和来高校 怪奇調査同好会

高守 帆風

怪奇の間口

転入の手続きが終わり、これから担任となる教師に頭を下げて職員室から出る。指を折って必要事項が終わったことを確認してから周りを見渡す。赤い西日を背にカラスが三羽一緒に飛んでいった。その窓越しに小さな鳩がこちらを見ていた。右手を軽く振って視界から追いやり、担任からもらった学校の部活一覧の紙を開く。五人以上集まれば部活、三人以上集まれば同好会または研究会と扱いが変わっており、小さな規模の活動もちらほら見受けられた。

転入先の和来高校は東京の山奥にある自然豊かな公立学校だった。一年前に一部立て直された本校舎と、その奥に廃校舎と見間違えるような旧校舎がある。敷地は広いが校舎は大きくなく、一年から三年までそれぞれ定員百人を切っており三クラスしか存在しない。校舎の西側にはトラックが四〇〇メートルと学校にしては広い充実したグラウンドがあった。計三百人にも満たない学校にはもったいないくらいの敷地だった。高校の三方が山に囲まれているため空気が前のところよりも一層濃く感じた。写真やホームページで見るよりもしっかりした建物で、本校舎は立て直されたこともあってそれなりの見た目を保っていた。担任曰く、旧校舎が崩れたら小規模の部活や会はなくなる可能性もあるらしい。そんなことを予期するほど旧校舎はおんぼろなのだろう。その旧校舎にあるという、珍しい同好会の名前が載っていた。落ちてきた髪を耳にかけて呟く。


「怪奇、調査同好会……」


事務室から校舎を出て、門を出ようかと逡巡して踵を返し離れの旧校舎へ向かった。テニスコートの跡地となった雑草のための土地と蔦に絡まれたネットを右目に真っ直ぐ歩く。運動部の更衣室を抜けた先に旧校舎が見つかった。地面に蠢く影を華麗に無視して足を急がせる。旧校舎の昇降口に辿り着いて辺りを見渡した。右側には広いグラウンドが広がっていて目の前には本校舎の後ろ姿があった。窓から誰も見えないことを確認して旧校舎の昇降口に足を踏み入れる。放課後の旧校舎は人数の少ない部活や同好会、研究会が使う教室となっているらしい。外履きから上履きに履き替えてギシギシと音を立てる板から離れる。薄暗い廊下を照らす複数の教室の明かりにほっとしてゆっくりと足を進めた。今にも消えそうな電灯を見ていると小さな蚊がわらわらと漂っていることに気づいて目を離した。怪奇も充分気味の悪いものだが飛ぶ虫もまた煩わしく鬱陶しい存在だ。静かな校舎に、階段を上がる音が嫌に響く。二階まで上がると、目の前に教室が見えた。わずかに視界の違和感を感じつつも周りの様子を確認すると、目の前の教室は人の気配があるのに電気が消されていた。いかがわしいことに使っているのかと目を顰めたが、うっすら空いた扉からは男子の話し声が聞こえてきた。二階の教室を全て回って、階段前の教室がそうなのだと確信した。天久陽菜乃は壁側に寄って耳を澄ませた。



『……蛙が二匹、その池に飛び込んだ。しかし、池の様子には違和感があった。まるで死んだような池だと感じた。きっかり十秒、経ったころだろうか。池が息を吹き返したようにひとりでに波紋を作った。池のちょうど真ん中から、池の端まで小さな円形の波紋が大きくなった。しかしその時は風一つ拭いていなかった。何が起きたのかは分からなった。静かに成り行きを見守っていると、その蛙二匹が池の飛び込んだあたりから浮かび上がってきた。』


