ふたつの覚悟
「では改めて―――怪奇調査同好会に、歓迎しよう」
「あ、すみません。入るつもりはないです」
会長自らが歓迎してくれたことは嬉しいが、陽菜乃は丁寧に礼をして席を立つ。四者四様に驚く姿を見て申し訳なく思ったが、ここに同じ人間がいないなら仕方がない。視えない人間とは話を共有することはできないしリスクが大きすぎる。この前の盗み聞きも作り話のネタと実際にある怪奇が偶然重なっただけなのだろう。扉の前で小さく会釈をしてから教室を出る。一段一段を踏みしめるように階段を下りて昇降口で靴を履き替えていると、陽菜乃を呼び止める声が聞こえた。振り向くと、息の上がった帆夏が前髪を手で直しながら微笑んだ。
「一緒に帰ろ?約束したじゃん」
「陽菜乃ちゃん、うちの同好会のこと面白いって言ってくれたよね。何でダメだったの?」
「それは……」
陽菜乃は鞄を持つ手を強く握りしめた。少し考える素振りをして鞄を肩にかけ直す。次の言葉を言えずに黙り込んでしまうと、帆夏は軽い調子で言い直した。
「や、そんな大層な理由は求めてなくてね、面白いって思ったんなら入ってみるのもアリじゃない?私だってなんか楽しそーって思っただけで入ったし」
「なんか違うって思ったんなら仕方ないけどね。あ、そうだ。これ読み取ってよ」
帆夏の考え方は奔放で楽観的で素敵だと思った。しかし引き留められると思っていたからあっさり身を引かれて呆気にとられた。帆夏が取り出したスマホのQRコードを読み取らされて、彼女の指が画面の承認を押した。よく分からないまま自分のスマホを見直すと帆夏のアカウントが表示されていた。まんまと彼女の策に引っかかって無言で帆夏を見る。当の彼女は陽菜乃ちゃんがメッセアプリ入れてて良かったとご機嫌そうに笑みを浮かべていた。どこまでもマイペースな帆夏に呆れつつも笑みが零れた。
「えっ、笑っ……今笑ったよね?」
「帆夏さん、変な人ですね」
「変な人って言い方ひどくない⁉」
「物好きって意味です。あ、家この近くなので」
「えっ、じゃあ学校帰りに気軽に遊びに行けるね」
「それはもうちょっと仲良くなってから考えてもいいですか」
学校の最寄りの駅で帆夏と別れて、歩いてきた道を振り返る。こっちに来て初めての夜道は一人じゃなくて良かったと改めて思った。学校から駅までの道のりに地面から顔を出す子どもがいて、彼女と帰っていなかったら声を出して転んでいるところだった。陽菜乃は少し来た道を戻って家に向かった。
窓から張り付く系の霊や怪奇は基本的に害はないものだと分かった。教科書を手で持ち読んでる風にして四限まで教室の内外を観察したけれど、日の当たる場所には悪い怪奇はいないという関連がありそうだとノートを取っておいた。もちろん教科書にはマーカーを引いて授業は一応聞いている。隣の席の子は世話焼きではないけれど転校生ということもあって時々気にかけてくれているようだった。あまり迷惑をかけないようにだけ気をつけて、授業中は自由に過ごした。
昼休みは友達同士で机をくっつけて過ごすらしく、陽菜乃の座る教室の左隅っこにも複数の机が集まっていた。男子が三名と女子が二名で、入学の約二か月後に入ってくる不思議な転校生に興味津々なクラスメートに質問攻めにされた。元々引っ越しの多い家庭だとざっくり答えると架空の身の上話に同情された。彼氏とかいるの?と男子に聞かれて短く否定した。高校生は恋愛の話が好きらしく、その話題がずっと続いた。陽菜乃の話からクラスメートの恋愛観や男女の友情は成立するかなど、色んな話が飛び交うようになってそろそろ疲れてきた。遠い目をしていると教室前方で手をひらひらさせる二年生がこちらを見ていた。続いてその近くにいた女子生徒が陽菜乃の名を呼んだ。食べ終わったお弁当を片付けて廊下へ出る。
