第2話 清流から家へ
私の唇から自分の唇を離したホミは…嘲るような、私のことを馬鹿にした笑みを向けてくる。
私は空っぽの人間だけど、無感情で無反応な人間ではない。
そして…プライドだってある。
ホミの表情は、私のプライドを傷つけるには十分なものだった。
「……ッ!」
「わっ!?」
私はホミの肩を掴んでグッと横に押し、立場を逆転させて岩に押し付けた。
そしてホミの唇を貪るようにキスする。
あまりの強引さに呆気にとられるホミに対して、私は自信たっぷりに胸を張って半ば見下すような形で笑ってやった。
自分のしたことをそのままやり返されてカチンと来たのか、ホミはムッとした表情で自ら距離を詰めてくる。
睨み合う私達は、どちらが先にキスするかで静かに火花を散らす。
先にがっついたほうが負けな気がして、なんとか相手に先にさせようと睨み合うのだ。
――バサバサバサッ!!――
「「〜っ!?」」
突然直ぐ側で大きな羽音が聞こえ、私達は反射的に離れる。
川に居た水鳥が飛び立ったようで、見上げると見たこと無い鳥が飛んでいくのが見えた。
アイツのせいで完全に雰囲気が壊れた。
そして自分のした事を思い出して恥ずかしくなり、お互い顔を赤くして俯く。
別に好きでもない相手…ましてや女相手にファーストキスをくれてやったと言う事実が、自分の犯した過ちの大きさを語る。
無かったことにしたい。
けど……出来ない。
考えている事は同じなようで、ホミもずっと恥ずかしそうに俯いたまま。
けどずっとこうしているわけにもいかなくて…先に口を開いたのはホミだった。
「……うち来る?」
「…うん」
バカなことに、靴を履いたまま川に入ってしまった。
家に帰ろうと思えば電車で2時間以上かかる。
川の中に居るうちは冷たくて気持ちいいけれど、電車に乗って帰るとなれば不快なことこの上ないはず。
ホミに誘われて川を離れ、山と山の間にある…確か地理で習った扇状地とか言う地形の場所にやってきた。
家は見た感じ10件あるかないか。
しかもかなり散在していて、ご近所付き合いが大変そう。
「ここが私の家だよ」
「凄い……」
ホミが案内してくれたのは、庭付き塀付きの2階建ての趣のある一軒家。
2階建てと言っても、サイズ的に階段と1部屋くらいだろうか。
ただ一階の面積はかなり広く、私が住むアパートの部屋3つ分くらいはあるだろうか?
私の家族は5人家族なので、アパートはかなり広い方だけど…この家はもっと広い。
「お邪魔します…」
「靴は脱いでそこに置いて。靴下も脱い手で持ってて」
ホミはそう言って……とても趣のある家の奥に入っていった。
家の中は見たこと無いものばかり。
両方の祖父母も都会住みなので、田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家と言うのがよくわからないが……世間一般にイメージされるそれだ。
しばらく待っているとホミが戻ってきて、タオルで私の濡れた足を拭いてくれる。
「なんにもない家だけど上がってよ」
「それは…おばあちゃんかおじいちゃんに失礼じゃない?」
「…そうかもね。まあ、家具や食器以外の遺品は全部整理したから、なんにも残ってないよ。だから、何もない家って言っても許される」
「……ごめん」
「謝ることじゃないよ。別に寂しいと思ったこと無いし」
こんな立派な家なのだから、祖父母と一緒に暮らしてるものだと思ってた。
けど実際は…おそらく一人暮らし。
そう思った理由は…ホミからは私と同じ気配を感じるから。
それは今は聞かないとして、私はホミの家にお邪魔させてもらう。
あまり馴染みのない匂いがしてなんだろうと思ったけれど…その正体はすぐに分かった。
「畳だ…!」
「…そんなに珍しい?都会育ちの人はよく分かんないね」
この何処か青臭いけど乾いた匂い。
昔小学校の修学旅行で行った旅館で嗅いだ匂いだ!
