第4話 償うべき者(1)

 鱗に覆われた高辻は、呻きながら体をかきむしり、床の上を転げまわった。鱗がぱらぱらと剥がれ落ち、床には点々と血の跡がこぼれていく。


 跡形もなく崩れ落ちていた魔獣の——森本茜の残骸を思い出す。霧斗は、魔獣は専用の武器で攻撃するとすぐに炭化すると言っていた。こんなふうにもがき苦しむところなんて初めて見た。いったいどうしてこんなことに。


「お願い……します。修ちゃんが助かったら、今までのことは全部話すので……!」


 花音が泣きながら訴える。

 僕にはどうしたらいいのか分からなくて立ち尽くすしかできないでいると、不意にかがみこんだ瑠璃羽が腹部のはがれかけた鱗に手を伸ばした。


「ここ、不自然な刺し傷ができてる。普段使う銀の矢よりも傷口が浅すぎるから初心者の訓練用のものを使ったんだと思う。弱い魔獣に使うやつ」


「えっ、誰がそんなこと⁉」


 花音が悲鳴のような声を上げ、北原も泣き出しそうに瑠璃羽と高辻を見比べた。


「分からない……中途半端な深さで刺さったから死ぬほどではなくて、人間に戻ることもできなくなってる。魔獣化しかけた時に刺されたのかも」


 瑠璃羽がポケットから銀の矢を取り出す。


 天井の蛍光灯が反射して寒々とした輝きを放っていた。


「この状態では無理。人間の姿に戻すしかない」


 瑠璃羽の声が壁反響する。


「ちょっと、何するの⁉」


 花音の顔を一瞥した瑠璃羽は銀の矢を鱗の間に素早く突き刺した。


「きゃあああああああ!!」


「な……何するんだよ急に!」


 花音と高辻が叫び声を上げる中、瑠璃羽が矢を引き抜く。


 高辻の体から鱗が少しずつ消え始め、数十秒後にはすっかり元の姿に戻っていった。


「よかった。人間に戻った状態なら、矢の傷は致命傷にはならない。あくまでも魔獣専用のものだから」


 まだ意識がもうろうとしているらしい高辻がゆっくりと体を起こす。その目にははっきりとした怯えが浮かんでいた。


「灰咲……と、浅沼さん……。そっか、俺が半魔獣だって分かっちゃったんだな」


 高辻は緩慢な動作で、座ったまま壁にもたれると、ため息をついた。


「ごめん修也くん。助けるためにこの人たちの力を借りたの。こうなったらもう……本当のことを話すしか、ないよ」


 花音の言葉に、北原も頷く。


「修ちゃん、ごめん。あんなに辛そうなのを見るのは嫌だったんだ」


 高辻は二人の顔を見上げて、ふっと目を伏せた。


「……いつまでも正体を隠しておくなんてできないって、最初から分かってたことだもんな」


 俯いたまま、高辻の唇が言葉を紡ぐ。


「先月、かな。むしゃくしゃして山の中を歩いてたら女の人に声をかけられて。車に乗せられて空き地みたいなところについたんだけど、気づいたら一人で変な毛布にくるまって裸で寝てた」


 女の人というのは多分ハザミだ。僕より先に高辻を魔獣化させていたのか。


「とりあえず寮に戻ったんだけど、それからことあるごとに体に鱗が出たり、爪が伸びたりするようになっちゃって。元々幼馴染で、家族ぐるみでよく遊んでた北原と花音にだけ打ち明けたんだ」


 実際に半魔獣になってしまった僕には、高辻が感じていた恐怖がはっきりと分かった。


「最初は何かの病気だと思ってたんだけど、ある日完全に怪物になっちゃって。


「なんで、あんなことを?」


 問いかける自分の声が震えていた。


 高辻が犯人だと予想はしていたのに、本人の口から告げられると今さらながら変な風に胸が痛くなる。


「修ちゃんは悪くないんです!」


 北原が裏返った声で叫ぶ。


「夏原先生は、僕が殺しました」


 完全に血の気の引いた、幽鬼のような顔で北原が呟く。


「でもユキくんは」


 止めようとする花音に首を振ると、北原は話し始めた。


「夏原先生には、よく怒鳴られてました。やる気がないとか、体育を馬鹿にしているとか。あの追試の日も」


 北原の目が暗い輝きを帯びる。


「花音と修ちゃんは、僕がいつも夏原先生に怒鳴られてるのを知ってたから心配してついてきてくれてて。でも、それも夏原先生の怒りを誘う原因の一つだったんだと思います」


 たしかに夏原は一旦怒り出すとなかなか止まらない。以前なんて、授業の半分近くをただ怒鳴り散らしただけでつぶしたこともある。


 たしか理由は、運動場を10周するときに笑いながら走っている生徒がいたとかそんな感じだったはずだ。


「しかも、マット運動は全然うまくできなくて。そんなんだからみんなから嫌われるんだ、お前のことを好きな奴なんていない、とか、多分そんな内容のことを怒鳴りながら言われたのは覚えてます。途中からその声がもう雑音にしか聞こえなくなって」


