二十三話 幼さという劇薬
朱色に染まる刀を思い切り振るうと火花が宙に散り、星と見間違えた怪異がようやく姿の見える距離に現れる。あのスピードで迫ってくる怪異を動体視力で捉えるのはかなり至難の技だと思った千秋は半ば強引な賭けに出たのだ。苛立ちが心中を蝕むままに刀を思い切り握り、髪が伸びるのと刀の色が変わるのを確認した瞬間、自分の腕が伸びる最大限の距離まで腕をぴんと張り、そのまま力いっぱいに刀を振るう。結果、奇跡的に怪異を刀で弾き、千秋は怪異を視界に捉える事に成功した。
「──今までのとは少し違う」
目を細め、刀を構える。が、目の前にいる怪異の気配が、千秋には気がかりでならなかった。今までの怪異とは違う気配に、千秋は不快そうに眉を顰める。それに、何よりも気になるのは、
「……何だその見た目」
鳥のような見た目の怪異だった。だが、どこか歪だ。三体ほどの鳥を無理やり箱に詰めたような見た目。本能的な嫌悪感が千秋の背を撫で、刀を持つ手に力が入る。
「気配からして、妖とか怪異とか、そういう系なのに間違いないと思う、けど」
まだ、この怪異は何も悪いことをしていない。なのに、斬ってしまっていいのだろうか。見た目が特殊なだけで、悪い妖じゃないかもしれないのに。
『貴様は、命を選定している。それも、酷く身勝手に』
「────!」
頭の中に、あの日の言葉が木霊する。そうだ、千秋の勝手な考えで、命を選んではいけない。人間を襲う怪異は倒さなければならないけれど、そうでない妖は、放っておいたって──
「☲☲☲☲☲☲☲☲☲☲☲☲☲」
そんな、千秋の甘すぎる考えと判断力の浅さを嘲笑うように、怪異は不快な鳴き声で喚き散らす。
「──! 待て!」
怪異が公園から外へ出ようとしている。御札がないので結界は使えないし、今の千秋はひとりなので、全部自分でなんとかしなければならない。とりあえず、コンビニの方に向かわせさえしなければ何とかできる。殺しはしなくても、刀で牽制したら、話し合えるかもしれない。
「──あと、少し……!」
そんな、千秋の欠伸が出るほどに甘く、現実を見ない理想論のような綺麗事は、
「──千秋? いないの?」
最も最悪な形で、千秋の大切なものに手をかける。
******************
「──え、」
遥斗の眼前に、怪異の手が伸びる。遥斗は、何が起きているのかも分からないまま、それを見て──
「──遥斗!!」
千秋が声を張り上げて、怪異の腕を刀で切り落とす。が、
「──っ!」
か細い悲鳴が上がり、遥斗の体が力なく倒れる。当たり前だ。遥斗が公園の入口付近にいた時、千秋と怪異の距離より、遥斗と怪異の距離の方が近かった。千秋は最速で刀を振るったので遥斗に攻撃が直接当たることはなかったが、拳が遥斗の額を軽く掠めた。千秋ならすぐに立ち上がれただろうが、生身の人間──それも遥斗には、相当のダメージだったはずだ。
「──遥斗!!」
千秋が痛々しく叫び、倒れた遥斗の体を素早く横抱きにする。そして怪異の頭を蹴り飛ばし、その勢いのままに遊具に着地し、その上で寝かせる。首元に触れ脈を測ると、そこまで乱れておらず、千秋は少し安堵する。
「────」
苦しそうに遥斗が唸るのを見て、千秋の心の中に、後悔と自己嫌悪が強く蔓延る。
あの時、千秋がきちんと判断しておけばよかった。迷ったりしなければよかった。今更、千秋は自分の保身のために怪異に手をかけるのを躊躇った。何もかも今更だと言うのに。命を選ぼうがどうしようが、守ると決めたのなら、それを突き通さなければならなかった。千秋が何もかも中途半端であったから、こんな事になってしまったのだ。
「──そんなこと、今更言ったってしょうがない」
ぐるぐると、嫌な考えが頭の中を巡る。これは、千秋の悪い癖だ。分かっている。
「必ず何とかするから……!」
地面を踏み、空を舞う。刀の色が紫紺に変わり、千秋は怪異に斬り掛かる。後悔と苛立ちに振り回される今の千秋がどこまで出来るのかは、分からない。けれど、
「──千秋」
そう、か細い声が千秋を呼んだことに、気づくことはなかった。
****************
「────!」