「陽菜乃ちゃん友達たくさんだね!元気にしてるみたいで良かった」
「いえ、今だけですよ。それより、何か用があるんですか?」
「一人だったら話し相手になろうと思って来たんだよ。そうだ、同好会は結局どうするの?やっぱり来ない?」
「あー……考え中、です」
「そっか!考えてくれるだけでも嬉しいな。入ってくれたらさらに嬉しいけど」
「はい。じゃあ、失礼します」
本当は入るつもりはないのに、嘘をついてしまった。帆夏の優しいまなざしに揺られて口を滑らせてしまった事に動揺する。午後の授業は眠くて、先ほどの帆夏との会話を思い出しながら微睡んでいた。空いた窓から乾いた風が流れてきて気持ちがいい。心地の良い気温にリラックスしていると、隣の彼女に肩をつつかれて目を開ける。二だよ、と謎の伝言をしてくる彼女を不思議に思いながら黒板を見ていると先生に当てられた。よく分からないまま二と回答すると先生はすぐさま黒板を向いて何事もなかったかのように解説を進めた。基本的に席の順で前から当てられるのだと有益情報を教えてもらって、ノートに書き留めてから再度舟を漕いだ。ぼんやりとした意識のまま怪奇調査同好会のことを考える。そこで、なぜか悩んでいる自分に気がついた。一度は断ったのだからもう二度も足を運ばなくても失礼にはならない。
怪奇を祓うのは自分一人でも構わないし今までも同じようにやってきた。もし人が増えたなら強い怪奇にも立ち向かえる。ただそれだけの話なのに、胸に何かが閊えている気がした。
気がつけば転校して一週間が経ち、来週からは雨模様が続く梅雨の時期に差し掛かる。昼休みには時々来客が来るけれど、基本はクラスメートと適切な距離を保ちながら一人毎日をやり過ごしていた。夕日を隠すニワトリはどこを見ているのかよく分からなかったが、毎日放課後に色んな所から観測してみると陽菜乃の通う和来高校を隠すように目の前に塞がっているように見えた。
沈んでいく夕日の中で帰途を辿っていると、ふと寂しさが湧き上がった。転々と家を変えていて一人には慣れているのに、同好会を通じて人と接点をつくってしまった事が尾を引いているのか二日ほど通っただけの場所を思い出してしまう。もう一度足を運んでも受け入れてくれそうな温かい雰囲気を反芻しては不思議な気持ちに取り込まれる。家に帰ると、普段からテレビに張り付いている弟が陽菜乃の方を向いて、何か言いたげに口元をむにゃむにゃさせた。
『ねぇね……なんか、変だよ』
「変ってなにが」
『いつもより、ぶすってしてる。考え事、してる』
「してないよ。心配しないで」
『ねぇね、いつもと違うこと、考えてる』
「うん、そうだね」
弟は小学四年生の時に亡くなった。その当時、陽菜乃は六年生だった。優しくて視野が広くて、友達の大切なものを一緒に大切にできる子だった。友達の好きなキーホルダーを落としてしまった川に入って、見つかったキーホルダーと流されていった。川の流れが急に変わったらしく、友達から聞いた話だと弟が「来ないで!」と鋭い声で叫んだらしい。亡くなって火葬が済んだ一週間後くらいから家のテレビ前に現れた。話ができることに最初は驚いたけれど、事故当時のことについて話をするうちに川にデカい怪物みたいなものを見たらしかった。最初は何を言っているんだと思ったが中学に上がってから陽菜乃も同じように変なものが視えるようになった。親との会話の中で弟が家にいることをぽろっと話してしまってから、父には他の人にはそういう話はしちゃだめだと釘を刺された。父も視える側の人間らしく、表向きは新聞記者だが本当の職業は霊能者だと明かされた。以来、あちこちを飛び回って仕事をする父は陽菜乃の身を案じて自分と怪奇の境界となってくれるお守りをくれた。一人でも大丈夫なように色んなことを教えられて、小さな芽を摘むくらいの能力が備わった。おかげで一人でも寂しくないし、家に帰れば理解者はいる。特に現状に不満はなかった。
