第6話 木ノ子族の青年
カンダタが戦斧『鯨波』を、コカナダが小さなナイフを、それぞれ構え直す。扱い慣れた得物の重みがカンダタの両腕に伝わり、対するコカナダのナイフは、獲物を狙う毒牙のように鈍い光を放っていた。
「いいね、その武骨な斧。あたしのコレクションにぴったりだ」
コカナダが妖艶に微笑む。しかし、その目は笑っておらず、ただ獲物としての価値を品定めしていた。
「生憎だが、あんたに何も渡す気はない」
カンダタは、斧の切っ先をわずかに下げる。いつでも全力の一撃を繰り出せる、必殺の間合いであった。
両者の間に張り詰めた闘気がぶつかり、目に見えない火花が散るほどの緊張が辺りを支配する。カンダタの呼吸は深く、コカナダのそれは浅く、速い。互いの次の一手を読み合い、一瞬の隙も許されない時間が永遠のように引き伸ばされていく。
──その時だった。
ポォォォ……ン……。どこからともなく、地の底から響き渡るような笛の音が鳴り響いた。それは一つではなく、いくつも重なり合い、不気味な和音となって空気を震わせる。まるで巨大な生き物の呻き声のようなその音は、戦いの熱狂を強制的に冷ましていく。
「カンダタ、この音は……?」
『森王殺し』の姿のまま、クムダが警戒の声を上げる。
「静かにしろ、クムダ。何かが来る……それも、かなりの数だ」
カンダタが予感した通り、コカナダの顔が殺気に満ちたまま、あからさまに歪んだ。
「……チッ。最悪のタイミングで、一番面倒なのが来たね」
獲物を横から奪われたという純粋な苛立ち。面倒なものに水を差されたという不快感が、その美しい顔立ちを醜くさせる。
カンダタが訝しみ、音の出どころを探るように視線を巡らせる。すると、周囲のゴツゴツとした岩陰や、暗い口を開けた洞穴から、ぞろぞろと奇妙な集団が現れた。地面から滲み出てくるかのように、それらは次から次へと数を増していく。
「な、なんだこいつら……!?」
彼らは、人間とは程遠い姿をしていた。
背丈は低く、ずんぐりとした体躯に、肌は湿った土のように茶色い。何より異様なのは、頭にキノコの笠のようなものが帽子のように張り付いていることだった。その目は黒曜石のように大きく、光を吸い込んで何も映さず、表情というものが一切読み取れない。
「……敵意は感じられない。だが、油断するな」
クムダはカンダタに小声で告げる。その集団からは、数の力だけではない、静かで揺るぎない圧力が放たれていた。それは個々の戦闘力ではなく、一つの意志で動く森そのもののような、底知れない圧迫感だった。
「木ノ子族……!」
コカナダが吐き捨てる。その声には、苛立ちと共に明らかな嫌悪が混じっていた。部下二人も、先程までの威勢が嘘のように狼狽し、恐怖の色を隠せずにいる。
集団の中から、一際大きな笠を持つ一体がぬるりと前に進み出た。その者は言葉を発さず、感情のない黒い瞳で、ただじっとコカナダらを見つめている。その無言の視線は、「この場での争いは許さない」と語っているようだった。
コカナダは忌々しそうにナイフを鞘に収めると、カンダタに向かって言い放った。その視線は口惜しそうに、しかし全く諦める気がないことが分かるほどに爛々と輝いている。
「今日のところはお預けさ。この邪魔が入っちゃあ興も醒める。だが、その面白い武器は、いつか必ず貰い受けるからね。首を洗って待ってな、義賊サマ」
彼女はそれだけ言うと、憎々しげに木ノ子族を一瞥し、部下二人を伴って──現れたときと同じように──音もなく岩陰へと消えていった。まるで赤い風景に溶け込むように、その姿はあっけなく見えなくなった。
「……やれやれ、とんでもない女に目をつけられたもんだ」
嵐が去り、あとにはカンダタと『森王殺し』のままのクムダ、そして無数の木ノ子族だけが残された。
奇妙な静寂が、再び湖畔を支配する。カンダタが構えを解かず警戒を続けていると、先頭の木ノ子族が、古木の軋むような声で話しかけてきた。
「我々ハ、争イヲ、好マヌ。我々ハ、コノ地ニ生キル、胞子ノ民」
その言葉に、敵意や威圧感は含まれていない。ただ事実を告げるような淡々とした響き。それを感じ取り、カンダタは『森王殺し』の鉄球の棘と棘の間をそっと叩いた。するとそれは、まばゆい光の粒子に包まれ収縮していく。
「はぁ…はぁ……カンダタ、助かった……」
光が晴れると、そこには息を切らした少年クムダの姿があった。
「よくやった、クムダ。少し休んでろ」
カンダタは少年の肩を軽く叩いた。その不可思議な光景に、それまで石像のように静かだった木ノ子族が僅かにざわめいた。無数に立ち並ぶ笠が、さざ波のように揺れる。
「……アナタ方ハ、ヤハリ『上』ノ世界カラ、来タ者カ」
代表の木ノ子族は、すべてを見透かしたように言った。その声には、確信の色が滲んでいた。