『その蛙たちはひっくり返っていてそれきり池に浮いたままで、池の真ん中にある小さな点のようなものがこちらを見ていた』


陽菜乃は最後まで話を聞くまでもなく確信した。彼もきっと同じ人間だと。正しくは小さな点ではなく顔の形をしているのだが要らない訂正だろう。

部室に入りづらいことを言い訳に窓からの闖入羽を眺めていたら、夕日がなくなった。厳密に言うと夕日の前に黒くてでかい”何か”が現れた。例えるならニワトリだろうか。周りのオレンジの光だけが漏れていて気色の悪い後光のように感じられた。三秒ほど思考してニワトリから目を背け、扉をノックした。少しして教室に電気がつき、中から女子の声で「どぞー」と聞こえた。声の主も同好会のメンバーなのかと意外に思いながら扉を引く。


「失礼します」

「あれぇ女の子だ~連絡先交換しよ!」


部室に入ってすぐ、紅一点の女子と目が合った。彼女は水を得た魚のように喜びながらナンパしてきた。突然のイベントを回避しようと奥に座る三年生らしい人に助けを求めるが無視された。スマホを差し出してくる彼女は二年の山本帆夏と名乗った。つられて自己紹介をすると、ようやく他三人の男子もこちらを見た。ナンパ女子を含めればメンバーは四人といったところだろうか。緑ネクタイの二年生男子二人は顔を見合わせた後に手前側から自己紹介を始めた。


「間芝でーす。この癖っ毛がチャーミングポイントだよ」

「藤森智矢です。間芝の友達です」

「俺は越谷康浩だ。ところで君は何の用でここに来たんだ?見ない顔だが」

「いえ……。気になったので入ってみただけです。でも、気が向いたらまた来るかも」

「ほんと!いつでもウェルカムだよ~!」


黒板には同好会名は書いておらず内心落胆した。来訪者用か机と椅子は計六つ出ていて勧められるままに彼女の横に座った。普通の教室よりかは小さく、運動部の控室くらいの広さの中央に、入り口を迎えるようなコの字型に机が配置されている。奥に座る青ネクタイの三年の机には懐中電灯が置かれていた。二年男子のいる右側にオカルト系の本やいろんなものが置かれた棚が二つ、黒板の半分を埋めるように高くそびえたっていた。この集まっているコミュニティが正しく怪奇調査同好会なのかが気になった。


「あの、ここって……」

「陽菜乃ちゃんて転校生なんだよね?いつから来たの?」

「えっと、……正式には明日からです」

「火曜から入るんだ?じゃああまり遅くまでいたらまずいか」

「服に着られてる感があるとは思ったが、本当に新入りだとはな」


帆夏に話を遮られて自らの現状に気づいた。先生の見回りのないうちに帰った方が良いと諭され、あまり早まっても仕方ないと自分に言い聞かせて立ち上がった。特にオーラを感じないから彼らは普通の人間なのかもしれない。お邪魔しましたと礼をして出て行こうとするとスマホを握り締めた帆夏に引き留められた。短く断って教室を出る。相変わらず夕日の代わりにニワトリがいて、目が痛くならなくて良かったと現実逃避をしながら帰宅した。







誰かに肩を叩かれた。目を開けると白い眼のヒト型フクロウらしきものがいて、不機嫌を隠すことなく頭から手刀を食らわせた。手は空しく宙をかき分けてベッドからぶら下がった。右手を振って浄化させると数秒前のことが悪い夢のように思えた。


「あ゛ーーーもう、まだ寝れたのに」


朝から気味悪いものを見させられて苛立ちを口にしながら学校の準備をする。朝ご飯は用意されていて、いつものごとくテレビは見れない。亡くなった弟が生後も占領しているからだ。引っ越したのにもかかわらずついてくるとは大した度胸である。引っ越した理由はそれではなく、母の自然豊かな土地でゆったりと暮らしたいという鶴の一声で決まった。千葉の田舎にいた時は浄化すべき怪奇が少なかったこともあってすぐに用無しになったのだった。

ネクタイが思うように結べなくて鏡を見ながら格闘していると手が伸びてきた。間違えて払おうとして手を止め、静かにそちらに向き直った。母だった。何か忘れているような気もするけれど何故か弟もついてきているのでプラマイゼロだということにして家を出た。