学校の違和感くらいならわざわざ報告するほどのものでもないが、父に話せばなんとかできるだろう。夕日を隠すニワトリに関しては同じく視えているようで仕事ついでに調査をしているらしく、自分にできることは少なかった。
同じ境遇の人がいたら陽菜乃も同じように調査をしてみたかった。今のところマイナスに触れているこの特性を活かしたい。沈む夕日を部屋から眺めながら、帆夏と帰った日のことを思い出していた。
授業が全て終わって帰りのHRをしていると雷が鳴った。数秒後に雨が降り出して教室内がざわつく。予報よりも早く降り出したようだった。陽菜乃もまた傘を持ってきておらず、鞄に折り畳み傘がないか探したが見つからなかった。雨脚が弱まるまで教室に残る人もいて、明日までの課題をしながら時間が過ぎ去るのを待った。雨の音が弱まってきて、一人また一人と教室から出て行く。教室に残る人数が片手で数えられるようになると、教室に顔見知りの来訪者がきた。陽菜乃は困惑しながらも教室から出る。
「あっ、陽菜乃ちゃん!やほー」
「お久しぶりです。どうかしましたか?」
「やー、傘持ってないかなって」
「持ってないです。でも、もう少ししたら落ち着きそうだしそのまま帰ります」
「陽菜乃ちゃんも持ってなかったか。じゃあ傘貸してもらお!ほら荷物持って!」
「どこいくんですか?」
「上!」
意味が分からない状態で背を押されるまま二年のクラスのある二階へ連れていかれた。三組の教室前で立ち止まった帆夏は補習中の間芝と藤森を呼び出した。傘を持っていないかと聞くと二人とも折りたたみ傘を持っていた。帆夏は補習に付き合うと言って当たり前に教室に入っていった。話が見えないまま一人取り残されそうになって、陽菜乃も慌てて彼女の背に引っ付くように入った。久々に会った帆夏以外の同好会のメンバーに緊張して、慌てて佇まいを直した。帆夏に勧められるまま隣の席に座って、一つ空いた隣の席に座る間芝達の補習プリントを見る。他の生徒は解き終わったらしく教室はあっという間に同好会メンバーの四人だけになった。雨の音が強くなってきて外はすっかり雨雲で暗くなっていた。
「天久さんて頭良いの?」
「いえ、それほど賢くないです」
「これわかる?」
藤森に数学のプリントを見せられて、陽菜乃は一瞬困惑したが使う式を答えて自分なりに答えを出した。顔と名前を一致させるのは得意な方ではないため、心の中では癖っ毛とじゃない方で区別していた。陽菜乃からしたら彼の名前を思い出す方が難しく、ちらちらと帆夏に目配せをしてプリントの全面を見せてもらってやっと思い出すことができた。あまり特徴のない顔と声にどうやって覚えるかと悩んでいる間に、藤森にすべての解答について聞かれそうになって、途中で彼の策略に気づき自分で考えてくださいと言い放った。隣で聞いていた間芝と帆夏が白い目で見ていて、陽菜乃もなんとなくその雰囲気に乗っかった。
面白半分で話をしながら補習を終えた二人の折り畳み傘を借りて、それぞれ相合傘にして学校を出た。身長差と後輩ということもあって傘の柄を高く持っているとその手に帆夏の手が重ねられた。帆夏が何か言う前に陽菜乃は後ろを歩く藤森に代わってほしいと伝えた。その隣で間芝が噴き出す。
「陽菜乃ちゃん面白いわ~。山本のそのしつこいやつ同好会入ったらマシになるよ、たぶん」
「本当ですか?遠回しすぎる脅しですね」
「せめて何か言わせてよ陽菜乃ちゃん」
