第15話 疑惑

――瑠璃羽――


「これ、取ってきました」


 瑠璃羽は、灰咲玲央がこわごわといった様子で差し出したペンダントを受け取った。


「ありがとう。しばらくしたらこの蔦模様も消えるはず。そうしたら君に近づかないようにする」


 灰咲は小さく頷く。


「ばれたりしないでしょうか?」


「ばれる前に別の半魔獣を見つけ出せば大丈夫。その後すり替えに気づかれても、どうしてもペンダントを使いたかったと言えばそれ以上追及はしてこない……と思う」


 霧斗は瑠璃羽のことを軽んじているのか、馬鹿にしたりからかったりするだけであまり怪しむことはなかった気がする。


「明日校内放送で全員教室で待機するように伝える。その間に私が他のクラスを回ってペンダントの反応を確かめるから」


 瑠璃羽は辺りを見回すと踵を返した。

 灰咲の心配そうな視線を背中に感じたが、特に何も言うべきことはない。


 彼が霧斗を怖がるのは当然だが、瑠璃羽にとっては霧斗よりも半魔獣のほうが問題だった。


 そういえば。


 霧斗がなぜ在学中に「狩人」に抜擢されたのか、本当のところは瑠璃羽も知らない。


 半魔獣を倒したからだと言われているけれど、そもそも霧斗が半魔獣を発見したのに教師に報告せず、一人で倒そうとしたため彼の同級生たちが巻き込まれた。霧斗にしても簡単に倒せたわけではなく負傷もしたらしい。


 それなのに評価されたというのはどこかおかしい気もする。


 誰かの意思が働いていた?


 だとしたら、誰の?


 少しの間考えて首を振った。

 霧斗のことが嫌いだからと言って、今そんなことを掘り返しても仕方ない。

 半魔獣の特定に集中しなければ。




「もう一度半魔獣が誰なのか独自に調査すると葛城霧斗が言っていました。そのため、生徒たちを全員教室で待機させてください。ドアをノックしたら一人ずつ出てくるようにお伝えください」


 そう電話で学年主任に告げた瑠璃羽はペンダントを握り締めて廊下を歩いていた。ペンダントの蔦模様もすっかり消えた。これで誰が半魔獣なのか調べることができる。


 多分、結構正確に特定できるはずだ。


 2-Bは後回しにすることにして、順番に教室を回る。

 如月にも手伝ってほしかったが、彼は「葛城先輩にばったり出会ったら怖いし……」

と言って渋ったため結局一人で行うことになった。


(ペンダントは一つしかないから別にいいけど……)


