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2025年9月15日 05:21
こんにちは、ふらっと立ち寄ったのですが、語源探求がミステリー仕立てでとても面白かったです。素戔嗚尊はわだつみの神って聞いてましたが、治水技術者は古来より中国でも神として崇められていましたね。もしかして渡来人系の治水技術者一族? なんて妄想もしてしまいました。
作者からの返信
>島アルテさん神話の物語から推理すると、そんな感じになるのですが、出雲族はどうもインド辺りから来たということらしいです。蛇神信仰の一族で、蛇神は簸川(肥川、氷川)ぽいし、治水とタタラ製鉄の話がスサノオと関連している。たぶん、ここで異民族(スサノオ系の)が出雲に入ったと思われる。出雲王家の子孫が口伝から本出してます。富家の方です。 >【出雲王家について】出雲の神 大国主命と少名彦出雲口伝によれば、出雲王国は二王制で、王家は東の向家(富家)と西の神門臣家(郷戸家)が交替で主王と副王に就任していたとのことです。主王の職名が「大名持」で副王の職名が「少名彦」でした。神話では「大名持」が大己貴(おおなむち)「少名彦」が少彦名(すくなひこな)になっていて、これは記紀編纂時に国造によって変えられた結果とのことです。つまり大己貴(おおなむち)は主王のことであり、少彦名(すくなひこな)は副王の意味になるのです。職名のため該当するモデルは1人ではなく複数いるということになります。https://izumo-kudenkara.hatenablog.com/entry/2025/05/29/192557出雲の王家の口伝が本になってるので、参照して下さい。徐福=キングダムの呂不韋説(ユダヤの絹織物商人で政治家で秦の皇帝の本当の父親)が有力で、この人の日本での動向が出雲の王家の口伝で明らかになってます。大和政権の黒幕は実は出雲と徐福の子孫だったりする。徐福は二回目の渡来で出雲王家の親戚になったのに、主王、副王をぶっ殺すクーデター起こして、また中国に逃げてるw呂不韋っぽいでしょうwもう推理は完了してるというか、TOLAND VLOGは凄い。神社の祭神で推理が行われてる。 【出雲口伝】絶対に暴いてはいけない「日本のルーツ」がついに明かされる。2000年以上隠され続けた真実の歴史がとんでもなかった…TOLAND VLOGチャンネル登録者数 88.8万人https://youtu.be/KHT16-B030g?si=KlgI9VdGrKhsuv4M----------------------------------------->出雲王国の起源 出雲王国を築いた人々は、約4000年前にインドのクナ国(マディア・プラデーシュ州)にいたドラヴィダ族のクナト王に率いられた人々であるとされています。 彼らは北へ向かい、ゴビ砂漠を越え、バイカル湖を渡り、アムール川を下って北海道を経由し、青森(三内丸山遺跡)に定住しました。 その後、鉄の産地である山陰地方(出雲一帯)に移り住み、出雲王国を建国しました。 クナト王の后は幸姫(サイヒメ)、その子はサルタヒコ(象神ガネーシャ)であり、この三神は幸神(サイノカミ)として出雲の民に祀られました。 島根にはクナト王を祀る出雲井神社が残っています。 東大阪市出雲井町の河内一宮枚岡神社もクナト王を祀っていたという説があります。 コノハナサクヤ姫の父である大山祇命もクナト王と同一神であるとされています。【出雲口伝】徐福到来から出雲族のヤマト葛城移住、第一次物部東征、ヒミコ時代の前までの概要まとめ森啓成 (モリヨシナリ | Yoshinari Mori)@Bizconsul Office代表2025年3月5日 15:24https://note.com/redtiger/n/nc56af866371b-----------------------------------------
こんにちは、
ふらっと立ち寄ったのですが、
語源探求がミステリー仕立てでとても面白かったです。
素戔嗚尊はわだつみの神って聞いてましたが、
治水技術者は古来より中国でも神として崇められていましたね。
もしかして渡来人系の治水技術者一族?
なんて妄想もしてしまいました。
作者からの返信
>島アルテさん
神話の物語から推理すると、そんな感じになるのですが、出雲族はどうもインド辺りから来たということらしいです。
蛇神信仰の一族で、蛇神は簸川(肥川、氷川)ぽいし、治水とタタラ製鉄の話がスサノオと関連している。
たぶん、ここで異民族(スサノオ系の)が出雲に入ったと思われる。
出雲王家の子孫が口伝から本出してます。
富家の方です。
>【出雲王家について】
出雲の神 大国主命と少名彦
出雲口伝によれば、出雲王国は二王制で、王家は東の向家(富家)と西の神門臣家(郷戸家)が交替で主王と副王に就任していたとのことです。主王の職名が「大名持」で副王の職名が「少名彦」でした。
神話では「大名持」が大己貴(おおなむち)「少名彦」が少彦名(すくなひこな)になっていて、これは記紀編纂時に国造によって変えられた結果とのことです。つまり大己貴(おおなむち)は主王のことであり、少彦名(すくなひこな)は副王の意味になるのです。職名のため該当するモデルは1人ではなく複数いるということになります。
https://izumo-kudenkara.hatenablog.com/entry/2025/05/29/192557
出雲の王家の口伝が本になってるので、参照して下さい。
徐福=キングダムの呂不韋説(ユダヤの絹織物商人で政治家で秦の皇帝の本当の父親)が有力で、この人の日本での動向が出雲の王家の口伝で明らかになってます。
大和政権の黒幕は実は出雲と徐福の子孫だったりする。
徐福は二回目の渡来で出雲王家の親戚になったのに、主王、副王をぶっ殺すクーデター起こして、また中国に逃げてるw
呂不韋っぽいでしょうw
もう推理は完了してるというか、TOLAND VLOGは凄い。神社の祭神で推理が行われてる。
【出雲口伝】絶対に暴いてはいけない「日本のルーツ」がついに明かされる。2000年以上隠され続けた真実の歴史がとんでもなかった…
TOLAND VLOG
チャンネル登録者数 88.8万人
https://youtu.be/KHT16-B030g?si=KlgI9VdGrKhsuv4M
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>出雲王国の起源
出雲王国を築いた人々は、約4000年前にインドのクナ国(マディア・プラデーシュ州)にいたドラヴィダ族のクナト王に率いられた人々であるとされています。
彼らは北へ向かい、ゴビ砂漠を越え、バイカル湖を渡り、アムール川を下って北海道を経由し、青森(三内丸山遺跡)に定住しました。
その後、鉄の産地である山陰地方(出雲一帯)に移り住み、出雲王国を建国しました。
クナト王の后は幸姫(サイヒメ)、その子はサルタヒコ(象神ガネーシャ)であり、この三神は幸神(サイノカミ)として出雲の民に祀られました。
島根にはクナト王を祀る出雲井神社が残っています。
東大阪市出雲井町の河内一宮枚岡神社もクナト王を祀っていたという説があります。
コノハナサクヤ姫の父である大山祇命もクナト王と同一神であるとされています。
【出雲口伝】徐福到来から出雲族のヤマト葛城移住、第一次物部東征、ヒミコ時代の前までの概要まとめ
森啓成 (モリヨシナリ | Yoshinari Mori)@Bizconsul Office代表2025年3月5日 15:24
https://note.com/redtiger/n/nc56af866371b
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