「若干キモいんでやめてほしいです」
「私末端冷え性なのよ、だから陽菜乃ちゃんで暖を取ろうと」
「藤森さん代わってもらっていいですか」
「いいけど、もうちょい優しくしてあげてw」
結局駅まで手を離してくれず、陽菜乃は三人と駅前で別れた。解散する前に、また同好会来てよと優しく歓迎されて困惑してしまった。間芝の傘を貸してもらって一人帰りながら帆夏の言葉を思い出した。
『面白いって思ったんなら入ってみるのもアリじゃない?』
転校前に感じた微かな希望は打ち砕かれたけれど、温かい小さな居場所ができるのは悪いことではないのかもしれない。一度振り払ってしまった手も意外となかったことになることを体感した。家の前に着いて、歩いてきた道を振り返る。しんとした寒さの中で、温かさが体の中に残っていた。
同好会の教室を前にして、やっぱり帰ろうかと階段の方を振り向くと上がってきた人と目が合った。間芝と藤森の二人は陽菜乃を見るなり嬉しそうにして階段を駆け上がり教室を開けた。
「ほら、入ろう」
「天久さん先入りな?」
二人に背を押されて、陽菜乃は教室で待つ帆夏たちに見守られながら怪奇調査同好会に足を踏み入れた。まだ少し戸惑いが残って立ち尽くしていると、陽菜乃ちゃん、と声をかけられた。少しだけ顔を上げると、四人の顔がよく見えた。ゆっくりと深呼吸をして、帆夏の横に立つ。
「先日はすみません。色々考えて、やっぱり入りたいと思いました。まだまだ未熟ですが、よろしくお願いします」
再度丁寧に頭を下げると、一拍遅れて拍手が聞こえた。改めて自己紹介をして、雑談をした。無意味とも思える時間だけど、それでも実りのある必要な時間だと感じた。四十分くらいで今日はお開きとなり、旧校舎を出る頃には雨は止んでいた。
昇降口を出た先で雲の隙間から差し込む光を眺めていたら、恐竜に似たカラスが口を開けて陽菜乃の方に向かってきた。びっくりして固まると、隣にいた越谷に肩を持たれて左へ引き寄せられた。軌道を逸らされたカラスはそのまま後ろへ墜落したようで砂の舞う音が聞こえた。小声で何か聞こえた気がして、彼の方を見る。
「わ、悪い。違うんだ、これはその」
「今の、”視えた”んですか」
「えっ」
「だって、私のことかばって……くれたんですよね」
一連のことに気づかない二年生たちは後ろにいた陽菜乃たちに目もくれず校門を出て行った。辺りが静かになって、何事もなかったように空は白く眩しく光っていた。周りに人は見当たらなかったけれど、陽菜乃は体育館横まで連れられた。越谷は驚きを隠せない様子で陽菜乃に説明を求めた。陽菜乃も先ほどの現状に頭が追いついておらず、ゆっくりと事情を一から説明した。自分のことと、怪奇調査同好会に入ろうとしていた当初のことを話すと越谷は納得したように頷いた。越谷も同じ”視える”人で、彼もまた中学生の頃に見えるようになったことを教えてくれた。
「じゃあ、怪奇調査同好会ってそういう意味なんですか」
「ああ。設立したのは兄だ。俺はその後を追って入ったんだ」
「でも、今の活動内容ってどうなんですか」
「元は同じ人がいないか探すために設立されたんだ。今は俺以外は何も感じなそうだし実体験もフィクションだと思っているらしい。だから、仕方がないと割り切っていた」
「なにか、できないんですか。私は調査がしたくて入ろうと思ってたんです」
陽菜乃の訴えに越谷は口を引き結んだ。数秒考える仕草をした後、失われた活動を取り戻すと宣言した。そのためには他のメンバーを説得しなくてはならない。どうにかしてやれることを探そうと二人で手を組み交わした。
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