うまくいかない

「ふざけんなよ、俺にだって事情が……こら、ったくもう……仕方がないなぁ。一回だけだぞ」


 言葉は荒いが、その声色はどうやったって相手への甘さが伝わってくるもので。

 初めて聞いたそれに、ああ、これはわたしには一生聞くことができないものだと。そう直感してしまいました。


「すみません、席を外してしまって」


 焦った風に席に戻ってきた彼に、わたしはこの席から一歩も動いていませんよと顔をして返事をする。


「いいえ、大丈夫ですよ」

「急ぎかと思ったらしょうもない用事で……こんな休みの日にまで電話してこなくてもいいんですけどね」


 はは、と笑う彼を前に、黙って微笑み紅茶の入ったカップに口をつける。


 先ほどの電話を聞かれていたとは夢にも思っていない彼は、学友だという電話相手や友人のことを教えてくれます。彼の話すことにどこか身が入らないのは、申し訳ないですが、どうしようもできませんでした。


 一つ年下の彼は、両家の親同士の約束で婚約者となった男性でした。

 子どものころはくったくなく遊んでいたはずですが、ここ数年は互いの成長や環境の変化も相まって、どことなく距離が開いてしまった気がします。


 敬語で、僕なんて言っちゃって。わたしのことも名前呼びになって。おねえちゃんとは言ってくれないのです。あれだけ隣に座りたがったのに、今ではかならず拳二個ぶんの隙間をあけられてしまいます。


 でも、いいのです。どうせ結婚はするのですから。長い人生の先で、また知らない彼の一面を知ることはありましょう。

 それよりも、いまのわたしには気になることがありました。


「ねえ?」

「なんでしょうか」

「実は、おねがいしたいことがあるのですが」

「僕にですか?」

「あなたにしか、頼れなくて」


 わたしの周りでは聞いたことがなかったものですから。


「なんでも言ってください!」


 彼の目がらんらんと輝いて、真正面のわたしを写します。


「実は、〈ごうこん〉というものをしてみたいのですが、体験させてくださいませんか?」

「ひぇ」


 甲高い悲鳴のようなそれは、彼の口から出たとは思えない奇声でした。

 先ほどの電話相手とのやり取りで、彼が口にしていた『ごうこん』。


 人数が足りないという話もしていたようですし、わたしを連れて行ってくださればお互いの事情がかみ合うと思うのです。


「いかがですか?」

「イヤです!」

「まあ」


 はっきりと断られました。


「ダメですか?」

「ダメです! ていうかイヤです! なんでご、合コンとか……そんなこと言うんですか?」

「あら」


 口にしてはいけなかったのかしら。思わず口を手で覆い、目を伏せます。


「ごめんなさい、まさかそこまで……」


 いけません、知らなかったとはいえ、婚約者である身では触れてはいけないことだったのかもしれません。

 沈黙。数秒でしかなかったような、もう数分は経っているような。


「……どうしても行きたいですか?」


 ちらりと視線を上げて彼を見ると、納得のいかない表情をしています。頷いて見せると、それでも絞り出すように、


「僕とならいいですよ……」


 とつぶやくように彼が言いました。


「まあ」


 嬉しくなって目を細めると、彼は目元に手をやって、音のないため息をつきました。

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