エピソード22


現場に近づくにつれて、パトカーの赤いランプが遠目にも確認できた。

俺は虎時に促され、彼と一緒に現場へ向かっていた。


後部座席では、俺も虎時も無言のまま。

ときおり、状況を伝える無線の声だけが車内に響いていた。


到着したのは、閑静な住宅街のまっすぐな道路。

通学路としても使われているのか、アスファルトには「スクールゾーン」と白線で書かれている。


周囲には立ち入り禁止を示す黄色いテープが張られ、事故処理班が現場検証を始めていた。

数人の警察官が、近隣の住民らしき人物と話をしている。


「……これは、ひどいですね」

口元に手を当てながら、天羽がなんとも言えない表情を浮かべた。


車は前面から電柱に追突しており、まるで抱きつくようにV字型にめり込んでいる。

フロントガラスは粉々に砕け、周囲にはガラス片が飛び散っていた。

足元には、血のついた破片も落ちている。


「被害者は……」

思わず声が漏れる。


そのとき、虎時の姿を見つけた警察官がひとり、こちらへ駆け寄ってきた。

「お疲れ様です、信坂警部」

敬礼し、背筋を伸ばす。


――虎時って、意外と上の立場だったのか。


「状況はどうなんだ?」

「はっ、自動車の単独事故のようです。被害者は運転手の男性一名。現在、頭部外傷で救急搬送されたとのことです」

「それで、事故の経緯は?」


事故処理班の説明によると、被害者はこの近隣に住む三十代の男性。

最近、新車を購入したばかりで、今日は昼からの出勤予定だった。

普段どおりこの道を通って会社に向かっていたが――


「このあたりに差しかかった時、突然、車が制御不能になったそうです」


「……急に、制御不能?」

思わず声を上げると、そばにいた警察官が怪訝そうな顔をした。


「あぁ、この人はいい。いま、捜査に協力してもらってる」

虎時のひと言で、警察官は姿勢を正し、俺に説明を続けた。


「そうらしいです。ただ、この見通しのいい直線道路で、いきなり制御不能になるなんて……。

かなりのスピードで電柱に衝突したようです」


彼は言葉の合間に、破損した事故車を一瞥した。


「この時間でよかったのかもしれませんね」


――もしこれが登校時間だったら。

考えるだけで、背筋がぞっとした。


「で、この車は新車だったそうだな。なら、ドライブレコーダーが搭載されているはずだ」

「はい、いま情報を転送してもらっています」


天羽がノートパソコンを開き、指を走らせた。

その横顔は真剣そのもので、画面を見つめる目はわずかに揺れている。


画面には、事故直前の映像が映し出された。

車は静かに走行していた。速度も規定内。操作に乱れもない。

ごく普通の日常の一部のように思えた――が。


 キュウルルルル……。

耳の奥で軋むような金属音が、かすかに鳴り始めた。


「……この音、何かが擦れているのか? それとも……」


誰かが呟いた直後、車内のスピーカーが奇妙な電子音を吐き出しはじめた。

ノイズ混じりの音声と共に、何かが**“巻き付く”ような摩擦音**が響く。


――「おい、おいって!! 一体なんなんだよ!! ヤバい、ヤバいって……!」


映像の中で、運転席の男が動揺し始めた。


――「なんでだ! なんで勝手に動いてるんだ!!」


突然、ワイパーが規則性もなく激しく動き出す。

ガチャン、ガチャン――ドアロックが開閉を繰り返し、室内灯が点滅する。


「……まるで、意思を持っているみたいだな」

天羽がそう呟いたその時、スピードメーターが一気に跳ね上がった。


――「スピードが上がってる!? 止まれ、止まれぇぇ……!」


映像の最後、車は迷いもなく電柱へと突っ込んだ。

男の叫び声とともに全身が宙に浮き、そのままフロントに激突して――画面が真っ白にノイズで染まる。


「…………酷いな」


誰も口を開けなかった。

ただ画面を見つめ、被害者の絶叫が頭から離れない。


「これは……一体、何が起こったんだ? こんな制御不能、ありえるか?」

「普通は考えられませんね。電気制御のエラーにしても、ここまで急激な反応は――」


虎時が黙ってこちらを向いた。


「伊禮、お前はどう思う?」


俺は言葉に詰まりながらも、胸の奥に渦巻く違和感を吐き出した。

「……制御不能? いや、違う。むしろ……車自体に、何か“意思”のようなものがあるように見えた」


「やっぱり、この前の“ラジオの異変”みたいな――」

虎時が言いかけたその言葉で、映像の記憶とあの不可解な現象が重なった。


目に見えるものが、すべてとは限らない。

そんな感覚が、皮膚の内側にひたひたと染み込んでいく。


「少し調べてみないと断言はできない。ただ……異常の根源が、この車“そのもの”なのかも疑わしい」


「……ああ、わかった。天羽、この件の記録と映像、伊禮にも共有してやってくれ」

「了解です」


天羽は頷いたが、その声にはいつもの軽さがなかった。


俺と虎時は事故車に近づいた。

フロントは潰れ、ガラスは散乱し、車内には鉄と血の混じった匂いが満ちている。

新車とは思えないほど、変わり果てた姿だった。


「虎時」

俺はポケットからガラケーを取り出した。

彼は小さく頷く。すでに意図を汲んでいた。


カシャン、カシャン。

連写音が無機質に響く。

外装からフロント、シート、ダッシュボード、ガラス片――すべてを記録する。


――何かが、写り込むかもしれない。


「信坂先輩、警察でもないのに……撮影って大丈夫なんですか?」

天羽が気にしたように小声で聞いてくる。


「ああ、大丈夫だ。伊禮は正式な協力者だからな」


――つまり、信頼されているってことか。


そのとき。


「……あった!!」


液晶画面に、見覚えのある“模様”が浮かび上がっていた。


事故車のフロントを正面から捉えた一枚。

そこに、うっすらと光の反射のように“記号”が浮いている。

ただの光の反射ではない。


幾何学的な線と数字――まるで回路図か古代の図形のようなその模様は、

事故の“意味”を語っているようだった。


「おい、虎時。これを見ろ」


画面を差し出すと、彼もすぐに顔を寄せた。


――やはり、何かが……この世界の“表面”の下に隠されている。

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