第2話 師匠との出会い
翌朝、私は鳥の鳴き声で目を覚ました。いや、正確には鳥の鳴き声に混じって聞こえる、奇妙な音楽のような旋律に目を覚ましたのだ。
窓の外を覗くと、庭で小さな青い鳥が羽ばたきながら、まるでオルゴールのような美しい音色を奏でている。そしてその音に合わせて、周りの花たちがゆらゆらと踊っているように見えた。
「魔法……本当に魔法の世界なんだ」
昨夜の出来事を思い出しながら呟くと、扉をノックする音が聞こえた。
「おはようございます、ミツキさん。お加減はいかがですか?」
エルダさんの温かい声に返事をすると、彼は朝食のトレイを持って入ってきた。
「今朝は調子が良さそうですね。それでは、簡単な朝食の後、薬草師の仕事を少しお見せしましょう」
朝食は焼きたてのパンと、見たことのない果物のジャム、そして昨夜と同じムーンベリーのお茶だった。パンを一口食べた瞬間、その美味しさに驚いた。ふわふわで、ほんのり甘く、まるで高級ホテルのパンのようだ。
「このパン、とても美味しいですね」
「マリアちゃんの手作りです。彼女はこの村一番のパン職人でもあるんですよ。後でご紹介しましょう」
食事を終えると、エルダさんは私を薬草室に案内してくれた。昨夜は暗くてよく見えなかったが、明るい朝の光の中で見ると、その部屋は驚くほど整然としていた。
壁一面に並ぶ棚には、色とりどりの薬草が瓶に入れられ、ラベルが貼られている。でも、そのラベルに書かれた文字は日本語でもラテン語でもない、この世界独特の文字だった。なのに、なぜか意味がわかる。
「シルバーリーフ……月光草……ドラゴンスケール?」
私が瓶のラベルを読み上げると、エルダさんは驚いたような表情を見せた。
「文字が読めるのですね。この世界の文字を知らない人には、ただの模様にしか見えないはずなのですが……」
また何か変なことを言ってしまった。私は慌てて話題を変えようとした。
「あの、このドラゴンスケールって、まさか本物の竜の鱗ですか?」
「ええ、そうです。とても希少な薬草で、主に解毒剤の材料として使われます。竜は基本的に平和な生き物ですが、年に一度脱皮の時期に鱗を落とすのです」
竜。本物の竜がいる世界。
私の驚きをよそに、エルダさんは作業台の前に立った。
「今日は簡単な傷薬を作ってみましょう。見ていてください」
彼は慣れた手つきでいくつかの薬草を取り出し、乳鉢で丁寧に砕き始めた。その瞬間、部屋中に芳しい香りが広がった。でも、それは普通の薬草の香りではない。まるで森の奥深くにいるような、清々しくて神秘的な香りだった。
「これはグリーンリーフという薬草です。傷の治癒を促進する効果があります。そしてこちらは……」
彼が次に取り出したのは、淡い紫色をした花びらだった。それを手に取った瞬間、花びらが微かに光ったのを私は見逃さなかった。
「ヒーリングブロッサムです。痛みを和らげる効果があります。これらを適切な比例で混ぜ合わせると……」
エルダさんが二つの薬草を混ぜ合わせると、乳鉢の中で小さな光が生まれた。そして、混合物が淡い緑色に変わった。
「完成です。この軟膏は普通の傷なら一日で治してしまいます」
私は前世での知識を思い出していた。傷の治癒促進と鎮痛効果……これは現代医学でいう抗炎症薬と成長因子の組み合わせに似ている。でも、魔法の力が加わることで、その効果は現代医学を遙かに超えているようだ。
「エルダさん、私にも作らせてもらえませんか?」
「もちろんです。でも、薬草の扱いは慎重にしなければなりません。分量を間違えると……」
私は彼の指示通りに薬草を取り出し、乳鉢に入れた。グリーンリーフを砕いていると、なぜか手が勝手に動くような感覚になった。まるで何度もやったことがあるような、体が覚えているような感じだった。
ヒーリングブロッサムを加えて混ぜ合わせた瞬間、予想以上のことが起きた。
乳鉢の中で、まばゆい光が放たれたのだ。エルダさんが作ったものよりもはるかに明るく、そして美しい光だった。
「これは……」
エルダさんの声が震えていた。
「ミツキさん、あなたはいったい……」
完成した軟膏は、エルダさんが作ったものよりも鮮やかな緑色をしていた。そして、触れただけで温かみを感じる。
そのとき、外から子供の泣き声が聞こえてきた。
「先生!先生!」
扉が勢いよく開かれ、一人の女の子が駆け込んできた。8歳くらいだろうか、金髪の可愛らしい子だった。でも、右手を左手で押さえて、涙を流している。
「ルナちゃん、どうしました?」エルダさんが急いで駆け寄った。
「転んで、手を切っちゃったの……血が止まらないよ……」
