ムジカは五十音の夢をみる

藤沢INQ

第1話 日常は、ちょっとズレてる

 五十音が擬人化して踊っていた。


 わりと本気で踊っていた。


 しかも『い』がセンターで、『え』がサイドでポジション争いをしていた。


「……いや、『あ』は?」


 寝言のように呟いたその瞬間、黒板がスライドして開き、そこから出てきたのは人間のような、けれど、あまりにも千手観音に寄せすぎたシルエット。

 丸みを帯びた髪型、あまりにもまっすぐな眼差し。Tシャツには「元祖」と書かれている。


「ども〜。『あ』です〜」


 

「……っていう夢を見たんです、先生!」


「ムジカさん、二時間目は数学です。夢を報告しに職員室に来ないでください」


 

 *



 放課後のチャイム、それは教室から理解が退室した調べ。



 ムジカは教室に忘れてきたリコーダーを取りに戻った。


 机の上に仁王立ちしていた佐々木まよは、ひとこと目から全開だった。


「見てムジカ! 私の頭脳が、ついに現実を追い越したわ!」


「は?」


「この数式! ヒポクラテスの円を応用しててね、 牛乳からプリンを抽出するメソッドを編み出したの。手順はこうよ。冷蔵庫に牛乳をいれて、次に――念じる!」


「……それ、思いつきって言わない?」


「いいえ。念力は“物理学の未踏域”よ。つまり私はいま、理論物理の未来に立っている。ていうか、この机が宇宙の始まりなの知らなかった?」


「机がビッグバン!?」


「YES! ビッグバン!!」


 ムジカはそっとリコーダーを持って帰ろうとしたが、佐々木が瞳を輝かせて袖を引っ張ってきた。


「でねでね! 昨日の体育で私が三段跳びで横向きに着地してすべった理由がわかったの!」


「うん、普通に失敗しただけじゃない?」


「違うの。私は“ささき”。“さ”って、跳ねる音でしょう?  つまり私はもっと音速的に跳ねるべきだったのよ!」


「ちょっと待って。“ささき”ってそういう意味だったの?」


「じゃあムジカは? 自分の名前の構成素、ちゃんと把握してんの?」


「ムは無言、ジは地味、カは蚊」


「なにその完璧な自己否定三段活用」



 *



 廊下、それは盗んだセグウェイで走りだす場所。



 ふたり並んで下駄箱に向かう。佐々木の足音は軽快で、言葉は止まらない。


「私は、たぶん前世で電卓だった気がしてるの」


「根拠は?」


「空中に数字が浮かぶの。9とか3とか8とか。で、それを逆さにして読んでみて? ほら、∞でしょ」


「いやそれ8だけじゃん。他のは普通に数字だよ」


「でも視線を感じる。数字たちからの。あれは絶対、なにかの暗号」


「思春期の数学ってこんな哲学入ってくるんだっけ?」


「これはきっと、私の未来を暗示してる。938。つまり9時38分になにかが起きるってこと」


「起きたとしても、それ寝坊してるからね」



 *



 校門前、それは日常への回帰。



「じゃ、また明日ね。ムジカ!」


「……佐々木。今日なにかひとつでも意味のあること言った?」


「言ってたよ! というか意味って、後からついてくるものでしょ? 私は常に先行しているタイプです」


「いや……プリンの話の時点で、先行しすぎて意味を振り切ってたよ」


「言葉ってね、私たちが使っているように見えて、実は“使われてる”の。ポムポムプリンのように」


「理屈っぽいのに、ふわっふわしてるの何?」


「たまに“おはよう”がこっちを見てくる気もするの」


「それ、ただ挨拶されてるだけでしょ」


「だって、私の発言の8割はインスピレーションでできてるし、残りの2割は湿度だから」


「最後の湿度だけ本当に意味がわかんない」


 

 夕焼けに染まる校門。

 今日も、会話の中に意図はなかった。

 ただそこに、言葉があった。

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