先生に紹介されるがままにありきたりな自己紹介をして窓側後ろの席に着く。教科書を立てておけば何をしても良いという特等席である。内心でガッツポーズをしながら教室を見渡すと、窓の前方に何かが張り付いていた。この学校には色んなものが棲みついているらしい。どのみち勉強に集中できないのならいっそ別のことをしていた方が良い。一限から科学という難解な授業が始まって、陽菜乃は潔く早起きした分の就寝時間とした。


『……ね。ねぇ』

『ねぇね。ねぇ……』


横で弟がうるさい。ついでに窓に張り付いている奴のバカでかい呼吸音が気になってしまう。本当は今すぐにでも祓ってしまいたいが教室で浮くと碌なことになりかねない。仕方がないからこうして気にならないふりをするのだが目には入ってくるし耳にも入ってくるのでどうしようもない。


「ねえ」


よく考えれば怪奇たちは死んでいるのだから厳密には呼吸ではないのか。それにしても風の音と間違えるようなコミカルな音を出すのはやめて欲しい。ふとした時に笑ってしまいそうだった。


「ねえ、天久さん」

「はい」


女子生徒に名前を呼ばれて意識が現実に戻る。頭を上げると隣に座っているお下げの彼女に呼ばれていたのだと気づいた。弟のねぇね呼びは紛らわしくて邪魔である。斜め後方にわずかな睨みを利かせた後に彼女の方に向き直る。真剣な表情で体調を気遣われて、良心が痛んだ。本音で答えると科学という授業にじんましんができそうだけれど、朝起きるのがつらかったと言って誤魔化した。

科学は嫌いだ。科学で説明できないものと強制的に共存させられているこちらの身にもなってほしい。授業への不満もそこそこにして再度眠りについた。


転校初日はクラスメートが優しく接してくれたおかげで休み時間は充実し、昼休みもそれなりに楽しめた。滞りなく授業が終わり放課後が来るとすぐさま席を立った。学校を紹介しようとしてくれたクラスメートには丁寧に断りを入れて教室を出る。今日こそは同好会の存在を確かめようと旧校舎に向かった。旧校舎の昇降口から六メートルほど離れた場所には相変わらず黒い影が蠢いており、振り向きざまに右手を振った。あれは目を合わせたら引きずり込まれるタイプの怪奇だろう。おそらくあの下には数えきれない死体がある。知れば知るほど妙な土地だ。怪奇調査同好会であろう教室に辿り着いて階段を振り返る。前に感じた違和感が気になって、三階へつながる階段を一段上がると足が重くなったのを感じた。真上に何かいる。その気配に気づいた瞬間全身の鳥肌が立った。

”結界”だ。耳鳴りの中にガサガサと鳴るビニール袋をいじるようなノイズが混じる。陽菜乃は逆手でお守りを取り出して右手に通す。


「効いてッ―――」


右手を高く掲げて手の甲で自分を守るように内側へ向けた。一段上がった足が階段から離れて体が軽くなる。後ろへ倒れそうになって体重移動をして体制を整えた。一呼吸を置いて周りを確認する。階段の下にも人はおらず、相変わらず階段と教室は向かいあっていた。咄嗟の判断で身を守ることに徹したおかげで何事もなく元に戻った。

教室の扉をノックすると帆夏の声が聞こえた。少し迷って、扉を引く。


「陽菜乃ちゃん!来てくれたんだ!!」

「いや、あの……離してください」


嬉しそうに身体をくっつけてくる彼女に身動きが取れないまま、後ろの男子の視線を受け止める。きっかり十秒抱きしめられて大きく息を吐いた。昨日と同様に椅子に座って、本来の目的を思い出す。この集まりは怪奇調査同好会で間違いないのか、どんな活動をしているのかを訊ねた。一つ目の質問にはみんなが首肯し、二つ目の質問には会長である越谷が答えた。


