第26話 側室の抵抗
明照との謁見を前に、宵は王宮の一室、控えの間で待機していた。
豪華な調度品に囲まれたその部屋は嘗て、宵が過ごした離宮の簡素な部屋とは比べ物にならないほど華やかだったが、彼女の心は静かに落ち着いていた。
窓から差し込む冬の淡い光が、部屋の隅々までを照らしその静寂を際立たせていた。
どれほどの時が流れただろうか。
ふと、扉が開く音がする。
その音は、静謐な部屋に、微かな緊張感を持ち込んだ。
そこに現れたのは、側室である澪音の姿だった。
鳳凰の刺繍が施された小袖を纏い、栗色の髪は艶やかに結い上げられている。
その顔には、完璧な『余裕の笑み』が浮かんでいた。
優雅な所作で部屋に入り、宵の前に立つ。
その一挙手一投足は、王宮で培われた洗練された美しさを湛えていた。
だが、その笑顔はどこか張り付いたもので、瞳の奥には微かな焦燥が揺らめいているのが、宵には見て取れた。
そして、声にわずかな棘が混じる。
同時に、以前のような態度ではないと宵は理解したのである。
「まあ、白羽の神子……宵様。てっきり二度と戻れないと思っておりましたのに。ご無事にお戻りで、何よりでございますわね……まさか、このような場所でお目にかかれるとは思いませんでした」
澪音は、扇で口元を隠しながら、優雅な仕草で宵を見下ろす。
その言葉は表面上は丁寧だが、隠しきれない悪意と嘲りが滲み出ているのもわかる。
彼女の瞳は、宵の旅衣を上から下まで値踏みするように見つめている。
「都を追われたあとどのような粗末な場所で、どのようにお過ごしだったのかしら? まさか、あの山奥の庵で、野良犬のように暮らしていらしたなんて……まあ、お気の毒に。さぞ、ご苦労なさったことでしょう」
澪音の言葉は、宵の過去を嘲笑し、現在の境遇を憐れむフリをして、彼女の心を抉ろうとするもの。
彼女自身も気づかぬまま、嘗ての取り繕った優美さが、その悪意によって少しずつ崩れてきている。
口元は笑みを保っているものの、その目の奥には、宵の存在が再び宮に戻ったことへの苛立ちと、自身の立場が脅かされることへの明確な恐怖が揺らめいていた。
「明照様もお優しい方――もう不要とされた方を、またこうしてお呼び寄せくださるなんて。私なら、とてもできません。一度手放したものを、今さら呼び戻すなど、王家の名折れにもなりかねませんのに」
澪音の言葉は、まるで鋭い刃のように宵に突きつけられる。
その言葉の裏には、宵が再び宮に戻ったことへの苛立ちと、自身の立場が脅かされることへの恐怖が隠されていた。
彼女の声音には、隠しきれない焦燥と、宵への強い警戒心が滲んでいる。
しかし、宵は澪音の嫌味に反論せず、ただ静かに受け流している。
その表情は、微塵も揺るがない。
澪音の笑いの裏にある『焦り』を、宵は敏感に察していた。
彼女の瞳は、澪音の瞳の奥に潜む不安を、静かに見透かしていた。
(この人は、私が戻ったことで自分の立場が揺らぐのを恐れている……だから、私を貶めようとしているのね。かつての私ならば、この言葉に傷つき反論することもできず、ただ耐えるしかなかったでしょう……けど、今は違う)
かつての宵ならば、その言葉に傷つき、反論することもできず、ただ耐えるしかなかっただろう。
しかし、庵での日々が、彼女に確かな芯を与えていた。
桂火との出会い、鈴羽との温かい交流、そして自らの意志で祈りを取り戻した経験が、彼女を強くしていたのだ。
宵は、落ち着いた声で、澪音の瞳をまっすぐに見つめて告げた。
その声は、静謐な部屋に、確かな響きをもって広がる。
「私は座を奪いに来たのではありません……過去を、終わらせに来ただけです。そして、私自身の意志で、この場所を去るために参りました」
澪音はその言葉に一瞬言葉を失い、その完璧な笑顔が凍りつく。
瞳孔が微かに開き、驚愕の色が浮かぶ。
しかし、すぐに笑みを取り繕う。その顔は、焦燥に駆られ、わずかに引きつっていた。
「ふふ……そうやって、自分の敗北を飾るのね。哀れなこと。所詮、一度追放された身……何を言っても、誰も貴女の言葉など信じませんわ。貴女が何を言おうと、事実は変わりませんのよ」
澪音はそう言い放ち、宵に背を向ける。
その背中には、まだわずかな優越感が残っていたが、宵の瞳にはその優越感が、もはや脆く、はかないものであることが見て取れた。
そしてこれ以上澪音の言葉は、もはや宵の心を傷つけることはなく、彼女にとっては、もはやその言葉すら、どうでもよいモノと変わっていたのであった。
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