年上の後輩

立入禁止

年下の先輩と年上の後輩

 今日、本社に人が配属される。しかも自分が所属してい部署に。

 噂によれば、仕事はできる、容姿端麗、コミュニケーション能力も抜群等々、完璧すぎる人物像だ。

 そんな完璧すぎる人の教育係に指名されたのは私だった。

 上司には即答でノーを叩きつけたが、それをまた色々な好条件をつけて返され、私にとってはイエスの選択肢しか残らなかったわけで。

「えー、本日我が部署に配属された、羽酉憂さんだ。皆、よろしく頼む。羽酉さんからも一言どうぞ」

 羽酉さんと呼ばれた女性は一礼をして話し始めた。

「今日からこちらで働かせていただきます羽酉です。宜しくお願いします」

 凛としていて透き通った声だった。

 声までいいとかずるくないか。

 羽酉さんの挨拶が終わったあと、同僚はじめ私も軽く挨拶をして朝礼は終わり。その後、目が合った上司に手招きをされ小走りで向かう。

「大橋、羽酉さんの教育係を頼んだぞ。大橋の方が年数的に先輩なんだからな。羽酉さんも何かあったら遠慮せず、大橋なり俺でも誰でも聞いてくれて構わないから」

 じゃあ、と自分のデスクを戻っていく上司を見送り、羽酉さんに向き合って再度自己紹介と挨拶を交わす。

「羽酉さんの教育係を務める大橋です。わからないことがあれば、気にせず伝えて下さい」

「はい。宜しくお願いします。なるべく早く覚えれるよう頑張ります」

 はにかんで笑う仕草に、美人って罪だわぁと思ってしまった。しかも、私より年数がしたということは後輩ということになるということにも驚いてしまった。が、教育係という名ばかりで、こちらが三くらいまで教えると十くらいまで理解してこなしてしまう羽酉さんに、もはや私の存在とは?と聞かざる得ない状況だった。

 お昼になり、日頃からお弁当を持参しているため食堂には行かない私とは違い、彼女はどうなんだろうか。

「羽酉さんは、お昼は社食ですか?」

「はい。そうですね。本社のご飯は美味しいと聞いたもので、食べてみたいなと思っていまして」

 あー、確かに本社の社食は食にうるさいらしいという噂だ。

 去年、就任した専務が社長に直談判して社食に力をいれたとかなんてか言っていた気がする。

「じゃあ、食堂まで案内しますね。もしかして誰か約束している人とかいますか?」

「いませんけど、大橋さんの手を煩わせるわけにはいかないというか、なんというか……」

「それは、気にしなくて大丈夫です。私は弁当を持っていきますし、初日くらい私と食べてくれたら嬉しいなって思うんですけど、駄目ですかね?」

 羽酉さんに気を使わせないように、わざとらしくしょげてみる。

「そ、そんなことありませんよ。私の方こそ助かりますし嬉しいです」

「良かった。時間も限られてますし、なにより限定食とかあるらしいので早く行きましょうか」

 こっちこっちと手招きをすると、ちょこちょことついてくる仕草に仕事の出来る大人な女性とは違う、可愛らしいというまた別の印象を持った。

「うわぁ……」

 食堂につくと想像以上に変わっていて驚いた。

 リニューアルしてからは来ていなかったし、前の社食は正直私の口には合わなかったのもある。それ以来、買い弁か自分で作ったお弁当ですませていたが。リニューアル後はどうかというと定食の幅も広がり、全て美味しそうなのだ。

