帆夏に、何かを感じ取った越谷が触るなと警告していたことを聞いて改めて彼らに感謝をした。文字起こしの答え合わせもできたところで教室を後にした。次の教室も空き教室で、一番広い教室だった。窓側の奥に机が二つあるだけで、後は何も置いていなかった。相変わらず床には塵や埃が積もっていて、ゆっくりと移動する。先ほどの後遺症か、陽菜乃の体は小刻みに震えていた。痺れではなく、振動で震えているような不思議な感覚だった。いつも怪奇調査同好会の窓から見える越谷兄の霊が、窓の向こうに映っていた。
「越谷さん、見えますか?窓の霊」
「見えないな、なぜ俺には見えないんだ」
悲しそうに呟く越谷に、陽菜乃は驚いて閉口する。今は隠れもせずにそこにいるのに、視える霊は個体差があるのだろうか。変わらず教室を探していると、気がつけば陽菜乃の体の震えは止まっていた。何かが自分と被っていて、机の側から離れてみる。すると、学校の制服を着た男子高校生が三人で話し合いをしていた。会話中に出てくる名前から、ここは昔の怪奇調査同好会で使われていた教室だったようだ。高校生の越谷兄は細い眼鏡をかけたイケメンと呼ばれるタイプの顔面偏差値で、声は兄弟で似ていた。後ろを振り返ると、変わらず現同好会メンバーはいた。スマホを確認しても日時は変わっておらず、窓の外の霊を見やる。旧怪奇調査同好会のメンバーを指さす霊に何度も首を縦に振って、現メンバーに声をかけた。
「あのっみなさんこちらに来れますか」
「なに~?ぇっ」
「は……?に、兄さん……」
「なにこれ、なに起きてんの」
振り向くと、各々が驚いていた。間芝の困惑に返答をしようとすると彼らが喋り出した。自らの口を塞いで、当時の彼らを座って眺める。
『アキは本当にビビりだなぁ』
『そんなこと言ったって怖いものは怖いでしょ』
『大丈夫だ、何かあったら俺を盾にして逃げろ』
『康之は男前だなぁ。よし、じゃあ行くか』
『ああ』
三人はそのまま教室を出て行ってしまった。追うべきか視線を送って悩んでいるうちに時間が早送りされたのかすぐに教室に戻ってきた。アキと呼ばれていた男は落胆した暗い顔をしていた。二人も渋い顔をしていて無言のままそれぞれの席に腰かける。康之が低い声で呟いた。
『事態は思ったより深刻だったな』
『やっと覚悟が決まったっていうのに、陰湿な歴史が続いていたなんて精神やられちゃうよ』
椅子の背もたれにぐっと体を預けて弱音を吐いたのは、行方不明者の欄に乗っていた山中弘行だ。言葉少なに語られる一部分に陽菜乃は思わず唾を飲み込んだ。アキもこの先の心配をしていて、打開策のない話し合いの不毛なやり取りばかりが続いた。その会話の中では当時の校長の名前や十一月、怪奇などの言葉が飛び交っていた。肝心な部分は抜き取られているかのような話の流れに焦れていると、ふっと彼らの姿が消えてしまった。感情がついて行けないまま放心していると、越谷がいなくなってしまった兄に向かって問いかけた。
「兄さん、これは真実なんだよな。いったいどこへ行っていたんだ?この先に待ち受けているのは何なんだ?どうしてこんな謎解きをさせるような真似をするんだ」
『康裕。今は言えないことばかりなんだ、すまん。一つ言えるとしたら、この学校へ来ては行けなかったんだ、俺たちのような者は』
「お兄さん、それってもしかして」
『これ以上はいられないな。怪奇になる前にここでお暇させてもらうよ』
そういって康之の霊はどこかへ行ってしまった。最後に発した怪奇という言葉に引っ掛かった。行方の消えた彼を窓から見送った後に後ろを振り返る。先ほどの声は届いていたらしく、越谷は涙を流していた。ハンカチを差し出す藤森に礼ををして、受け取って目元を拭く。窓の方を向いて、もう見えなくなってしまった影を追いかけているようだった。陽菜乃は立ち上がって埃を祓った。確信はまだできないけれど、彼らの記憶から一つの見解が浮かんでいた。
「越谷さん。私も少し怖いけれど立ち向かいます。何か変わるかは分からないけれど、それでもいい。越谷さんはどうしますか」
「天久、誰に口をきいてるんだ。俺は兄がいない心細さはあれど、とっくに覚悟はできている」
「えっと、俺も!怖いけど、途中で投げ出すのはもっと後悔する気がするからついて行くよ」
「僕も行く。きっと越谷さんだけの問題じゃないから、ちゃんと知りたい」
「辞めるならとっくに降りてるわよ!」
五人で気持ちを確かめ合った後でモチベーション高く一階の捜索もしたが、特には何も見当たらなかった。それでも大きな収穫が得られたことで満足感は高かった。すべての教室を探索し終わった陽菜乃たちは右端の教室から昇降口へ向かっていた。相変わらず点滅している電灯によく切れないなと呆れていると、後ろを歩く藤森が急に声を上げた。揃って振り返ると、藤森はうるさくしてごめんと謝った。
「なんもないのに転びそうになっちゃった」
「ちゃんと足元見て歩けって」
「いやぁ見てたはずなんだけどな」
気持ちが落ち込んだままの越谷に、学校を出た後はカラオケでも行こうと間芝が提案した。この後に予定のない五人は好きなだけ歌を歌って、瘴気やら鬱憤を思いっきり発散した。
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