第3話 村人たちとの交流

 三日目の朝、私は甘い香りで目を覚ました。


 いつもの鳥の歌声に混じって、焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。窓から身を乗り出すと、石畳の道の向こうにある小さなパン屋から、白い煙がもくもくと立ち上っていた。


「おはようございます、ミツキさん」


 エルダさんが朝食のトレイを運んできた。今朝の彼は昨夜より表情が明るい。


「今日は村を案内してもらいましょう。村の人たちも、あなたに会いたがっています」


 朝食を済ませて外に出ると、村の朝の活気が肌で感じられた。井戸端で洗濯をする女性たち、畑仕事に向かう男性たち、元気よく駆け回る子供たち。みんな穏やかで、幸せそうな表情をしている。


 最初に向かったのは、あの甘い香りの源であるパン屋だった。


「マリア、お客様を連れてきました」


 エルダさんが呼びかけると、店の奥から元気な声が返ってきた。


「はーい、今行きます!」


 現れたのは、20代前半くらいの美しい女性だった。栗色の髪を三つ編みにして、エプロン姿が良く似合う。でも、その瞳には聡明さと、どこか恋多き女性特有の輝きがあった。


「あなたがミツキさんね!噂は聞いてるわよ。ルナちゃんの怪我を一瞬で治したって?」


 マリアは人懐っこい笑顔を浮かべた。


「そ、それは……」


 私が困惑していると、マリアは手をひらひらと振った。


「気にしないで。この村では、ちょっとした魔法くらい日常茶飯事よ。それより、焼きたてのクロワッサン、食べてみない?」


 彼女が差し出したクロワッサンは、まだほんのり温かくて、バターの豊かな香りがした。一口かじると、外はサクサク、中はふんわりと、絶品だった。


「美味しい!これ、どこで作り方を覚えたんですか?」


「企業秘密よ」マリアはウインクした。「でも実は、旅の商人さんに教えてもらったの。彼、とても素敵な人でね……」


 途端に彼女の頬が赤らんだ。


「もしかして、その商人さんと?」


「え?あ、いや、そんなんじゃ……でも、また来月この村に来るって言ってたから……」


 マリアはもじもじしながら、でも嬉しそうに呟いた。どうやら恋をしているらしい。


「彼は『カイ』って名前なの。黒い髪で、ちょっとミステリアスで……でも優しくて……」


「素敵ですね」


「でしょう?でも、彼、正体がよくわからないのよね。どこから来たのかも、何を売ってるのかも、はっきりしないの。でも、それがまた魅力的で……」


 エルダさんが「カイ」という名前を聞いた時、微かに表情を曇らせたのを私は見逃さなかった。


 次に向かったのは雑貨屋だった。店主のジョンさんは50代くらいの人好きのする男性で、世界中から集めたという珍しい商品が所狭しと並んでいる。


「おお、噂の美月さんですね!」


 彼は人懐っこく握手を求めてきた。


「旅人から聞く話によると、最近王都の方がなんだか騒がしいらしいですよ。新しい病気が流行っているとか、宮廷に変な噂があるとか……」


「どんな噂ですか?」


「何でも、『奇跡の薬師』を探しているとか。王女様が不治の病にかかって、普通の薬師では治せないんだそうです」


 私の心臓が跳ね上がった。もしかして、私のこと?でも、まだ村に来て三日しか経っていない。


「でも、そんな遠い話は関係ありませんよ。ここは平和な村ですから」


 ジョンさんは笑ったが、またもエルダさんの表情が硬くなった。


 午後は農家のトムさんとアンナさんを訪問した。二人は村でも評判の働き者で、美味しい野菜を作っている。


「おお、美月さん!ルナのことは本当にありがとうございました」


 トムさんが力強く手を握ってきた。


「実は、うちの畑でも不思議なことが起きてるんですよ」


「不思議なこと?」


「美月さんが村に来てから、野菜の育ちが良くなったんです。特に薬草として使える野菜がね」


 アンナさんが畑を案内してくれると、確かに野菜たちが異常なほど元気に育っている。しかも、普通の野菜に混じって、見たことのない薬草のような植物も自然に生えている。


「これ、前はなかったものなんですよ」アンナさんが不思議そうに首をかしげた。


 私は自分の足元を見た。歩いた場所の土が、何となく豊かになっているような気がする。


 まさか、私の存在自体が何かに影響を与えているのだろうか?