 今日はお弁当を持ってきてしまい残念だと思ってしまったくらいで、明日は社食にしようと決意した。

「私は席を取っておくので、羽酉さんはゆっくり選んできてください」

 急いで来た為かまだ人も少なく、食堂の席は選び放題で他の席と近すぎない場所を陣取った。

 羽酉さんを待っている間、ふと目に入った自販機に向かう。自販機もリニューアルしていて種類も豊富で賑やかになっていた。

「これからこっちで買うのもありだなぁ」

「何がですか?」

 一人言を呟いたはずなのに、それに対しての返答に肩がビクついてしまう。

 いつの間に後ろにいたのか。

 私の様子に羽酉さんは、ふふっと笑い声が漏れていてジト目で見るが、羽酉さんは悪びれもなく笑いを堪えていた。

「ふふっ、すみません。あまりにも可愛らしくて……っふふふ」

 どうやら羽酉さんのツボに入ったらしい。目尻に涙まで溜めている。

「は、早く飲みたいものを選んでください」

 恥ずかしくなり、そこから気を逸らす為に飲み物をすすめるが遠慮するので、このままでは埒が明かないと思い奥の手を出すことにした。

「先輩命令です。選んでください」

 今の時代、一歩間違えばパワハラ案件になりかねないよなと思いながらも羽酉さんに促す。

「……では、お言葉に甘えて」

 羽酉さんが押したボタンはレモンティーだった。

 コーヒーやカフェオレかと予想していたのだが。なるほど、コーヒーより紅茶派なのか。

 そういう私はというと。

「えっ……」

「ん?」

「メロンソーダ、なんですね」

 普通に聞こうとしてくれてますけど、口角が微妙に上がってますからね。

「なにか?」

「いや、可愛らしいなと思っただけです」

「メロンソーダは可愛い系じゃないですから」

「可愛いじゃないのならなんですか?」

「ワイルド系です」

 その言葉に耐えきれなくなったのか、ぷはっ、と空気が漏れて笑いのツボに入ってしまった羽酉さんをもう一度ジト目で見つつ、先に席についた。

 少し遅れて羽酉さんもやって来たが、相変わらず肩が震えている。

「ふふっ。くふ、ふっ、あの、すみません」

「笑いながら謝罪をされても誠意が見られませんから。もう、それはいいですから。冷める前に早く食べますよ」

 クールかと思いきや、笑い上戸とは……。

 ギャップも兼ね備えてるとは恐るべし。

 そういうギャップは私の心臓にも悪いからやめてほしい。

 羽酉さんは、つくづく罪作りな人なんだろうなぁと思ってしまった。

 お昼の後は、また仕事について教えていたが……。

 予想していたよりも教えることがないくらいに出来る為、私の存在意義とは?と今日何度目かのデジャブに陥ってしまうくらいだ。

 無事に初日を定時で終えることが出来た。が、この後羽酉さんの歓迎会があるのだ。

 待ってましたとばかりに、朝から話したかったのか、羽酉さんのまわりにはいつの間にか小さな人集りが出来ていた。

 まぁ、大丈夫だろう。

 羽酉さんを他の人に任せ、先に一人で歓迎会の場所まで向かうことにした。

「お疲れ様です」

 歓迎会の会場についてすぐに店員さんに案内されれば、そこには既に幹事の同僚がいて、挨拶もそこそこにいつでも帰っていいように先にお金を払うと苦笑いをされたが小言も無く。その後に来た人達の対応におわれていた。

「……あの辺かな」

 あとは適当に、目立たないところに座席を決めて座るだけ。

 数十分後には、大所帯で羽酉さん達がやってきて歓迎会が始まっていった。

 歓迎会が始まってから、終始、羽酉さんのまわりには人集りが出来ていて。男女問わずモーションをかけている様子を唐揚げを食べながら遠くから眺めている。

「大橋は行かなくていいのか?」

 向かいに座っていた上司に促されたが、それを苦笑いで返すと上司は笑っていた。

「私は、みんなより話す機会がありますから。今日、初日でしたけどかなり出来ますよ。教育係なんて必要無いと思います」

「そうかそうか。でも最低三ヶ月はついてもらわないとな。条件に見合わないだろう。条件の一個に教育係は今回だけということだからな」

 がはは、と笑う上司に苦笑いで返しておく。

 今回だけではないが、教育係をやりたくないやりたくないとごねた結果。今回の一回だけでいいと言ってくれたのだ。

 その一回をやるなら、その間の定時帰宅、仕事量の見直し、他部署の異動と条件にあげてみると笑われたが、検討しておくと言われたからこそ引き受けたのもある。

 前々から、他部署への異動は希望していた。

 今の部署が特別嫌いというわけではない。人はいい。問題は仕事量なのだ。

 入社五年目にして、ある程度のことは任せてもらえる立場になったのはいい。けれど、それに伴い残業も増えていき、終電前に帰れればいいけど、なにかと失敗があった時なんて泊まり込みになっていた。