 僕にもその状況はありありと想像できた。自分が一年生の時、追試にもなかなか受からなくて夏原に怒鳴られた際もそんな感じだったと思う。


 怒鳴られすぎて何を言われてるのか分からず、床が傾くような感覚に襲われたのは覚えている。


「気づいたら、あれ、なんて言うんでしたっけ。僕は球技で使う、得点板の支柱?鉄パイプみたいなやつを持っていて、夏原が血を流して倒れてました」


 花音がうつむき、高辻が北原の言葉を引き継ぐように話し始めた。


「花音が泣いてたから、北原が殴ったことを分からなくするために俺が魔獣になって夏原を殺した。その時はある程度自分の意志で変身できるようになってたから」


「いや、修ちゃんは殺してないよ。僕がやったんだ」


 真相がどちらなのかは分からないが、あの日何があったのかは大体わかった。


「それで、体操服に血がついて、修ちゃんからかりたタオルを首からかけて隠しました」


「血の付いた体操服は一旦私がユキ君からあずかって、あとで捨てようって思ってたんですけど、ほかのごみに混ぜて校舎裏のごみ箱に投げ入れたのを上野先生に見つかってしまって。何を捨てたの?って聞かれました」


 言葉を切った北原の代わりに、今度は花音が話し始める。


「咄嗟に逃げて教室に戻ったんですけど、その後校門を閉鎖するっていうアナウンスがあって。夏原の死体が見つかったんだって思って、怖くて。一年生の教室はそんなに厳重に見張られてなかったから、ユキくんに相談するために教室を抜け出したんです」


確かに、霧斗は2-Bに半魔獣がいると思っていたから他のクラスの生徒への警戒は緩かった。


「そうしたら、ユキくんに話しかける前に上野先生に声をかけられたんです。『さっき、夏原先生について何か知らないか聞かれた。知ってることがあるなら教えて』って」


花音の唇が細かく震えている。


「上野先生、完全に疑ってる顔をしてました」


高辻と北原も、何も言わずにただ花音が話すのを見守っている。


「上野先生を殺したのは私です。やっぱり自分だけ手を汚さないのは違うかなって思って。」


 花音は、どこかすがすがしい顔をしていた。


「向こうで話すって、理科室のほうまで行って。持ってたタオルで首を絞めて殺しました」


「え?」


 首を絞めて殺した?


「制服のボタンはその時に落としたんだと思います……それで」


「待って、そんな訳はない」


 瑠璃羽も疑問に思ったようで花音の言葉を遮った。


「だって上野先生は魔獣に殺されたはず。それなのにどうして……」


「……魔獣の仕業に見せかけるために、家庭科室の包丁を使いました。血がつかないように、理科室にあった白衣を着て。でも、誰かの足音がして怖かったから、隙をついて教室に戻りました」


 花音はそのときの事を思い出したのか、両手で肩を抱いた。


「魔獣の鱗が落ちてたみたいだけど、あれは一体?」


 瑠璃羽が淡々と花音に問いかける。


「修也くんの鱗が制服の中に入り込んでたみたいで、落ちてきて。これがあればより魔獣の仕業らしく見えるって思って、そのままにしておいたんです。教室に戻った後、何かが倒れるみたいな音がして。それで瑠璃羽……さんたちが集まり始めて」


「え」


自分の間の抜けた声が漏れる。


それはおかしい。だってあの時……


でも僕がその疑問を口にする前に、花音はしゃくりあげ始めた。


「私、ユキくんと付き合ってるのをみんなに隠してて。ユキくん、運動ができなくてみんなにいじられることが多かったから、付き合ってるのを知られたら私までからかわれるって思ったんです。でも、そんな風に恥ずかしいなんて思わずに、ちゃんと守ってあげられていたらよかった」


 花音が本当に付き合っている相手は高辻ではなくて、北原の方だったのか。


 それはそうと、今の話は……。


 もう一度花音の言葉を頭の中で反芻していると、突然何かを蹴りつけたような衝撃音が聞こえ、僕は思わず振り返った。


「なんでそいつのことは助けるの⁉茜は死んじゃったのに!」


 今にも泣きだしそうな声が響き渡る。


 女子トイレの方から駆け寄ってきたらしい七瀬が、仁王立ちしてこちらを睨みつけていた。

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