彼女の右手を見ると、確かに深い切り傷があり、血がにじんでいる。エルダさんは慌てて自分が作った軟膏を取ろうとしたが、私は反射的に自分が作ったものを差し出していた。
「これを使ってください」
「でも、ミツキさんが作ったものは……まだ試したことが……」
「大丈夫です」
なぜかそう確信していた。
エルダさんは躊躇しながらも、私の軟膏をルナちゃんの傷に塗った。
その瞬間、信じられないことが起きた。
傷が目に見える速度で塞がり始めたのだ。血が止まり、切り傷が縮まり、そしてわずか数秒で完全に治ってしまった。まるで最初から傷などなかったかのように。
「わあ!」ルナちゃんが目を輝かせた。「すごい!全然痛くない!」
彼女は嬉しそうに手をひらひらと振って見せた。
エルダさんは私を見つめていた。その表情には驚きと、そして何か深い思案に沈んでいるような色があった。
「ミツキさん……あなたは本当に記憶をなくしているのですね?」
「はい、でも……」
「いえ、責めているわけではありません。ただ……」
彼は深くため息をついた。
「実は私、この村に来る前は王都で宮廷薬師をしていたのです。そこで多くの優秀な薬師を見てきましたが、あなたのような力を持つ人は見たことがありません」
「宮廷薬師?」
私は驚いた。エルダさんがただの村の薬師ではないとは思っていたが、まさか元宮廷薬師だったとは。
「なぜこの村に?」
「それは……いずれお話しします。今はまだ、その時ではありません」
彼の表情が曇った。きっと何か複雑な事情があるのだろう。
「でも、ミツキさんのその才能は隠した方がいいかもしれません。あまりにも特別すぎる力は、時として災いを呼ぶことがあります」
その言葉には重みがあった。まるで経験に基づいた忠告のような。
「わかりました」
ルナちゃんはすっかり元気になって、庭で遊び始めた。彼女の笑い声を聞きながら、私は考えていた。
自分の正体を隠すことは前から決めていたが、この異常な薬草師としての才能も隠さなければならないらしい。でも、なぜこんな力があるのだろう?単なる転生の特典にしては強すぎる。
そのとき、窓の外で光る何かが目に入った。
森の奥で、一瞬だけ青白い光が点滅したのだ。
「エルダさん、あの光は何ですか?」
私が指差した方向を見て、エルダさんの顔がさっと青ざめた。
「……何も見えませんが」
明らかに嘘だった。
「ミツキさん、今日はこのあたりにしておきましょう。明日からまた、ゆっくりと薬草の勉強をしていきましょう」
彼は慌てるように薬草室を片付け始めた。
私は窓の外をもう一度見た。光はもう見えない。でも、確かに何かが森の奥で光っていた。そして、その光を見た時、胸の奥で何かが共鳴するような感覚があった。
まるで、その光が私を呼んでいるような。
夕食の時間、エルダさんはいつもより口数が少なかった。そして時々、私をじっと見つめては、何かを考えているような表情を見せた。
「エルダさん、私、何か悪いことをしましたか?」
「いえ、そんなことは……ただ、あなたという人がまだよくわからないだけです」
彼は苦笑いを浮かべた。
「でも、一つだけお願いがあります。しばらくの間は、一人で森に入らないでください。特に夜は」
「危険な動物でもいるんですか?」
「……そのようなものです」
また曖昧な答えだった。
その夜、ベッドに横になりながら、私は今日起きたことを整理していた。
異常な薬草師の才能、エルダさんの隠された過去、森の謎の光……。
そして、この世界の文字が読めること、言葉がわかること。
どう考えても、私はただの転生者ではない。きっと何か特別な理由があってこの世界に来たのだ。
窓の外を見ると、二つの月が並んで浮かんでいる。今夜のルナは薄紫色に、セレナは金色に輝いていた。
そして、森の奥で再び青白い光が点滅した。
今度ははっきりと見えた。規則的に明滅を繰り返している。まるで何かの信号のように。
私は思わずベッドから起き上がった。あの光に近づいてみたい衝動に駆られる。でも、エルダさんの忠告が頭をよぎった。
結局、私はベッドに戻った。でも、眠りにつくまで、ずっとあの光が気になって仕方がなかった。
森の薬草師見習い二日目は、こうして謎を残したまま終わった。でも、確実に言えることが一つあった。
この村には、まだ知らない秘密がたくさん隠されている。そして、私自身にも知らない秘密があるのかもしれない。
明日は何が起こるだろうか。期待と不安を胸に、私は深い眠りについた。
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