 他の部署では定時に帰れるところも少なくないのにだ。

 残業代が出るにしても、これ以上働きたくない。家に帰ってゆっくりしたい。

 終電で帰る生活に疲れて果ててしまったのだ。

 来年度には異動出来るように交渉はしている。というより今回の条件にも入っている。上司も考えてくれていると思う。そう思いたい。

 羽酉さんが早く育てば……。いや、もう育っているか。初日にして、名ばかりの教育係だし。

 上司と適当に話ながら横目に羽酉さんの方を見ると、にこにこと楽しそうに皆と打ち解けている様子だった。

「もう打ち解けているなぁ」

「そうですね」

 私があれこれしなくても大丈夫だろうと確信してから上司に断りをいれ、そそくさと歓迎会をあとにした。

「あの感じなら、私がいなくなってもバレないというより問題ないでしょ。あぁーあ……今日も疲れたぁ」

 帰ったら湯船に浸かって早めに寝よう、と考えながら帰路を急いだ。

 そこから三ヶ月が経つ頃には、羽酉さんは私の存在など必要ないほどまでに仕事が出来ていた。

 すでに一人立ちしているようなものだ。最初からそういう感じだったけど……。

 上司に、これまでの羽酉さんの仕事ぶりや就業態度等を報告書に纏めて提出しに行く。

「お願いします」

「おー、ありがとう。まぁ、一応聞かれたら困るから会議室行っとくか」

「はい」

「おーい。ちょっと俺と大橋は席を外すから、なんかあったら第二会議室までよろしくたのむー」

 誰かが「はーい」と返事をしたのを尻目に、私と上司は会議室へと向かった。

 会議室に着くと、私が渡した書類を見て上司は何度か頷いている。

「問題なし、か。むしろ出来すぎるな」

「そうなんですよね。まぁ、即戦力なのは助かりますけど。もう教育係はいらないですよね?」

 嬉しさが隠せなくて口の端があがってしまうが、キュッと口を引き締めて上司の返事を期待して待つ。

「まぁ、そうだな。けど、本人はまだ不安みたいだから、もう少しついててほしいというところだな」

「えっ?」

「あー、この前、羽酉に聞き取りをした時に言われたんだよ。まだ不安要素が多いので大橋についててほしいってな。頼りになる先輩だって言ってたぞ。まぁ、頼りにされて好かれてるってことは良いことだ」

「……そうなんですかね」

「そうだぞ。おっ、なんか不満があるのか?」

「ありません。名ばかりだけの教育係ですけど、やらせていただきまーす」

「あはは、そう不貞腐れるな。異動の件も踏まえておくから。そのまま昼に行っていいぞ。ほれ、頑張ってるから食券もサービスしてやる」

 手渡された食券を見ると五枚程あった。

「こんなにいいんですか?」

「食券で喜ぶなんて安すぎるぞ。気にするな、日頃の頑張りにしては安すぎるけどな。がはははは」

「素直にいただきます。ごちそうさまです」

「じゃあ、羽酉のことはよろしく頼むな」

「はい」

「先に戻るな」と片手をあげて会議室から出ていく上司の背中を見送った。

 見送ったあと、少し早めのお昼ご飯を食べに食堂へと向かう。

 羽酉さんと食堂に行ってから、次の日にはもうすでに羽酉さんは他の同僚に誘われているのを見かけてコミュ力の強さを目の当たりにした。なんならその後も誘われているのを何度も見かけたくらいだ。