腰まで伸びた黒髪が風に靡き、刀が火花を散らす。千秋は怪異を見据え、冷静になろうと苦心するが、刀の振り方はどんどん乱雑になっていく。遥斗が怪我をしているということと、早く雷斗たちのところへ戻らなければならないというプレッシャーが、千秋の刀にのしかかる。
「──ふっ!」
刀を一息に振り、体の一部を削り取る。それは三体いる鳥のうちの一体にあたり、生物らしい見た目に少しだけ躊躇うが、思い切りそれを刀で振り払う。そして、
「──や、あっ!」
間合いに入った今が好機だと、残りの二体も素早く切り払う。血のような匂いがそこらに撒き散らされ、千秋は思わず顔を顰める。
「──血……」
首を切り落とすと、そこから血液が噴水のように溢れてくる。それを刀ではらい、千秋は血に濡れた頬を不快そうに拭う。戦闘後の余韻と、不思議な倦怠感が体にのしかかり、千秋は短くなった髪を振り乱しながら膝から崩れ落ちる。
「──遥斗……」
疲れが滲む足を何とか立ち上がらせ、ふらふらと千秋は遥斗の元へ向かう。こんなに簡単に倒せるような気配ではなかったけれど、やはりあの刀は恐ろしいものなのだろうか。いや、それより遥斗のことを萌奈になんと説明しようか。そもそも、こんなに疲れていることを雷斗たちになんと説明する? それを、きちんと考えないと──
「──ぅ、」
ぐるぐると、必死に物を考える。そして、吐き気に襲われ、遥斗の寝ている遊具の近くで座り込む。心做しか熱っぽく、千秋は苦しそうに喘ぐ。
「──ちょっと、疲れたかな……」
そう、頬に手を添えた時。
「──い、ゔっ」
びき、と頬が割れるような痛みに襲われる。瞬間、途端に息が上がり、じわじわと何かに侵食されるような感覚に苛まれる。
「な、に……!?」
ばっと顔を上げると、すぐ近くに水たまりがあった。それを覗き込み、反射している自分を確認すると──
「──な、」
頬に飛び散った血液。そこを中心として、奇妙な紋様が拡がっている。それは、頬を割ることで模様を形成しており、じくじくと滲むような痛みが頬を刺すのは、これのせいだったのだと分かる。と、同時に、
「──しまった……!」
まだ倒せていなかった。その事実に気が付き、刀を再度握ろうとした時には、
「☷☷☷☷☷☷☷☷☷☷☷☷☷☷」
またあの声がして、千秋は──
「──ぐ、っ……!」
喉を締めあげられる。酸素が脳から消えていき、苦しさに顔が赤くなる。筋肉が緩んでいくのを感じ、刀を落としてしまう。完全な生身の千秋には、何も出来ない。
いや、違う。刀を持っていても、千秋は、何もかもを上手くできなかった。油断したらいけなかった。雷斗たちを巻き込まないように、きちんと立ち回らなければいけなかったのに──
「────」
あの時、話しておくべきだったのか。いや、そんなことできるわけが無い。話せば、雷斗はきっと頑張ってしまう。それが、千秋には耐えられない。
「────」
巻き込んでしまって申し訳ない。千秋が、もっとちゃんとしていたら、こんなことにはならなかったのに。
「────」
あんなに気を使ってくれたのに、千秋は何も言えなかった。だって、迷惑をかけたら、見放されるんじゃないかと、そう思った。無償の愛なんて、千秋はよく分からないから。
だから、
「み、つるぎ……」
謝りたかった。あの時、千秋は悪いことを言ったとは思っていないけれど、多分、ミツルギにとっては嫌なことを言ってしまったんだと思うから。
「────」
倉橋が悲しむのを想像しただけで、泣きたくなる。あんなに良くしてくれたのだから、どうか、幸せになって欲しいと、千秋は──
「余計なことばかり考えおって、少し目を離したら直ぐにそうなる」
そう、凛とした声が千秋の耳を刺した。閉じかけた瞳から見えたのは──
「──死にかけている時に他人への感謝か? 全く、煩わしいな。人間というのは」
狐の面を揺らし、白髪を美しく靡かせて、彼は──ミツルギは、知らない妖を引き連れて、千秋の元へと現れた。
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