 如月は少し霧斗を畏怖しすぎている気がする。

先輩だから、というのはあると思うが、霧斗も普通の人間である。そんなに怖がる必要があるとは思えない。


            *


 順番に2-B以外の教室を回った瑠璃羽だったが、ペンダントは反応しないままだった。


 昨日は蔦模様が浮き出ていたから、ペンダントが偽物だったなんていうはずはない。


 そうだ。まだ職員室は確かめていない。

生徒の中に半魔獣がいるという先入観を持っていたけれど、半魔獣が教師の中にいる可能性だって十分ある。


 階段を降りて職員室を目指す。静まり返った廊下を歩いていると、昔のことを思い出した。


 瑠璃羽は父である現理事長によって、強制的にこの学園に入学させられた。

小さなころから魔獣についての話は聞かされていたが、入学後の生活は予想していたよりもはるかに過酷なものだった。


 腕がしびれるほど武器をふるい、無感情に人工的に作られた魔獣を殺す。体の痛みも無視するしかなく、倒れれば冷水を浴びせられ、何度も立ち向かわせられる、そんな日々。


 同級生は仲間ではあったけれど、瑠璃羽が理事長の娘であることは他の生徒も知っていたから、どことなく壁はあった。

 彼らに向かって弱音を吐くことなどできず、ただ両親と小さなころ出かけた記憶の温かさだけにすがって、寒くて心細い夜を乗り越えてきた。


 でも、なぜだかある日寮の部屋から出られなくなった。

 如月は心配してくれたけれど、瑠璃羽自身も原因が何なのかよくわからなかった。

 しばらくして授業には出られるようになったけれど、そんな中あの事件が起こった。


 もう、あんなことは絶対に起こってほしくない。


 半魔獣が誰なのか一刻も早く突き止めなければ。


「失礼します」


 職員室の扉を開ける。そこには学年主任をはじめ、何人かの教師たちが待機していた。


「浅沼さん、半魔獣が誰なのかは分かったのですか?」


 学年主任が話しかけてくる。


「いえ、まだ。もう一度夏原先生と上野先生についてお伺いしたくて」


 ペンダントを握り締めながら机の間を移動する。


 教師たちの不信感に満ちた視線が突き刺さる中、ペンダントの模様を確認する。

しかし全員の机の側を通過しても、その表面に模様が浮き出ることはなかった。


「夏原先生も上野先生も、しっかり生徒たちに向き合ういい先生だったんですけどね……。お二人とも口調が荒いところがあったので誤解はされやすかったのかもしれませんが。教師としても、尊敬できるお二人でしたよ」


 50代くらいの、髪を一つに結んだ女性教諭が悲し気に呟く。


 誤解されやすい。それは確かに本当なのかもしれない。

 夏原や上野を殺した犯人も、彼らの表面上の荒々しさだけを見て一方的に嫌っていたのかもしれない。だけど。


『葛城先輩は誤解されやすいだけで本当は優しいところもあるから!』


 そんな風に無邪気に話す如月を思い出して、素直には頷けなかった。


「分かりました。ありがとうございます」


一礼すると、苦い気持ちを抱えたまま職員室を後にした。



 他の教室でも、職員室でもペンダントは反応しなかった。ということは、やはり半魔獣は灰咲以外にはあと一人しかいない。

だけど、2-Bには上野先生を殺すことができた人物はいない。


(どうして?いったい誰が)


そうだ。


一番簡単な答えに気づいていなかった。


それは。


「瑠璃羽」


不意に手首をつかまれて息を呑む。


「なんか勝手なことしてるみたいだね?」


霧斗だった。



 霧斗は目を細めると口の端を吊り上げた。


「君が玲央くんにペンダントをすり替えるようにって言ったの?玲央君が魔獣用の睡眠薬を入れたのも君の指示、かな?」


 軽い口調だが目の奥が笑っていない。瑠璃羽は何も答えられずただその目を力なく見返した。


「貸してほしいならそう言えばいいのに」


「……ごめん。普通に頼んでも貸してくれないと思ってた」


「あれ。今回は謝るんだね?」


 霧斗が首をかしげる。


「あの薬、口に入れると一瞬変な苦みがあるから少しだけ飲んで眠くなったふりをしてたんだけど。正直殺されるんじゃないかってドキドキしてたよー」



 ふと、一つの疑問が浮かぶ。


 霧斗はどうしてそんなことを知っているんだろう?

以前にあの睡眠薬を口にしたことがあるんだろうか?



「まあそれはどうでもいいんだけどとりあえず返して?」


 手が差し出される。この期に及んで拒否することもできず、瑠璃羽はペンダントをその手のひらに乗せて返した。


「で、君は誰を疑ってたの?誰かが半魔獣かもしれないって思ったから確かめたかったんだよね?」


「……具体的に誰かを疑ってたわけじゃない。ただ、2-B以外にも半魔獣がいるのかもしれないと思った」


「ああ、2-Bに上野を殺せた人物はいないからだろ。だけどそれは」


霧斗の声が耳をすり抜けていく。


それを解決する一番簡単な答え、それは。


――そもそも霧斗が持っていたペンダントに魔獣を感知する機能はない――


 つまり、霧斗は誰が半魔獣なのか知っていて、それを隠すために「ペンダントが反応したから犯人は2-Bにいる」と言って捜査をかく乱しようとしている。


 ペンダントの蔦模様は時間がたてば自動的に消えたり出たりするだけで、半魔獣の存在とは無関係。


 そう考えれば何も難しいことはない。


 犯人は2-B以外にいる、それだけのシンプルなことだ。


 でも霧斗がそんなことをする理由が分からない。それに、好きではない相手だとは言え、一応特進コースの仲間だった人間がそこまで堕ちているなんて本当は思いたくなかった。


 だけど、確かめなければならない。これ以上の犠牲を出さないためにも。


「霧斗、あなたは」


 言いかけた時、ガラスの砕けるような激しい音が耳を襲った。


「何⁉」


思わず声を上げて飛びのく。


「また魔獣か……!」


霧斗が身をひるがえす。何がなんだか分からないままその後を追った。

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