 本当は次の日に誘おうかなと思っていたが、コミュ力不足な自分としては誘うでもなくというか誘えず。結局一人で食堂に向かい、気になっていた定食をカウンター席で食べた。なんなら想像以上に美味しくなっていて、お弁当の日を減らしたくらいで、今では食券を貰えたことに喜んでしまうほどまで食堂に通っている。

 初日の時以来、羽酉さんとは一緒にご飯すら食べていない。なんなら、小休憩も一緒にとってなかったのだ。

 それにだ。教育係もしているようで、わからないことを聞きに来る羽酉さんに私が教えるよりも先に近くにいる同僚が横から口を挟んで教えてくれたりしてもはや立場もない。

 私はといえば本当に名ばかりなもので……。

 しくしく……それでも頑張ってるもんね。

「今日は贅沢に限定食にしよっかなぁ」

 上司がくれた食券は日替わりのみではなく、ワンランク上の限定食も頼めるお高めのやつだった。

 少し、いや、名ばかりすぎる教育係について自己嫌悪に陥るメンタルと、それなのにまだ教育係をしてほしいという訳のわからない要望になんなんだと少しの苛立ちを覚えてしまい、このモヤモヤとした感情を何処かに捨てていきたい気分にもなってしまっていた。

 けれど、これも仕事のうちだと言い聞かせるしかない。

 お高めな食券ももらってしまった。

 私がいなくても大丈夫であろう手のかからない年上の後輩は、大変助かるのは間違いないし手がかからないなら名ばかりだけでもいいじゃないか、なんてポジティブに考えながら食堂の人に食券を渡そうと向かうところで声をかけられて驚いてしまう。

「お疲れ様です」

「うわっ……」

 まだチャイムも鳴ってないのに後ろから声をかけられ振り向くと、そこには羽酉さんがいた。

「あの、すみません」

 少し……いや、普通に笑いながら言ってくる様子にジト目で返すが効果なし。

「それ、謝罪になってませんからね。まぁ、それはいいとして、羽酉さんもお昼早くないですか?」

「そうなんです。他の部署に提出書類を出しに行ったら、そのままお昼に行ってきていいよと言われたのでそのまま来ました」

「へぇ……」

 ということは、羽酉さんは一人でご飯?

 初日以来、一緒に食べていなかったし、なんなら誘う以前に常に誰かに誘われていたからそこまで気にもとめてなかった。なんてのは嘘で、一回誘おうとしたけど先を越されて出鼻を挫かれしまっただけだ。

 たまには、先輩らしいこともしたい気持ちにもなるもので……。

「なに食べるか決めました?」

「えっと、大橋さんは何にするんですか?」

 私の言葉に急いで今日の献立を見ている羽酉さんに限定食と伝える。

「じゃあ、私もそれにします」

 食券を買いに行こうとする羽酉さんを引き止めると、きょとんとした表情に幼さと可愛さが混じっていて思わず可愛いね、なんて言いそうになってしまうお口は閉ざした。

「今日は私にご馳走させてください。と言っても貰った食券だけど」

「えっ、あの、」

「はーい、そこは気にしなくていいでーす。先輩らしいことをたまにはさせてください。名ばかりですが、一応教育係なので」

 あははと笑って言うと、羽酉さんは少し困ったように笑っていた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

「任せてください」

 私が胸を叩いて見せたら、表情を崩して笑ってくれた。困らせたいわけじゃないからよかった。

 余裕で限定食も確保できて、次は……。

「えっと、羽酉さんは誰かと約束してます?」

「してましたけど、先に来てしまったので無いようなものですね」

 あー、やっぱり約束してたか。

 チャイムが鳴れば来るはずだし、邪魔にならない距離感で食べれるとしたらと辺りを見渡して席を探す。

「それじゃあ、あそこの席で一緒にどうですか?」

「私はいいですけど、大橋さんはいいんですか?」

「えっ、なにが?」

 年下の後輩ならため口でもいいかもだけど、年上の後輩となるとため口は気が引ける。

 最初は敬語にしていたが、途中からはため口と敬語が入り乱れてしまい、はじめこそは気にしていたが羽酉さんから気にしなくてもいいと言われて、今では少しの敬語とたくさんのため口になってしまっている状態だ。