「うちは怪談の作り話を披露したり駄弁ったりする緩い同好会だ。もしかして昨日もそれで来てくれたのか?」

「ええ、まあ。ところで、作り話というのは?」

「その名の通りフィクションだ。それらしい怪談を話して怖さの根源を探る、といったところだな」

「はあ……」


自信満々に答える越谷の眼鏡は怪しく光っていた。越谷の説明に不足はないらしく二年生は黙って聞いていた。反応がいまいちな陽菜乃に伝わっていないと思われたのか、陽菜乃の前に座る間芝が手振りをつけて得意げに自分の作った怪談を話し出した。



とある大学生たちが山の中で流し素麺をしようと提案し、事前に切ってあった竹をみんなでつなぎ合わせて長い滑り台とスタート地点の支点部分を作った。流れ終わった先にはバケツを置いて素麺を流し出す。しかし、流れてくるのは素麺ではなく黒い影だった。みんなが取れないでいると、バケツ側にいた一人の男が叫んだ。素麺が黒い、と。そんなわけがないと流す係の女性は袋に入っている素麺をみんなの前に掲げた。その素麺は普通の白い綺麗な色をしていた。大学生全員が竹を流れる素麺を注視する中でもう一つ小さな塊を流すと、あるタイミングで素麺の色が黒く変化した。一人の女性は怖くなって中止しようと呼びかけるが、楽観的な背の高い男性は大丈夫だろうと黒い素麺をバケツからつまみ上げて食べてしまった。その男性はその場で死亡が確認され、大学生たちは慌ててその場から離れた。忘れられた素麺の入った袋も黒く染まっていた。


「終わり!こんな感じで各々怖い話考えたりしてんのさ」


語り口とは違う、彼の元のテンションに現実に引き戻された。初めて聞いた彼の怪談に陽菜乃は変な汗をかいていた。素直に称賛の言葉を口にすると間芝は嬉しそうに頬をかいた。実際に見かけた経験はなかったため、創作の良さを使った気味の悪い話をそのまま楽しむことができた。会長の方を見ると、こちらの窓にも張り付く亡霊みたいなのがいて吹き出しそうになった。口の端に力を入れて耐えていると、会長も間芝の怪談に乗っかって怖い話を始めた。それに対抗するように残り二人のお得意の話も聞かせられた。陽菜乃は見たまんまの恐怖には慣れているものの想像する恐怖には慣れてなくて帆夏に半泣きにさせられた。作り話ですよねと必死に安心を求める姿に、帆夏は怖がっている陽菜乃にようやく気がついた。


「もしかして耐性ない感じだった?ごめんね、怖がらせちゃった?大丈夫だよ、一緒に帰ってあげるからね。あと寝るときも一緒にいてあげるから連絡先交換しよ?」

「帆夏さんのだけなんか怖さ違うしずるじゃないですか。そんな話聞かされたら一人で寝れないですよ」

「え~陽菜乃ちゃん可愛いとこあるじゃん!お詫びとして寝るまで通話繋いどくから!あ、それとも私の家くる?一人暮らしだから気にしないで」

「そっちの方がなんか怖いんでそれは遠慮します」


四人の怪談話を聞き終える頃には陽が沈んでいた。窓に張り付いていた亡霊は未だに越谷を見つめているようだった。その姿はどこか哀愁を感じて、輪郭はぼやけているけれど人の形をしているように見えた。たまにアイドルのライブ映像を見ている弟がちょうどこんな感じになったことがあるのを思い出して、同じ類の大切な人だと察する。妙な気持ちで窓の外を眺めていると、越谷は期待を込めて咳払いをした。


「天久さん。うちの同好会に興味を持ってくれただろうか」

「面白いと思いました。みなさん、それぞれの語り方が良くて話にすっかり引き込まれました」

「そうか。では改めて―――怪奇調査同好会に、歓迎しよう」



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