「我々ノ村ヘ、来ルガイイ。話ヲ、聞カセテ欲シイ」
カンダタはクムダと顔を見合わせる。この世界はまだ謎だらけだ。敵か味方かも分からないが、情報を得る必要があった。二人は頷き合うと、木ノ子族に向き直った。
「ああ、分かった。俺の名はカンダタ、こいつはクムダだ。訳あって、あんた達の言う『上』の世界からやってきた」
カンダタがそう答えると、木ノ子族達は静かに道を開け、二人を自分達の集落へと導き始めた。カンダタとクムダの後ろを足音も立てずに黙々とついてくる。無言の行列が続く様は、静かであればあるほど、かえって不気味さを際立たせていた。
しばらく岩だらけの道を進むと、先導していた代表の木ノ子族が下がり、代わりにもう一体、他よりも少しだけ背が高く、笠の色が雨上がりの若葉のように鮮やかな個体が前に進み出た。
「ここからは、私がご案内します。カンジダと申します。どうぞ、こちらへ」
その流暢な言葉遣いに、カンダタとクムダは顔を見合わせた。他の木ノ子族の、単語を途切れ途切れに発するような口調とはまるで違う。知性を感じさせる、滑らかな声だった。
カンジダと名乗った木ノ子族は、二人の驚きを察したのか、少しだけはにかむように鮮やかな笠を揺らした。その仕草には、どこか若者らしい初々しさが感じられる。彼は、この種族で言うところの「青年」なのだろう。その黒曜石の瞳には、他の者にはない、強い好奇の光が宿っているように見えた。
「君は、言葉が達者なんだな」
クムダが探るように言うと、カンジダは嬉しそうに頷いた。
「古い伝承を学ぶのが好きなだけです。外の世界のことも……そして、天上の世界のことも」
カンジダは、少し照れたように笠の縁を細い指でなぞる。その子供っぽい仕草を見て、カンダタは少しだけ警戒を解き、問いかける。
「さっきの女……コカナダのことも知っているか?」
その名を聞いた瞬間、カンジダの顔が少し曇ったように見えた。笠が作る影が、その表情のない顔をさらに暗く見せる。
「『大紅蓮華』の頭目ですね……。はい、知っています。彼女もあなた方と同じで、数年前に『上』から来たそうです。……彼女とは関わらないのが一番です。この地の静けさを力で塗り替えようとしている……危険な御方ですから」
話しているうちに一行は狭い岩道を抜け、巨大な空洞へとたどり着いた。そこには、息を呑むような圧倒的な空間が広がっていた。
頭上遥か高くには、白く発光する巨大な結晶体がいくつも浮かんでいた。それはまるで、星々のように穏やかな光を放ち、広大な地底空間を隅々まで青白く照らし出している。
「なあ、ずっと疑問に思っていたんだが……。上にあるのは……太陽、なのか?」
カンダタが思わず尋ねると、カンジダは静かに首を振った。その声には、遠い過去を懐かしむような響きがあった。
「私達は『偽りの太陽』と呼んでいます。本物の太陽を知る者は、もう私達の中にはおりません……。伝承によれば、その光はもっと温かいものだとか」
その言葉に含まれた途方もない喪失感に、カンダタは言葉を失う。クムダは核心を突く質問を投げかけた。
「あんた達は俺達を『上から来た者』と言う。つまりあんた達は、ここが地底だと知っているのか?」
カンジダは一行を少し止めると、秘密を打ち明けるように声を潜めた。黒曜石の瞳が真剣な光を帯びる。
「はい。この世界が、あなた方がいた地上の遥か下……閉ざされた地底であるという事実は、おそらく、私達木ノ子族だけが知る、古からの伝承です」
彼は、道の先に広がる巨大なキノコ群――彼らの村──を指し示しながら、付け加えた。その村は、偽りの太陽の光を受けて、様々な色に淡く輝いている。
「この地には私達の他に、力強き『古代種』や、森と生きる『樹人』もおります。……彼らは、この偽りの太陽の下こそが、世界の全てだと信じて疑っておりません」
「……とんでもない場所に来ちまったらしいな、俺たちは」
真実を知る、木ノ子族。そして、ここを地上だと信じて生きる、他の種族。カンダタとクムダは、この世界の複雑な構造の一端に触れ、改めてその異様さに言葉を失っていた。
やがて一行は、様々な色に発光するキノコで形成された、幻想的な集落へとたどり着いた。そこには、大小様々なキノコが、それ自体が家となって林立する、不思議な集落が広がっていた。
土と菌類の混じった、湿った匂いが鼻をくすぐる。笠の裏側や菌糸の隙間から漏れる柔らかな光が、偽りの太陽の冷たい光とは対照的に、村全体を温かく、そして穏やかに照らしていた。
「さあ、着きました。ここが私達の村です!」
カンジダの声が、夢のような光景の中で優しく響いた。
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