「私と食べてくれるんですか?」

「は? えっ、そのつもりだったんだけど、だめとか? あっ、嫌だった?」

「嫌とかじゃないです。私は食べたいって言ったじゃないですか。大橋さん、なんというかあまりそういうことを他の人にしているのを見たこと無いので苦手なのかなと思って」

 あー、確かに。

 みんなで食べるのも嫌いではないけど、基本的には一人で食べてるのはある。

 自分のペースで食べれるし、なんならご飯にだけ集中できるし。そんなことを今言っても気を遣わせるだけだから言わないけど。

「そんなこと無いと思うけどなぁ。まぁ、今日くらいは羽酉さんを一人占め? これはセクハラになっちゃうか。可愛い後輩……。うーん、全部セクハラになりそうな発言すぎるな」

「っ、ふふっ」

 私の様子に羽酉さんは笑い始めた。

「人が真面目に考えてるときに笑わないでくださーい」

 ジト目で見るが、効果はなし。

「すみません、大橋さんが可愛すぎて。要は私と食べたいって思ってくれてたんですよね?」

 こてんと首をかしげる仕草に、ぶわっと身体の熱が上がった気がした。

 顔がいいって凄くてずるい。

「はいはい。そういうことにしておいてあげます」

 顔を見られないよう、先に席まで歩いていくと背後で笑ってる気配がしつつ、ついてくる羽酉さんになんともいえない気持ちが込み上げてくる。

 …………くっそう。いつか仕返ししてやるもんね。羽酉さんのことを絶対に照れさせてやるんだ。

「じゃあ……」

「いただきます」

「いただきます」

 席に座って食べ始めてからお互いに、「これ美味しい。これも美味しい」と話していると、お昼のチャイムも鳴って食堂に少しずつ人が集まり始めた。

「あー、羽酉さんいたいたー」

「本当だ。よかった」

 そう言ってこっちに向かって来たのは、同じ部署のこれまた後輩だった。

 さっき言っていた約束して子達はこの子達のことだろう。

 いつもより早めにご飯を食べる意識をしていたおかげか、あとはデザートのみだった。

 デザートは持ち帰りできるものになっているから、実質ほぼ食べ終わっていることになる。

 羽酉さん達は、私のことなど目に入ってないのか、夢中な様子で話し込んでいる。

 それならそれでいいんだけど……。こういう時、少し感じる疎外感にいたたまれなくなってくるよね。

 ……デザートは持って帰ろう。

 そろそろ席を離れようかとしていたところ、二人のうち一人が私に気がついた。

 私はさっきからいたんだけどね……。

「大橋さん、お疲れさまです」

「んー、お疲れさま。今からご飯だよね? ここ空くから二人とも座って」

 急いで食べてたから、お腹がきつい。出来ればゆっくりしたかったし、なんなら羽酉さんともう少し話したかったけど、後輩達の邪魔はしたくないし気を遣わせるのも悪いし、でも居なくなることでより気を遣わせるのもなんか嫌で。この空気が壊れないようにと思いつつ、なるべく爽やかに去ることにした。

