第5話 アウトゾーンへ、突入!

 車を降りた瞬間に逃げ出すか、助けを求めようと考えていたけれど……口にガムテープをされ、手をロープで拘束されたばかりか、降りろと言われた所がまるでヒントのない場所だった。

 完全な八方塞がり。分かる事も「少しボロボロのアパートの一室」と言う、役に立たない情報だけだ。


 私は絶望と言う椅子に座らされ、鞄を漁る三人の挙動を見続けていた。


 すると「えっ」と、一人の男が声を上げる。

「お嬢ちゃん、天ヶ崎って言うのかよ。もしや、女優の天ヶ崎愛璃あいりって姉か?」

 私の生徒手帳を開きながら尋ねてくる。


 天ヶ崎愛璃……お姉ちゃんの芸名だ。こんな奴等に姉だと知られると、マズいわよね。


 私はガムテープの内で、ギュッと唇を堅く結び、ふるふると首を横に振った。

 刹那、三人の男達から下品な笑みが弾ける。

「絶対、嘘の間じゃねぇか! 何だよ、おい! ラッキーすぎるなぁ!」「交渉によっちゃあ、金だけじゃなくて千愛もゲット出来るんじゃねぇの!」

 運転手の男と左側に居た男が興奮を飛ばし始めた。


 本当に、悍ましい人達だ。と凄まじい恐怖を覚えていると、右側にいた男が私を見つめてフッと失笑する。

「愛璃に全部良い所を持っていかれちゃって、可哀想だねぇ。お嬢ちゃん」

 グサッと、毒矢が心に深々と突き刺さった。もう何度も言われ、聞き続けている言葉だけれど。まるで知らない人から、こんな風に言われると激痛が走るのだ。


 悔しさと悲しさが込み上げる。口を塞がれ、座らされているせいか、何も言い返せないと言う真実もいつもより痛感してしまう。


 嗚呼、やっぱり私なんて……。

 心の中で、ポロリと静かに涙が零れ落ちた……その時だった。


 ピンポーンと、この空気にそぐわない、朗らかな音が弾ける。

 私も、誘拐犯の三人組もビクッとし、驚きを浮かべた。


「こんな時に誰だよ」「誰か、なんか呼んだか?」「宅配じゃねぇの」

 三人はやいのやいの言い始める。どうやら、思いがけぬ来訪者らしいけど。事を見守るしか出来ない私には、誰が来ようが関係ない。


 一人が「俺、見てくるわ」と立ち上がって行く。


 ……嗚呼。これが助けになる、なんて絶望的よね。

 ポロッと、また一つ、雫が滴り落ちた。


 刹那、ドサッと何かが強く床に打ちつける音が弾ける。


 異常が漂い始めた。捕まっている私でさえそう思うのだから、勿論、他二人も怪訝に思い始める。


「なっ、何だ?」「おい、ちょっと見て来いよ」

 動揺を隠せない二人が喋っていた時だった、開きっぱなしで出て行った扉からある人が淡々と姿を見せる。


 私は、現れたその姿を見るや否や、大きく目を見張った。嘘、なんで……と、弱々しい一言がガムテープの内でくぐもる。


「愛望さん」

 忍足君は、視線の先に居る私を見るや否や、男二人を底冷えした目で睨めつけた。

「よくも愛望さんにこんな真似をしてくれたな、クズ共が」

 静かに言葉を紡いでいながらも、息を飲む程凄まじい激怒が込められていた。


「な、何なんだよ、てめぇは!」

 運転手の男が戸惑いながらも、怒号を荒々しく飛ばす。


 だが、その次の瞬間には、運転手の男は声をあげる間もなく床に沈んでいた。

 私も、残る一人の男も「え」と間の抜けた声を零してしまう。


 え、えっと。今、忍足君が嘘みたいな速さで接近して。運転手の男の顎? に、綺麗な一閃を入れていた……よね?


