二十七話 秘密

「おっはよー! 千秋っ」


 鼓膜を揺らす、陽だまりのように暖かい声。その声が聞こえた直後に全身へのしかかる重圧で、千秋はぱっと目を覚ます。


 ぼやぼやと定まらない瞳が声の主を追えば、遥斗が嬉しそうに笑ったまま、千秋の上に寝転んでいた。


「おはよ、遥斗。起きたから退いて」


「もー、千秋は相変わらずだなぁ。朝起きれないんだからアラームかけなよー」


「アラームかけたら余計に眠くなるの。それより、雷斗は?」


「雷斗はキッチンで朝ごはん作ってる。千秋も食べるでしょー?」


「もちろん。布団畳んでから行くね」


「うん!」


 遥斗が部屋を出て、なにか叫びながらリビングへと向かう。


 千秋がいつも使う布団とは違い、そこまで畳むのに時間がかからない。軽くて、薄いからだろうか。


「──今日は休みだけど、一応、ミツルギに話に行かないと」


 昨日はなんだか気まずくて、話したいことが上手く言葉にならなかった。伝えたいことも、言わなきゃいけないことも、聞きたいことだってあったはずなのに、ごちゃごちゃした気持ちが邪魔をしたせいか上手くいかなかった。


「あの女の子──椿のことだって、ちゃんと聞かなきゃ」


 見た目からして、千秋が命を奪ってしまった鬼の少女の同族──または、それ以上の関係かもしれない。


 なんて、そんな風に悲観的に考えるのも多分良くないのだ。遥斗を危険に晒したことも、勝手な考え方とその場の勢いで動いてしまうことも、全てを反省しながら、千秋は前を向かなくては。


「──なんて、簡単に切り替えられるならこんなめんどくさいやつになってないけど」


 言っているうちにも、布団の支度は終わる。自罰的なのもいい加減にして、取り敢えずは朝ごはんを食べに行くべきだ。


「だって、雷斗の作るご飯すごく美味しいから」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「千秋、今日はなにか予定があるのか?」


「ん? うーん、特に……でも、家に戻ろうかな。色々気になることがあって」


「そうか」


「なら、帰る前にお土産渡すね! ほんとにいつでも来ていいから!」


「ありがと、遥斗」


 千秋が落ち込んでいる時、遥斗はいつも休む場所をくれる。それを遥斗がわかっているのかは別にしても、その暖かい心遣いが、千秋の心の支えにいつもなっていることだけは、疑いようもなかった。


 雷斗は落ち込んでも仕方ないだろうと腕を引っ張って前の向き方を教えてくれるし、萌奈はこうしたらいいんじゃないかと苦しみの取り除き方を提案してくれる。考えれば考えるほど、千秋は周囲に恵まれているのだ。


「千秋、何かあったら俺にも連絡しろよ。遥斗も」


「えー? 千秋はともかく、俺は変な目にあったりしないよー」


「俺からしたら両方変わんねぇよ……」


 暖かいパンを嚥下し、千秋は遥斗と雷斗の会話を微笑みながら聞く。美味しいものと大好きな友達、そのふたつが揃ってこそ人は真に幸せと呼べる感情を抱くのだと思いながら。


「──なんて、ちょっとポエミーかな……?」


「千秋、食い終わったなら皿出せ」


「うん」


 雷斗に皿を渡し、千秋は椅子から立ち上がって机の上を拭く。遥斗が視界の端でなにかしているのが見え、少しだけやる気が上がった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「またね、千秋! 絶対の絶対にまた来てね!」


 ずし、と腕に下げる袋の重みに千秋は笑ってしまう。


「? なに?」


「こんなに高いフルーツ俺なんかにあげてほんとにいいの?」


「うん! 千秋だからあげたんだよ」


「俺にもくれたけどな」


「千秋と雷斗だからあげたの!」


「そうか」


 冷たくあしらいながらも、雷斗が喜んでいるのを千秋は分かっていた。口に出したら怒られてしまうから、絶対に言えないけど。


「じゃあ行くか、千秋」


「うん、またね遥斗」


「うん! また!! すぐ来て!!」


 ぶんぶんとそのままバターになりそうなくらいに遥斗はこちらへ腕を振る。それを見て、千秋は少しだけ頬を緩ませ、雷斗も同様に微笑む。ぽかぽかと暖かい空が染み、歩く速度がゆったりとしていく。