 夕方、村長のトーマスさんと会った。彼は50代の温厚そうな男性だが、その瞳には深い知恵と、何か重要な秘密を抱えているような雰囲気があった。


「美月さん、村へようこそ。エルダから話は聞いています」


 彼の握手は温かかったが、同時に何かを確かめるような握り方だった。


「この村では、特別な力を持つ人を歓迎します。でも同時に、その力を正しく使うことも大切にしています」


「特別な力?」


「あなたのような人は、時々この村にやってきます。そして、みんなこの村で幸せに暮らしています」


 トーマスさんの言葉には深い意味がありそうだった。


「もしかして、この村には他にも……」


「秘密は少しずつ明かされるものです。焦らずに、ゆっくりと村の生活に慣れてください」


 彼は優しく微笑んだが、その笑顔の奥に何か重要なことを隠しているのは明らかだった。


 帰り道、エルダさんと二人で歩いていると、彼が口を開いた。


「どうでした?村の印象は」


「みんな温かくて、素敵な人たちです。でも……」


「でも?」


「みんな、何か秘密を抱えているような気がします。そして、私に対して特別な関心を持っているような」


 エルダさんは立ち止まって、深くため息をついた。


「美月さん、この村は確かに特別な場所なのです。そして、あなたも特別な人だ。でも、まだその全てをお話しする時ではありません」


「いつになったら教えてもらえるんですか?」


「あなたの準備ができた時です。そして、それはそう遠くないと思います」


 その夜、私は村を歩き回った一日を振り返っていた。


 マリアの謎めいた恋人カイ、王都の「奇跡の薬師」の噂、私の影響で変化する畑、トーマス村長の意味深な言葉……。


 すべてが繋がっているような気がするが、まだパズルのピースが足りない。


 窓の外では、また森の奥で青白い光が点滅していた。今夜は昨夜より強く、そして長時間光っている。


 そのとき、軽くドアがノックされた。


「美月さん、起きていますか?」


 エルダさんの声だった。普段より緊張しているような響きがある。


「はい、起きています」


 彼が部屋に入ってくると、手に古い羊皮紙の巻物を持っていた。


「実は、あなたにお見せしたいものがあります。でも、これは絶対に他の人には秘密にしてください」


 私は頷いた。


 エルダさんが巻物を広げると、そこには古代文字で何かが書かれていた。そして、その文字が自然と読めることに、私はもう驚かなかった。


「『聖域の守り手に告ぐ。星の子が再び降り立つ時、封印されし力が目覚める。光と闇の均衡が崩れる前に、星の子を導け』」


 私が読み上げると、エルダさんは深く頷いた。


「これは、この村に代々伝わる予言です。そして、美月さん……あなたが、その『星の子』だと思います」


「星の子?」


「異世界から来た、特別な力を持つ者のことです。あなたのような人は、数百年に一度現れると言われています」


 私の頭の中で、すべてのピースが音を立てて組み合わさり始めた。


「では、森の光は?」


「古代の遺跡です。星の子が現れると、遺跡が反応するのです。そして……」


 エルダさんは言葉を選ぶように間を置いた。


「そこには、あなたの真の力を覚醒させる何かがあると言われています」


 私は窓の外の光を見た。あの光が私を呼んでいるのは、間違いなかった。


「でも、なぜ秘密にしなければならないのですか?」


「力というものは、使い方を間違えると災いをもたらします。そして、その力を悪用しようとする者たちもいるのです」


 エルダさんの表情が暗くなった。


「実は、私が宮廷を離れたのも、そのような理由からです。前の『星の子』の時、私は……」


 彼は言葉を飲み込んだ。


「いずれお話しします。でも今は、あなたの安全が最優先です」


 その夜、私は長い間眠れなかった。


 自分が特別な存在だということ、この村が「聖域」だということ、そして森に古代の遺跡があること。


 すべてが現実離れしているが、同時に、やっと自分の居場所を見つけたような気もしていた。


 翌朝への期待と不安を胸に、私はようやく眠りについた。明日から、きっと新しい世界が始まる。

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