エピソード22
*
現場に近づくにつれて、パトカーの赤いランプが遠目にも確認できた。
俺は虎時に促され、彼と一緒に現場へ向かっていた。
後部座席では、俺も虎時も無言のまま。
ときおり、状況を伝える無線の声だけが車内に響いていた。
到着したのは、閑静な住宅街のまっすぐな道路。
通学路としても使われているのか、アスファルトには「スクールゾーン」と白線で書かれている。
周囲には立ち入り禁止を示す黄色いテープが張られ、事故処理班が現場検証を始めていた。
数人の警察官が、近隣の住民らしき人物と話をしている。
「……これは、ひどいですね」
口元に手を当てながら、天羽がなんとも言えない表情を浮かべた。
車は前面から電柱に追突しており、まるで抱きつくようにV字型にめり込んでいる。
フロントガラスは粉々に砕け、周囲にはガラス片が飛び散っていた。
足元には、血のついた破片も落ちている。
「被害者は……」
思わず声が漏れる。
そのとき、虎時の姿を見つけた警察官がひとり、こちらへ駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、信坂警部」
敬礼し、背筋を伸ばす。
――虎時って、意外と上の立場だったのか。
「状況はどうなんだ?」
「はっ、自動車の単独事故のようです。被害者は運転手の男性一名。現在、頭部外傷で救急搬送されたとのことです」
「それで、事故の経緯は?」
事故処理班の説明によると、被害者はこの近隣に住む三十代の男性。
最近、新車を購入したばかりで、今日は昼からの出勤予定だった。
普段どおりこの道を通って会社に向かっていたが――
「このあたりに差しかかった時、突然、車が制御不能になったそうです」
「……急に、制御不能?」
思わず声を上げると、そばにいた警察官が怪訝そうな顔をした。
「あぁ、この人はいい。いま、捜査に協力してもらってる」
虎時のひと言で、警察官は姿勢を正し、俺に説明を続けた。
「そうらしいです。ただ、この見通しのいい直線道路で、いきなり制御不能になるなんて……。
かなりのスピードで電柱に衝突したようです」
彼は言葉の合間に、破損した事故車を一瞥した。
「この時間でよかったのかもしれませんね」
――もしこれが登校時間だったら。
考えるだけで、背筋がぞっとした。
「で、この車は新車だったそうだな。なら、ドライブレコーダーが搭載されているはずだ」
「はい、いま情報を転送してもらっています」
天羽がノートパソコンを開き、指を走らせた。
その横顔は真剣そのもので、画面を見つめる目はわずかに揺れている。
画面には、事故直前の映像が映し出された。
車は静かに走行していた。速度も規定内。操作に乱れもない。
ごく普通の日常の一部のように思えた――が。
キュウルルルル……。
耳の奥で軋むような金属音が、かすかに鳴り始めた。
「……この音、何かが擦れているのか? それとも……」
誰かが呟いた直後、車内のスピーカーが奇妙な電子音を吐き出しはじめた。
ノイズ混じりの音声と共に、何かが**“巻き付く”ような摩擦音**が響く。
――「おい、おいって!! 一体なんなんだよ!! ヤバい、ヤバいって……!」
映像の中で、運転席の男が動揺し始めた。
――「なんでだ! なんで勝手に動いてるんだ!!」
突然、ワイパーが規則性もなく激しく動き出す。
ガチャン、ガチャン――ドアロックが開閉を繰り返し、室内灯が点滅する。
「……まるで、意思を持っているみたいだな」
天羽がそう呟いたその時、スピードメーターが一気に跳ね上がった。
――「スピードが上がってる!? 止まれ、止まれぇぇ……!」
映像の最後、車は迷いもなく電柱へと突っ込んだ。
男の叫び声とともに全身が宙に浮き、そのままフロントに激突して――画面が真っ白にノイズで染まる。
「…………酷いな」
誰も口を開けなかった。
ただ画面を見つめ、被害者の絶叫が頭から離れない。
「これは……一体、何が起こったんだ? こんな制御不能、ありえるか?」
「普通は考えられませんね。電気制御のエラーにしても、ここまで急激な反応は――」
虎時が黙ってこちらを向いた。
「伊禮、お前はどう思う?」
俺は言葉に詰まりながらも、胸の奥に渦巻く違和感を吐き出した。
「……制御不能? いや、違う。むしろ……車自体に、何か“意思”のようなものがあるように見えた」
「やっぱり、この前の“ラジオの異変”みたいな――」
虎時が言いかけたその言葉で、映像の記憶とあの不可解な現象が重なった。
目に見えるものが、すべてとは限らない。
そんな感覚が、皮膚の内側にひたひたと染み込んでいく。
「少し調べてみないと断言はできない。ただ……異常の根源が、この車“そのもの”なのかも疑わしい」
「……ああ、わかった。天羽、この件の記録と映像、伊禮にも共有してやってくれ」
「了解です」
天羽は頷いたが、その声にはいつもの軽さがなかった。
俺と虎時は事故車に近づいた。
フロントは潰れ、ガラスは散乱し、車内には鉄と血の混じった匂いが満ちている。
新車とは思えないほど、変わり果てた姿だった。
「虎時」
俺はポケットからガラケーを取り出した。
彼は小さく頷く。すでに意図を汲んでいた。
カシャン、カシャン。
連写音が無機質に響く。
外装からフロント、シート、ダッシュボード、ガラス片――すべてを記録する。
――何かが、写り込むかもしれない。
「信坂先輩、警察でもないのに……撮影って大丈夫なんですか?」
天羽が気にしたように小声で聞いてくる。
「ああ、大丈夫だ。伊禮は正式な協力者だからな」
――つまり、信頼されているってことか。
そのとき。
「……あった!!」
液晶画面に、見覚えのある“模様”が浮かび上がっていた。
事故車のフロントを正面から捉えた一枚。
そこに、うっすらと光の反射のように“記号”が浮いている。
ただの光の反射ではない。
幾何学的な線と数字――まるで回路図か古代の図形のようなその模様は、
事故の“意味”を語っているようだった。
「おい、虎時。これを見ろ」
画面を差し出すと、彼もすぐに顔を寄せた。
――やはり、何かが……この世界の“表面”の下に隠されている。
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