 きっと爽やかにできたはず、だと思う。

「あの、ありがとうございます」

「すみません。ありがとうございます」

 ちゃんとお礼の言える出来た後輩達だ。

「気にしなくていいよー。ごゆっくり。羽酉さんも付き合ってくれてありがと。じゃあ、お先に」

 羽酉さんは何か言いたそうな表情をしていたけど、気を遣わしたんだろうなぁと申し訳ない気持ちになった。

 食器を返す際にちらりと羽酉さん達を見ると、楽しそうに話していたのを見て気にすることでもないかと食堂を後にした。


「だあぁぁぁぁぁ、くっそが」

 乱暴に指でキーボードを叩きつけながら暴言を吐いていく。

 あれから仕事に戻るとトラブルが発生していて、その原因が私ではなく最近一人立ちし始めた羽酉さんとは別の後輩のせいだった。

 俺に任せてくださいとやる気満々で上司に掛け合い、仕事もそこそこ慣れてきたから大丈夫だろうと任せた案件でやらかしたのだ。

 運の悪いことに前担当者は休みで、私ではないのに上司の指示で先方に謝罪をすることに。

 急いで先方に出向くと怒り心頭だったが、前の担当者とは良好なお付き合いをしていただけあって契約破棄ともならず新しい企画の提案、担当者の替えとその他もろもろを要求される程度ですんだ。

 定時前に職場に戻ると、空気が重い。

 近くにいた同僚に聞くと、例の後輩は謝罪するにはしたらしいがメンタルがやられたので帰りますと勝手に帰宅してしまったらしい。

 逆にメンタル強くないか、と思ってしまうがどうなんだろうか。

 上司に報告をすると、新しい担当者はその場にいた私にされ、なんなら企画やその他の書類全てを任せられるというか丸投げされた。

 上司にすまないと皆の前で頭を下げられれば、嫌だけど、すごく嫌だけどやりますよ、ってなるわけで。

 そして絶賛残業中となっている。

 羽酉さんの仕事の進捗を確認しに行き、定時に帰れる様子だったから「それが終わったら定時で上がってね」と一声かけてから自分のデスクに戻っていく。

 そこからひたすら前のやつの企画を見たりして、修正をかけたりなんなりしていると、また一人、また一人と帰っていく。

 最終的には上司と私だけになったが……。

「可愛い可愛い奥さんと娘ちゃん待ってますよー。私のことはいいんで帰ってください。早く帰らないと娘ちゃんに相手にされなくなりますよ」

 上司にそう言うと「でも」としぶりだしたから、大丈夫だという旨を伝えて無理矢理にでも帰ってもらう。本当にすまないと再度頭を下げられ、また食券でいいですよと笑って言うと上司も笑ってくれた。