 目の前の出来事が早すぎて、自分の中で繰り返す事実がかなり弱々しくなってしまう。


 けれど、まだ呆気に取られるには早すぎたみたいだ。

 私と同じ様に愕然としていた、もう一人の男が「う、うわあぁぁぁ!」と間の抜けた大声を張り上げて、忍足君に突っかかっていく。


 私は「危ない!」と目を見張り、「んんん!」と叫んでしまうけれど。忍足君は、泰然としていた。そして……


「ウガッ」

 醜い呻きが零れ、ドサッと綺麗に膝から崩れ落ちた。


 ガムテープの内側で、あんぐりと口を開けてしまう。

 忍足君は突き出した拳をサッと戻し、前のめりに崩れた男を躊躇なく踏みつけて、私の元へと歩を進めた。


 私は「嘘、でしょ」と言わんばかりの丸い目で、彼を見つめる。

 すると忍足君の顔に広がっていた恐ろしい険が、フッと一気に抜かれた。まるで子犬が泣き出しそうな顔になり、「ごめん、愛望さん」と謝ってくる。


「俺のせいで怖い目に遭わせてしまって」


 ……そんな、忍足君のせいじゃないのに。これは、私の酷い行動が招いた、罰みたいなものだ。だから忍足君に非なんて、一つもないのに。


 私はふるふると首を振るが、忍足君は自分の非だと受け止め続けた顔のまま「今、手の縛り外すね」と後ろに回った。

 キツく結ばれ、自由を失っていた手が、緩やかに解放される。


「ごめん、愛望さん。口のガムテは自分で剥がして貰っても良いかな? 今はちょっと……」

 私は後ろから聞こえる声に、「勿論だよ!」と答える様にして、自由を取り戻した手を口元に持ってきた。

「眼前で可愛く現れる唇に、耐えきれる自信がない」

 歯切れ悪く続けられる言葉に、私の手がブッと吹き出す。おかげでビリッと勢いがついてしまい、口の周囲が一気にヒリヒリとした痛みに襲われた。


 これ、絶対に真っ赤になってる。と言う確信を抱きながらも、解放された口でひとまず、忍足君に感謝を告げる。


「あの、助けてくれてありがとう、忍足君。でも、どうしてここが分かったの?」

 私のせいで、正門で待ち続けていたはずじゃ。と、弱々しく首を竦めて尋ねた。


 すると「あぁ、それは」と、彼は朗らかな笑みを浮かべて言葉を紡ぎ出す。

「俺の愛望さんレーダーのおかげだね。多分、割とすぐに愛望さんが裏門の方に行っているって気付けたよ」

 ……。

「だから、すぐに裏の方に回ったんだ。でも、その道中から愛望さんが離れる速さがおかしくなったから、嫌な予感がしてGPSを確認してね」

 そこからは最短ルートを走ってきた。と、つらつらと流暢に話されるけれど。


 私は、心の底からドン引き状態。彼のおかしさに、中枢神経までが破壊された様に思える。


 愛望さんレーダーなるものが出て来た時点でヤバいとは思ったけれど、GPSでアウトゾーンを越えた。


 GPSなんて、いつから付けられていたの? 私、彼からそんな物を付けられた覚えがないんだけれど。今も付けられているって事なの? って言うか、さも当然みたいに言われたけど、Sp科だから何もおかしくないって事なの? 動揺している私がおかしいの?


 心中で、ぶわりと疑問を並べてしまうが、「スマホじゃないの?」と言う理性からのツッコミを貰った。そこで「あぁ、成程!」なんて思ったのも束の間、すぐに新たな疑問が浮かぶ。


 いやいや、私のスマホ、彼とは一切リンクしていませんけど?


 口腔内にある唾が、戦々恐々としながら食道へと落ち込んでいく。


 ……そう、そうよね。私のそう言う個人情報は設定で全て切られているし、彼の連絡先すらも知らない状態よね。

 うわもう、どうしよう。自分の中にある忍足君のおかしさが止まらないわ。


 私は「彼は命の恩人なのよ」と自分に言い聞かせるべく、小刻みに震える瞳で、恐る恐る彼を窺う。


 忍足君は、直ぐさま、私の眼差しを真っ正面から受け止めた。嗚呼、やっぱりなんか怖い……けど。

 私はゆっくりと息を飲み込んでから、「そ、そうだったんだ」とぎこちなく頷いた。


「と、兎も角。助けてくれて、本当にありがとう。今度、何かお礼をさ」

「いや、これは俺が至らないせいで起こった事だし、自分のミスを自分でカバーしただけだから」

 忍足君は私の言葉をキッパリと遮って言うと、申し訳なさそうな笑みを浮かべて「君が何かお礼をなんて思う必要はないよ」と、優しく告げる。


 私の罪悪感を拭ってくれているのだろう。でも、これで「嗚呼、そっか。それなら」って、素直に引き下がれるはずがない。

 だって今回の出来事は、明らかに自分の非でしかないと理解しているからだ。


 私は「そんなの駄目!」とキッパリ否定をぶつけ、「これは私のせいだから!」と彼の非を正す。

「忍足君を酷い手で騙した行いもあるから、絶対何かお礼をさせて!」

 ふんっと鼻息荒く結ぶと、忍足君はちょっと目を丸めて「え、いや、だから君が」とたじろぎ始めた……が。

 突然「あっ!」と、何か閃いたかの様に叫び、目をキラリと輝かせて私を見つめた。


 う、うーん。何だろう、なんかちょっと嫌な予感が……。

 私の背筋にストンと汗玉が滴った、その時だった。


「じゃあ、差し出がましいお願いになるけど。お礼って事で、連絡先を交換してくれるか、一週間後にある体育祭でハチマキを交換してくれないかな? まぁ、ハチマキって言うよりも、リボンになると思うんだけど」

 喜色満面で、しかもキラキラと輝く天の川が流れているかの様な眼差しで訴えられるお願い。


 私にとっては、苦しい選択を迫られる二択でしかなかった。


 どうしよう、これはどっちを選んだら良いんだろう。

 前者は、なんかずっと恐ろしい事になりそう。通知がうるさそうとか、送られる文章がしんどいとかで。後者は、当日の女子からの視線と悪口が絶えなくなってしんどいと思うのよね。ハチマキ交換って目立つ事でもあるし、彼の事が好きな女子達から顰蹙を買いまくるのは間違いない事だ。


 どちらにしろ、苦痛が伴う事は間違いない。でも、絶対にお礼をするからと言った手前、私は彼が出した「どちらか」を選ばねばならないのだ。


 連絡先を交換するか、体育祭でハチマキを交換するか。


「……じゃあ、ハチマキを交換する方で」

 弱々しく答えた、その瞬間。彼の笑みがより一層華やかになったばかりか、パタパタッと嬉しそうにはしゃぐ犬の尻尾と耳が見え始めた。心なしか、小さな天使もくるくると彼の頭上を飛んでいる様にも見える。


 一生より、一時の苦痛を選んだつもりだけど……この喜び様だと、選択を誤った気がしてならない。


 体育祭、なんだか怖くなってきちゃったな。

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