「じゃあな、千秋。またあとでメールする」


「うん、また」


 ひらひらと手を振り、家の前で千秋は風に髪を撫でられる。樹木の香りが鼻腔をくすぐり、ノスタルジーな感情が腹の底を駆け巡った。


「──ただいま」


「おかえりなさい、千秋くん。お友達が来ていますよ」


「えっ?」


 倉橋の穏やかな声が千秋の背中に投げかけられたのは、その直後のことであった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「──お、友達って……」


「ちょっとアンタ遅いわよ!」


「おかえりなさい、千秋様!」


 椿と昴が自室に座っているのを見て、千秋は頭がふらつく感覚に襲われる。


「倉橋さん、もしかして──」


「はい?」


 倉橋がこちらににこやかな笑顔を向ける。もしかしたら見えているのではないか、と千秋はそう聞きたかった。が、ミツルギの話では昴と椿は不可視の術が使えないという話だったはずだ。それなら、このふたりを招くのは何ら不思議なことでは無い。あからさまに人間離れした美貌と額から生えた角に目を瞑れば、倉橋が誤解する可能性もある。それこそ、コスプレだと思った可能性も──


「あぁ、もうひとりのお友達なら裏庭にいますよ。狐の面を被った白髪の方なら」


「そっちも見えてるんかい!!」


 珍しく大きな声を出した千秋を倉橋は慈しむように見つめていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 時はミツルギが柱の上で千秋を待っていた時まで遡る。


「──怒ったか……?」


 そんな、見当違いの予測をしている時。


「おやおや、こんな夜中にどうかされましたか? 千秋くんのお友達でしょうか?」


「────!」


 椿が思わず殺気を放ちながら振り返る。椿とて、一般人を無意味に殺したがったりはしない。つまりは、完全に不意打ちだったのだ。


 紅葉ほどではないが、椿は自分の強さに自信があった。そんな椿が、反射的に殺気を引っ張り出されるほどの完璧な気配の消し具合。昴も思わず臨戦態勢に入っていた。ミツルギだけは、黙って見つめていたが。


「──お、ともだち?」


「ええ。こんな夜中に会いに来てもらったのに申し訳ありません。千秋くんはいま出かけてまして」


「し、ってるわ。千秋に、ここで待ってろって言われ、たの」


「そうでしたか、案内しますよ。おふたりとも、こちらへ」


 椿が殺気をしまい、にこやかに笑う倉橋の後ろへと着いて歩く。昴も表情を切り替え、動揺を何とか隠す。


「────」


 ──あの男は、ただの人間なのか?


 ミツルギの脳裏に、疑問が過ぎる。あそこまで気配を消すのは、人間の中ならかなり上澄みだ。千秋の血縁者には見えないが、かなり深い関係にはあるようだ。それならば、千秋の出自にもなにか関係が──


「──あなたも、風邪をひきますよ? 入らないのですか?」


 そう声をかけられた瞬間、ミツルギは少しだけ目を見開いた。不可視の術をかけた者を視認することは、こちら側に縁のあるもの以外にありえない。この男が霊媒師の類なら当たり前だが、そうは見えない。霊力だって、かなり微量だ。おかしな揺れ方をしてはいるが。


「──構わない」


「そうですか、お腹がすいたら中へどうぞ」


 男を凝視し、ミツルギは警戒心が極限まで高まる。ミツルギを見た上に、なんの疑問も持たずに話しかける胆力。鈍感なだけなら構わないが、そうでないなら、あの男は──


「──奴にも、聞かねばならぬことが増えたな」


 頭の中で喚く、弱き人間に思いを馳せ、瞑目する。


 そして、場面は先程の場面に戻り──、


「──遅かったな」


 柱の上から飛び降り、ふわりと着物を翻す。鈴の音が軽く鳴り、千秋を見つめるミツルギに千秋はてこてこと歩み寄る。


「うん……一応聞きたいんだけど、不可視の術は解いて……」


「おらん。そこの男は自発的に我に気付いたのだ。声をかけられた時には流石の我も肝を冷やした」


 ミツルギにしては珍しく、本当に予想外だったのだろう。声に揺らぎが生じていた。


「随分と愉快なお友達ですね。千秋くん、なにか食べますか?」


「──倉橋さん……」


「なんでしょう?」


 あんた何者なんですか、と千秋の疑問が青葉を揺らしたのは、その直後のことだった。

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