「大橋は安いな。それなら任せろ。今日の倍以上用意しとく」

 いつも通り豪快にがははと笑って、私に泊まりは禁止と忠告して帰っていった。

 時刻は二十一時。

「終わんないな……」

 終わりが見えない。見えなさすぎる。

 ともなれば叫びたくなるのは仕方がないもので。

「くそっ、くそっ、くそっ……このキーボードはこうでこうでこうしてやる」

 オフィスに誰もいないからと、一人言を次々に吐き出していく。

 一人と思って居たはずなのに後ろから突然「お疲れさまです」と声をかけられ、それはもう声もでないくらい盛大にびくついてしまった。

 恐る恐る振り返ると、そこには羽酉さんが口元に手を置いて必死に笑いを堪えていた。

「いや、なにしてるんですか?」

 毎度毎度、驚かされる身にもなってほしい。

 恥ずかしさを隠すように、ぶっきらぼうに言ってしまう。

「すみません。大橋さん、夕飯はまだですよね?」

「あー、うん。まだだね、けどそろそろ終わるから大丈夫」

 うそだ。終わらないから明日にしてしまおうと思っていたところだ。

「これ、よかったら」

 そう言って渡されたのは、お昼に食堂で話した時にちらっとここのお店美味しいよと教えた焼肉屋さんのお弁当だった。

「えっ、いや、申し訳ないので……」

 断ろうと言葉を発している途中で、きゅるるるるるとお腹がなってしまう。

 一気に顔が熱くなるし、そのまま羽酉さんを見るとまたもや口元を手で押さえているが、肩が小刻みに揺れていた。

「っだぁぁぁぁぁ、貰います。ありがたくいただきます」

 羽酉さんが差し出している袋を素直に受け取った。

 その手はお腹にいき、口元とお腹を押さえたまま肩を震わしている様子に、私の熱は一向に引かない。

「笑うのやめてくれますか?」

「っ、くっ、だって、大橋さん……くふふっ」

「もう、いいですよーだ。遠慮なくいただきますし。あっ、これいくらでした?」

 わざわざ買ってきてくれたのなら申し訳なさすぎる。お金くらいは払っておきたい。

「日頃お世話になってるお礼なのでって、安いもので申し訳ないのですが」

「えー、私の方が申し訳ないというか。後輩からそういうことされたこと無いし嬉しいからありがたくご馳走になっちゃうけどいいの?」

「えっ?」

「ん? どうしたの?」

「大橋さん人気なので、てっきりそういうことの方が多いのかと勝手に思ってたので」

「へっ? 人気なのは羽酉さんでしょ。いつも誰かに誘われてるし、話してるじゃん。気を遣わなくていいよ」

「気を遣ってるわけではなくて、本当なんですよ。今日のお昼の子達だって一緒にご飯食べたかったって嘆いてましたし、なんなら今日のご飯も誘いたがってましたよ」

「そんなこと言ったって誘われてないし、人気があるとか信じらんないもん」

 つい拗ねてる口調になってしまい、恥ずかしくて羽酉さんから目を逸らす。

「……かわいい。そんなのみんなが好きになっちゃいますよ」

「は? なにそれ。ならないよ、なるのは羽酉さんにでしょ」

 羽酉さんの言動の意味がわからない。自分が後輩から好かれてるなんてない。

 先輩からはあっても、後輩からは飲みにもご飯にも誘われたことすらないのだ。

 私から誘ったこともないけど……。

 人気者な人に言われても嘘くせぇってなるよねぇ。

「はぁ……本当に気づいてないんですね」

「だから、何が?」

「付け入る隙があれば狙われてますよ。みんなタイミングを狙ってますから。少しだけでもいいので気をつけてください」

 頭を撫でられて、その行為に顔が熱くなる。

「子供扱いすんなし。だから、そういうのは羽酉さんが気をつけなって話でしょ。いつも誰かしらに話しかけられて人気者な人に言われても信じらんないって言ってんじゃん」

 撫でられたところに感触が残ったままのが、なんか嫌で頭を自分の手でくしゃりとしてしまう。

「大橋さんは、いつも私のことを見てるんですね」

「は?」

 顔をあげると必然的に羽酉さんと目が合った。

 羽酉さんの目は綺麗に弧を描いていて、とても楽しそうに口元も弧を描いている。

「いつも見てるのは、その……教育係だから」

 何故だか語尾が弱々しくなってしまった。

 別に悪いことをしたわけではないのに居心地が悪い。

「そうでしたね。教育係として仕方なくですもんね。私とご飯も仕事も一緒にしてくれるのも仕方なくなんですよね。今日のお昼も好きでもないのに気を遣ってくれて、一緒にいてくれてただけだったってことですよね」

 羽酉さんの顔が笑顔からどんどん表情が暗くなっていく。

「もうっ、違うってば。羽酉さんのこと好きだし、仲良くなりたいから今日のお昼もご飯に誘ったの」

「…………」

 少しの沈黙が息苦しく感じる。

「羽酉さ、」

「……へぇ、私のこと、好きでいてくれてたんですね」

 勝手に勘違いをされ、ムカついた勢いのまま話してしまったが、羽酉さんの指摘に気がついてハッとする。

「いやっ、ち、違うくて、その好きは変な意味合いとかは全然ないので安心していただければ、これ幸いといいますか。ほら、愛でていたいとかそういう、あっ、それは発言的にアウトか。あれだあれ、あの、憧れてきなやつみたいな感じでして、なんというかつい好きって言葉がつい出てしまいましたということであります」

 焦りすぎて変な言葉遣いになってしまうが、そこに構っている時間はない。

 言い訳に言い訳を重ねて、泥沼にハマっている感覚に陥ってしまう。というか、なんの言い訳をしてるんだよと考え直すが、それよりも羽酉さんの反応が無いことに気がついて視線を移すと……。