畳の匂い…それを全身で浴びるため、人様の家だと言うのに遠慮なく横になる。
「ああ、いい匂い…」
「畳のイグサの匂い、そんなに好き?」
「畳なんて旅先の旅館でしか見たこと無いよ。基本フローリング」
「ふ〜ん…」
奇妙なものを見る目でホミに見られたが、私にとっては全てが新鮮で興味が尽きない。
私が次に気になったのは、扇風機だ。
「なにこれ凄い!カッコイイ!」
「…ただの古臭い扇風機じゃん」
「こんなの見たこと無いよ!」
「……はあ?」
言われてみれば、確かに感じる昭和レトロの雰囲気。
一昔前の生活を舞台にしたテレビドラマでよく見る、ボタンが四角くて出っ張っててブレードが半透明の緑で、よく分かんないネットが掛けられてる扇風機。
目で使って良いか許可を求めると、良いよと言ってもらえたのでボタンを押してみる。
――パチン!ウーワンワンワンワン――
独特の駆動音。
私の知っている扇風機は、こんな駆動音を出したりはしない。
と言うか、駆動音がしたかどうかも怪しい。
ブレードが回ることで送られてくる風は、畳の匂いがして心地良い。
風を感じているといつの間にかホミが居なくなっていて、私は扇風機を止めた。
家主不在時に勝手なことは出来ない。
ちょこんと座って待っていると、見たこと無いくらい大きくて深いお盆に、これまた古臭いガラスコップと赤いやかんを乗せてホミが戻ってきた。
「麦茶持ってきたよ。汗かいたでしょ?」
「ありがとう。……んっ!?美味しい…」
「ただの麦茶だよ」
麦茶なんてコンビニで買える。
それにうちは水出しのパック緑茶をピッチャーに入れて、水道水を注ぐだけ。
十分美味しいけど…この麦茶は違う。
なんというか…透き通るような美味しさがあるんだ。
「どこのメーカーのお茶使ってるの?」
「え?…普通の水色のパックの麦茶だけど…」
「なにそれ?」
「ヤカンで沸かす……って言っても、伝わらないか。偏見だけど、ヤカンでお茶を沸かすのが面倒くさいって言って、水出しパックのお茶飲んでそうだし」
「ぐっ…」
「当たりか。ふふっ、きっとやかんで沸かしたお茶と水出しの差じゃない?」
…そうかもね。
いつも飲んでいるお茶や、コンビニで買える麦茶よりもずっと美味しい。
なんでかんでも時短時短って言うけど、丁寧に時間をかけた方が美味しいのかな。
「さて…靴下はもみ洗いで洗濯して乾かしてあげる。靴も…天日干しして、乾かなかったらドライヤーで乾かすよ。お昼ご飯食べて…晩ご飯はどうする?」
「…じゃあ、貰おうかな?」
「分かった。…ああでも、うち駅からは遠いよ?」
「………」
「どうしたの?」
ホミのところでお昼ご飯、晩ご飯をもらうことになった。
けど…大変な問題が発生した。
「その……私、迷子なんだよね」
「はっ?」
「いや…知らない土地に1人で来て、当てもなくブラブラ歩いてたから…」
「…それ、どうするつもりだったの?」
「現地の人に駅まで連れて行って貰えば良いやって思ってた」
「スマホのマップ使いなよ…」
「それは負けた気がするからヤダ」
「なにそれ?」
呆れてものも言えない様子のホミ。
同い年の女の子にそんな目で見られて、流石にちょっと恥ずかしかった。
けどもう困ることはない。
ホミに駅まで連れて行って貰えば良いんだ。
帰るのはいつだって帰れる。
…けど、帰りたくないね。
「はぁ…じゃあ帰りは私が案内するよ。お金足りる?」
「問題ない。……でも」
「…帰りたくない、って?こんな不便なところ、都会育ちのひ弱なサカイはすぐに音を上げると思うけどね」
「むっ…!」
嫌味な言い方をされてちょっと頭にきた。
けど、家にお邪魔させてもらって、お昼ご飯と晩ご飯まで用意してもらって、帰り道まで教えてくれると言うのにここで怒るのはどうかと思う。
グッと堪えて、怒りを飲み込んだ。
…それに、ホミは私の事情に触れなかった。
なんとなく…同じような境遇だから察せられたんだろう。
…ちっぽけな反抗心で家を出てきた私の気持ちを、理解してくれたのかも知れない。
「にしても10時か…暑いね。エアコンつける?」
「つける」
「了解。じゃあそこの引き戸を閉めてよ」
ホミに言われ、私は縁側に繋がる引き戸を閉める。
それと同時にホミがエアコンを付け…家の雰囲気に比べて不相応に新しいエアコンが動き出す。
「最近はこのあたりも暑くて仕方なくなってきたからね。うちにもエアコンが付いたんだ」
「はぇ〜…」
…それってつまり、最近までエアコンはついてなかったって事?
田舎凄いね…
「ふぅ〜…快適快適」
ホミはエアコンの風が直接当たるところで横になり、冷風を浴びてとても気持ちよさそうにしている。
私もその横に寝転がり、冷風を浴びる。
そうしているうちに、いつの間にか時間が過ぎてホミはお昼ご飯を準備しに行った。
…『手伝うよ』なんて言い出せず、私は気を紛らわせようとスマホでゲームをする。
そして、Wi-Fiが繋がっていない事を思い出してホミを探しに部屋を出た。
「うっ……」
ムワッとした湿度の高い熱気。
梅雨明けしたばかりの今はまだ、エアコンが効いていない部屋に行くとこうして暑さと湿度にやられる。
やる気を一気に削がれながらも見知らぬ家の部屋を歩き周り、ホミを見つけた。
台所で大根を切っていたホミは私を見て首をかしげる。
「何か困ったことでもあった?…あっ、トイレは玄関を左に曲がった所にあるよ」
「あ、いや、そうじゃなくて…」
…押しかけておいて、Wi-Fiを繋ぎたいなんて厚かましいかも知れない。
本当に聞くか少し悩んだけれど…ここは恥というか常識と言うか、そういう物を抑えて口に出す。
「Wi-Fiを繋ぎたいんだけど…パスワードを教えてくれる?」
「えっ?……ああ、そうだったね。うち、Wi-Fi無いんだ」
「………え?」
ホミのその言葉は雷に打たれたかのような衝撃的なものであり、私はその言葉を理解できず数秒固まってしまうのだった。
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