第9話 枢木京子先生

 彼の口から紡がれた名を確かめる様に絶叫して繰り返し、彼女の姿に釘付けになる。


 見ると確かに、体育の先生然とした女性教師の出で立ちだ。ジャージ姿に、運動靴。セミロングの長さの茶髪をキュッと低めのポニーテールで纏めている。

 服装だけを挙げ連ねると、かなり野暮ったい姿に思うけれど。先生のお顔が、とても可愛らしい顔立ちだからジャージ姿でも全然アリだ。芋っぽいと思うよりも、格好良さが溢れ出ている。


 枢木先生は「枢木京子くるるぎきょうこです」と、ニコリと可愛らしく顔を綻ばせ、首から下げている名札をスッと出した。

「普通科とは全く接点がないから、天ヶ崎さんとは初めましてだよね」


 ……わぁ、名札を見せる所作も素敵。なんか、宝塚男子を見ているみたいでちょっとドキドキしちゃうわ。

 強襲された驚きから一転、私はコロリと枢木先生の魅力に填まってしまった。


「は、初めまして。天ヶ崎愛望です」

 込み上げる照れを必死に押さえながら、おずおずと答える私。

 枢木先生はそんな私の挨拶に「よろしく」と、可愛らしくはにかむが。忍足君に向き直ると、その可愛さが一気に消え、ヒッと息を飲む程に厳めしい面持ちになった。


「忍足、私の言いたい事が分かるか?」

 コロコロと鈴を転がす様な声もガラリと代わる。氷点下を感じさせる程の声音に、物々しさが溢れる口調だ。


 私はギュッと縮こまってしまうけれど、忍足君は平然と「はい」と答える。Sp科の担任と生徒としては、これが日常なのだろう。

「いいや、分かっていないだろう。だからお前はそんなに甘っちょろいままなんだ」

 トントン、トンットンッ、と枢木先生の足までもが怒りを紡ぎ始める。


 忍足君は「分かっています」と、キッパリと答える。

「これからは己の甘さをなくし、護衛対象を確実に守り抜いていきます」

「ふん、言葉ではどうとでも言える。いいか、忍足。私が望んでいるのは、そんな薄っぺらい言葉ではないんだよ」

 枢木先生は忍足君の言葉を容赦なく一蹴する。

「その甘さを捨てきれたと言う、行動を見せろ。今のままでは、Spになれない事は勿論、大切な者でさえも守れやしないカスになるからな」

「分かっています。もう二度と、昨日の様なヘマはしません」

 昨日の様なヘマ、そこで二人のやりとりを見守るばかりだった私はハッと気がついた。


 待って、まさか枢木先生があんな行動に出て、ここまで厳しい言葉を彼にぶつけるのって。昨日の事があったからじゃないの?

 昨日の原因は、ひとえに私にある。何一つ、忍足君のせいじゃないのに!


 私はキュッと鞄の紐を握りしめ、「枢木先生、違うんです!」と訴えようと口を開いた。

 その時だった。


 突然枢木先生がバッと手で目元を覆い、大きく天を仰ぎだす。


「……無理、尊い」

 薄く開きかけていた唇が「え?」とばかりに、ぎこちなくその場で固まった。


 しかしその間も、目の前の異変は止まる事なく、つらつらと続いてしまう。

「無理無理、青春過ぎて死ぬわ。アラサーには刺激が強すぎるっ」


 ん? え? あれ? なんか急に、色々おかしくなってない……?

 私は、目の前で急にパッと消えた怒りと「格好いい枢木先生」に唖然としてしまった。


「先生、モールスの意味がなくなってます。そして本性も表に出てますよ」

 呆気に取られるばかりの私の横で、忍足君が淡々と突っ込む。

 そんな淡々とした突っ込みが入ったおかげで、と言うべきか。私はギョッとして、自分を捕らえていた驚きから抜け出せた。


「モールスってまさか、モールス信号の事? !」

「そうだよ。先生は足をトントンして、俺は手で腿を叩いて、本当の会話をしていたんだ」

 Sp科では、ハンドサインと共に学んで活用するんだよ。なんて補足してくれるけれど、そこは一切耳に入らなかった。


 あの足トントンって、怒っていたって事じゃなくて、モールス信号で会話をしていたって事だったの? ! 嘘でしょ? そんなスパイ映画みたいな事が、現実で使われているの? !

 って言うか、何を会話していたらこんな風になるのよ? !


 表では再び唖然としてしまう私だけれど、心中ではぶわっと激しい突っ込みが並んでいた。


 すると枢木先生が開き直った様に「仕方ないでしょ!」と、乙女らしく両頬に手を添えて声を張り上げる。


「アラサー未婚女には、こんな甘酸っぱさはオーバーキルなのよ! って、そんな事はどうでも良いの! 忍足! アンタ、マジで頑張りなさいよ」

 枢木先生は涼しげな目元をカッと大きく目を見開いて、物々しく告げた。

「女に婚期を逃させる男にはなるんじゃないわよ。なぁなぁも駄目、振り向かれなくてもひたむきな想いをぶつけ続けなさい」

 私のご先祖も好き好き言い続けてくっついた例があるらしいから! と、己の内で猛々しく燃え盛る炎を忍足君にぶつけ始める。


「本当に、絶対に、天ヶ崎さんを私の様にしちゃ駄目よ。婚期を逃し、マチアプでも悉く連敗する苦しみを女に味合わせる男はマジでギルティだからね。それに「君は色々と大雑把過ぎて無理です」って振りやがる男にもなるなよ。あぁ、本当に腹立つ。あのガリクソ眼鏡、何が大雑把よ。こちとら猫被ってたんだから、大雑把な訳ないだろっての」

「先生、応援が徐々に私怨に変わってきています」

 それに、愛望さんが先生の豹変振りに驚き過ぎて追いつけていません。と、またも忍足君の淡々とした突っ込みが入った。


 その言葉で、ようやく枢木先生はハッとする。そしてゴホンと本当にわざとらしい咳払いを一つしてから「兎も角」と、この絶妙な空気を強引に振り払った。


「他の生徒と違った実習の形を許したんだから二度とヘマをせず、確実に護る事。分かったね」

「勿論です」

 忍足君は力強く頷き、毅然と宣誓する。


 その宣誓を貰うや否や、枢木先生はパッと踵を返して校舎内に向かって行ってしまった。


 ……なんだか、忍足君が「恋愛至上・推進主義」と書いて先生と言ったのがよく分かった気がするわ。


 私は去っていく嵐の背を呆然としたまま見送った。


「愛望さん。朝から色々驚かせてごめんね」

 忍足君がパッとこちらを振り返り、申し訳なさそうに頭を軽く下げる。

 私は「うううん」と唸る様にして、曖昧な形で応えた。


 刹那、キーンコーンカーンコーンと学校のチャイムが無情に鳴り響く。


「あっ、ヤバ!」

「急ごう、愛望さん!」

 いつまでも止まっていられない事に気がつき、私と忍足君はバッと駆け出した。


 前へ前へと、足を早く進ませる。けれど、いつまで経っても、心だけはその場でもわもわと疑念を募らせ続けていた。


 うーん。もしかして、Sp科には変な人しか居ないのかなぁ? 

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