「顔が赤い」

 私のついつい出てしまった言葉に、もう一段階あったのかというくらい、羽酉さんの首まで朱に染められていった。

「えっ? 大丈夫?」

 もはや、なにがなんだかで心配になってしまう。

 椅子から立ち上がり、俯いてしまった羽酉さんの顔を覗き込んで声をかける。

「本当に大丈夫?」

 そう言って手を伸ばしたところで掴まれて、羽酉さんの方に引き寄せられた。

「うっわぁ」

 普通ならきゃっとか可愛い声だろと反省するが、私からその類いの悲鳴は出たことすらない。

 気がついた時には、ぽすっと羽酉さんの腕の中に閉じ込められていた。

「ちょっ、羽酉さん?」

 反射的に肩を押して離れようとするも、それよりも強い力で抱き締められてしまうのだ。

「もう、本当にどうしたの?」

 解放されることはないと諦めて、大人しく腕の中に収まると腕の中で聞こえてきたのは……。

「心臓早くない?」

 思わず口から出てしまった。

 だって、この心音の早さは私じゃないのは確かなのだ。

 羽酉さん、もしかして体調悪くなったとかじゃないよねと心配になってしまうくらいで。

 動悸息切れのお助けマンの救○は持ってはいない。

「ねぇ、羽酉さん本当に体調悪いとか?」

 顔色とか様子も、もしかしたらおかしかったのかもしれない。

 羽酉さんの顔がみたくて、再度腕から逃れようとしてもやっぱり解放してくれなくて腕の中に閉じ込められたまま。

「…………はぁ」

 今まで無口だった羽酉さんがため息を吐いた。

 そのため息がたまたま私の耳にかかり、ぴくっと無意識に反応してしまうのは仕方がないと思う。

「本当、無自覚の人ほど罪作りですよね」

「えっ、なにが?」

 急にどうしたのか。

 不意に耳元に唇を寄せられ……。

「覚悟しといてくださいね」

 不意に耳元に暖かいものが触れ、発せられた囁く声は低く甘く。その言葉が脳に響いた。

 直感でこれはやばいと肩を押すと、ようやく腕の中から解放される。

 耳元に残る、ぞわぞわとする違和感が気持ち悪い。

 それをなんとかしたくて、耳を揉んだりしていたら羽酉さんが笑っていた。

「っなに? 喧嘩でも売られるの?」

 覚悟ってなんだ?

 私がなんかしちゃったのか?

「いや、喧嘩とかじゃないですよ。ただ、大橋さんに自覚してもらいたいことがあるなって思って」

 そう言って羽酉さんは微笑んだ。

 わぁ、綺麗な笑顔。なんて素直に思えるわけもなく。

「気がつかないうちになにかしちゃってたとか?」

「うーん、それも含めて気づかせていきますので楽しみにしていてください。今日はこの辺でお先に失礼します。また来週からよろしくしくお願いします」

 そう言って爽やかに去る姿を、何も言葉を返せぬまま見送った。

 もはや、わけがわからなすぎて仕事どころではない。

 今日はもうお弁当を持って帰ろう。

「来週、大丈夫かな?」

 羽酉さんへの今までの接し方を思い出しても、なにも心当たりがないのだ。

「あー駄目だ。思いだせん」

 家に帰り、ベッドに横になる。

 思い出すのは羽酉さんの赤くなった顔だった。

 なにが原因かはわからないし、あれが体調が悪いじゃないとなれば照れていたということになるだろう。少しでも一矢報いることが出来たみたいで嬉しくなってしまう。

「可愛かったなぁ……」

 思わず口から漏れてしまった言葉は無意識のもので。羽酉さんのその姿を思い出して口元が緩んでいくと同時に、欠伸が出てきて眠気も襲ってきた。

 とりあえず、覚悟については忘れてしまおうと思いつつ、気持ちのいい微睡みのなか意識を手放していった。



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