第10話 三者三様の強み
夜の帳が下りる頃。カンジダの書斎──地上からの遺物が分厚い埃を被って並ぶ、巨大キノコの一室。
部屋の3分の1程を占める木製の机上に広げられた、古ぼけて端の欠けた森の地図を、三つの影が囲んでいた。
刻まれたインクは掠れ、一種の古文書としての威厳を漂わせている。これから踏み込む未知への決意が、三人の顔に色濃く浮かんでいた。
「……それで、お目当ての場所はどこなんだ、カンジダ」
沈黙を破ったのは、待ちきれないといった様子のカンダタだった。
「はい……。これが、村の外れにある拳闘倶楽部、『パドマ・アーサナ』の場所です」
カンジダが震える指で地図の一点を指し示した。乾いた唇を一度湿らせ、彼は言葉を続ける。
「噂によれば、今夜ここで闇オークションが開かれます。初代様の御笠が出品されるとしたら、その時かと……」
「……よし、決まりだな!」
カンダタは拳を力強く握りしめ、骨を鳴らした。その乾いた音は、彼の逸る心を何より雄弁に物語っている。
「正面から殴り込んで、笠を奪い返しにいこうぜ!」
その声は書斎の静寂を打ち破り、菌糸の壁に荒々しく反響した。
「いえ、それはあまりに危険です!」
カンジダが血の気の引いた顔で激しく首を振る。彼の脳裏には、無謀な突撃の末に待ち受けるであろう、おぞましい光景が焼き付いていた。
「インダンバラは、コカナダと並び称されるほどの豪傑です。部下にも腕利きが多いと聞きます。何の策もなしに突入すれば、肉塊にされてしまいますよ!」
「やってみなきゃ分からねえだろうが! ぐずぐずしてたら、笠がどこのどいつかの手に渡っちまうぞ!」
カンダタが不満げに唸る。その苛立ちは、策も無しに突っ込むことの愚かさを心のどこかで理解している自分へのもどかしさの裏返しであった。やり場のない視線が、埃を被った遺物の一つ、錆びた歯車の上を彷徨う。
「それなら……僕が……胞子で警備の者達を眠らせて、その隙に初代様の御笠を……」
カンジダが自らを犠牲にすることも厭わぬ覚悟で、か細い声を絞り出す。
「どっちも却下、だな」
クムダは、地図の上に滑らかな黒い石を置きながら冷徹に分析を始める。その瞳は、ただそこにある『状況』という名の盤面だけを、寸分の狂いもなく見据えていた。
「カンダタのやり方は無謀すぎる。敵の数も、会場の構造も、奴らの武器さえ分からない。このまま突っ込んでも、ただの犬死にだ」
痛いところを突かれ、カンダタは喉を詰まらせた。返す言葉を探す彼の背中が、先程までの威勢が嘘のように小さく見える。
「カンジダ、君の胞子がどれほど強力かは知らないが、相手は闇の世界で名を馳せるほどの強敵なのだろう? 君自身に万が一のことがあれば、我々にとってそれ以上の損失はない」
カンジダもまた、自身の覚悟の奥にある甘さと自己満足を言い当てられ、申し訳なさそうに顔を伏せるしかなかった。
絶対的な指導力がそこにはあった。クムダの言葉は、熱に浮かされた二人を冷静な現実に引き戻す。
「こういう時は、まず潜伏する。敵を知り、状況を捉える。動くのは全ての条件が整ってからだ」
クムダは、地図の上に二つ目の石を、続けて三つ目の石を並べた。
「俺達の強みは三者三様、全く違う能力を持っていることだ。これを最大限に活かす」
一つ目の石を、カンダタの前に滑らせる。
「カンダタ。あんたはその体格を活かせ。金持ちの用心棒として、堂々と正面から乗り込むんだ。一番目立つが、一番怪しまれない。あんたの役割は、俺達が動くまでの『目くらまし』と、いざという時の『破壊役』だ」
「用心棒、ね……。悪くねえ。で、誰を殴り倒せばいいんだ?」
カンダタの口元がわずかに吊り上がる。
「まだだ。機が熟すまで、その拳は仕舞っておけ」
クムダはカンダタを軽く制し、二つ目の石をカンジダの前に置いた。
「カンジダ。君はこの森の土地勘があり、この世界に関する知識がある。オークション客に扮して、逃走経路と、敵の増援が現れそうな場所を全て確認するんだ。君は俺達の『眼』になってくれ」
「僕が、お二人の眼に……。はい! この森の地理と一般的な建物の構造なら頭に入っています。お任せください!」
カンジダは、己が与えられた重要な役割に、不安よりも使命感を強くした。
そしてクムダは、三つ目の石を自分の胸の前に、確かめるように置いた。
「俺の武器は、この体だ。誰の目にも、どの防犯機器にも気づかれずに潜り込める場所があるはずだ。天井裏か、荷物の中か……。機が熟したら、俺が『奇襲』を仕掛ける」
「相変わらず気味の悪いやり方をするな、お前は」
カンダタが軽口を叩くと、クムダは表情を変えずに続けた。
「最も効率的なだけだ」
それらの石は、盤上の駒であると同時に、彼ら三人の魂そのものだった。クムダは、四つ目の一回り小さな白い石を、三つの黒い石の中央に配置した。それこそが、彼らの目的──。
「作戦開始の合図は、インダンバラが『初代様の御笠』をステージに出した瞬間。まず、カンダタが派手に騒ぎを起こして、会場中の注意を引きつける」
「ほう、ようやく俺の出番か! 待ってました!」
カンダタが拳を打ち合わせる。
「その混乱に乗じて、俺とカンジダでお目当てのブツを確保する。カンジダの胞子で追っ手を防ぎ、事前に確保した逃走経路から全員で脱出する。いいな?」
それは、カンダタの腕力だけでも、カンジダの知識だけでも決して成立しない、三人が揃って初めて生まれた作戦だった。それぞれの弱点を補い、長所を最大限に引き出す、完璧な三重奏。
「……回りくどいのは好かねえが、まあいいだろう。面白そうだ」
カンダタは、獰猛な肉食獣のような不敵な笑みを浮かべた。その瞳に、再び闘志の火が赤々と灯る。
「素晴らしい作戦です、クムダさん……!」
カンジダは、クムダの揺るぎない知略に、心からの感嘆の声を上げた。不安に曇っていた彼の顔に確かな希望の色が差し、強張っていた肩の力がふっと抜ける。
「抜かるなよ。必ず取り返し、帰還するんだ」
クムダの静かな一言が、二人の胸に深く刻まれた。
こうして、義賊の「剛」、学者の「知」、そして武器人間の「奇」。三つの異なる力が、一つの確固たる意志の下に結束した。悪意と欲望が渦巻く魔の巣窟へと挑む準備は静かに、しかし確かに整ったのだった。
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