第9話 初めての魔法と、二人だけの秘密
洞窟の中は、ひんやりとした静寂に包まれていた。
入り口から差し込む夏の強い光が、洞窟内の潮だまりに反射して、壁をゆらゆらと青く照らしている。その神秘的な光景は、まるで異世界への入り口のようだった。
高坂葵は、隣に立つリリー・ヴァレスクの横顔を見る。そのヘーゼル色の瞳も、洞窟の青い光を映して、いつも以上にミステリアスに輝いていた。
「すごい、綺麗!」
葵が思わず呟くと、リリーは「ふん。僕の黒魔術の儀式を行うには、まあまあ相応しい場所だな」と、いつもの調子で憎まれ口を叩く。
「じゃあ、騎士様が、魔物がいないか見張っててあげる」
「仰せのままに、って言いな、騎士様」
「はいはい、仰せのままに、僕の可愛い魔法使い様」
そのやり取りに、二人は顔を見合わせて、くすりと笑った。二人の想いを確認したことで、昔のごっこ遊びにも、なんだか新しい甘さが加わって、くすぐったい。
そんな、穏やかで幸せな時間の、終わりは突然やってきた。
洞窟の奥まで進み、一番大きな潮だまりの前に立った時、リリーが「あ!」と、小さな、そして絶望的な響きを帯びた声を上げたのだ。
「ない……」
「え、何が?」
「葵がくれた、黒猫のマスコット……」
リリーが指差す彼女の浴衣の帯。そこには、夏祭りの夜、葵が射的で必死になって撃ち落とした、黒猫のマスコットが結びつけられているはずだった。でも、今は、それを留めていたはずの赤い紐だけが、虚しく揺れている。
「え、嘘でしょ?!どこで落としたんだろう」
葵の顔も真剣になる。
二人は、慌てて来た道を引き返し、足元を必死で探した。でも、薄暗い洞窟の中、小さな黒猫はどこにも見当たらない。
「……どこにも、ない……」
リリーは、いつもの生意気さが嘘のように、うつむいて、か細い声で呟いた。その肩が小さく震えている。
葵は、リリーがあのマスコットを本当に、本当に大切にしてくれていたことを知り、自分の不注意が悔しくて、胸が張り裂けそうだった。
あれは、二人にとって、重要な夜の、大切な思い出の品だったのだ。
葵は自分の浴衣の裾が濡れるのも構わず、洞窟の岩の隙間や潮だまりに手を入れて探し続ける。
そんな葵の姿を、リリーは黙って見ていたが、やがて、自分に言い聞かせるように呟いた。
「……もういいよ、葵。諦めよう。所詮、ただのマスコットだし。レアアイテムでもないし」
その声は、明らかに震えていた。
「よくない!」
葵は、探し続けるのをやめず、叫んでいた。
「諦めない!リリーが大事にしてたものなんだから!僕にとっても、大事な宝物なの!」
その言葉に、リリーの瞳が大きく揺れた。そして、何かを決意したように、葵の前に立つ。
「……葵」
リリーは、真剣な声で言った。
「ちょっとだけ、目、つぶってて」
「え?」
「いいから。僕のこと、信じて。僕の、騎士様」
その、どこか切実で、でも絶対的な信頼を込めた言葉に、葵は戸惑いながらも、ぎゅっと目を閉じた。
***
目を閉じていると、リリーの小さな囁き声が聞こえてきた。それは、葵が知らない、異国の古い言葉のようだった。柔らかく、しかし凛とした響きを持つその声は、洞窟の静寂の中に不思議なリズムで溶けていく。
リリーが身につけている、もう一つの黒猫のペンダントから、ふわりと温かい光が放たれたような気がした。
「……もう、いいよ」
リリーの声に、葵はおそるおそる目を開ける。
そして、目の前に広がる光景に、息をのんだ。
洞窟の奥。私たちがどうしても手の届かなかった、岩の隙間の暗闇から、あの黒猫のマスコットが、淡い、本当に淡い紫色の光の粒子に包まれて、ふわり、と浮かび上がってきたのだ。
それは、まるで深海を漂うクラゲのように、ゆっくりと、静かに空中を漂い、そして、吸い寄せられるように、葵の差し出された手のひらの上に、そっと舞い降りた。
(……うそ……)
手の中のマスコットは、少しだけ湿っているけれど、温かい。そして、それを包んでいた淡い光は、役目を終えたかのように、キラキラと輝きながら空気の中に溶けて消えていった。
「……リリー、ちゃん。これって、魔法?」
葵が、驚きで声も出ないまま、目の前に立つリリーを見つめる。
リリーは、顔を真っ赤にしながら、しかし、どこまでも真っ直ぐな瞳で葵を見つめ返した。
「……葵にだけ、特別だからな」
その声は、少しだけ震えている。
「僕が、魔法使いだってこと、他のやつには、絶対に言うなよ。……約束だぞ」
それは、照れ隠しの言葉であり、同時に、葵への絶対的な信頼を示す、世界で一番大切な告白だった。
葵は、驚きよりも、どうしようもない感動と、愛しさで胸がいっぱいになった。
リリーが、自分の最大の秘密を、自分にだけ、打ち明けてくれた。その事実が、何よりも嬉しかった。
「……うん。約束する」
葵は、涙がこぼれそうになるのを堪えながら、力強く頷いた。
「僕だけの、特別な魔法使いだもんね」
「……ばーか」
葵がそう言って、精一杯の笑顔を見せると、リリーは俯いて呟いた。でも、その口元は、確かに嬉しそうに緩んでいた。
洞窟を出ると、空は綺麗なオレンジ色に染まり始めていた。
帰り道。二人の間には、一つの大きな、キラキラした秘密を共有したことによる、これまでとは違う、もっと強くて、もっと温かい絆が生まれていた。
(リリーのこと、もっと知りたい。そして、この秘密ごと、全部守りたい)
葵の心には、新たな決意が、夏の夕焼けのように、熱く宿っていた。
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