第22話 夏の一番暑い日
学校の門をくぐるのは、何年ぶりだろう。
平日の午後、俺は事前に電話だけを入れ、校長との面談の形で学校を訪れた。応接室に通されると、すでに校長と担任の岡本が席についていた。二人は立ち上がり、俺を迎える。岡本は、まだ二十代の後半だろうか。精悍な顔立ちで背が高く、引き締まった体格は、いかにも元スポーツマンといった雰囲気がある。短く整えた髪と爽やかな笑顔は、生徒たち——特に女子生徒からの人気も高いと聞いている。
校長は穏やかな口調で「どうぞ」と促した。俺は着席すると、「娘の件で、少しお時間をください」と言った。
岡本は、どこか落ち着かない様子で座っていた。俺が視線を向けると、目が合う前に逸らし、やけに真面目な表情で手元の資料をいじっている。
最初は、形式的な会話だった。美咲が最近登校していないこと、それに対する学校側の「心配」という定型文が並ぶ。岡本はさらにそこから、高校生という年齢の多感な子供たちの教育の難しさを語った。それはつまるところ、自分がいかに生徒と真摯に、真正面からぶつかっているかという話だった。
「家庭の事情もあるでしょうが、できればお父様からも学校復帰を——」
岡本がそう言いかけたところで、俺は静かに言葉を遮った。
「無理に学校に戻すつもりはありません。娘の意思を尊重します」
俺の声に、岡本の表情が微かに引きつる。唇の端がピクリと動き、耳の後ろがうっすら赤くなる。普段の自信に満ちた姿とは違い、今だけは居心地の悪さを隠せていなかった。
沈黙。
校長が場をつなごうと、さりげなく咳払いを挟む。
「……実は、娘が学校に行きたがらない理由は、はっきりしているのです」
俺は岡本をまっすぐ見据えた。岡本は一瞬だけ目を合わせるが、すぐに視線を逸らす。俺はスーツの内ポケットからスマホを取り出し、岡本の目の前にそっと置いた。
「こちらには、娘と担任の先生がやりとりした記録のスクリーンショットが残っています」
岡本の顔が一瞬、引きつる。それでも、咄嗟に「何も心当たりはありません」とでも言い出しそうな顔をしていたが、俺の視線を受けて口をつぐんだ。校長はその空気を察して、「……なにか、ご不快なやりとりが?」と静かに尋ねる。
「深く追及するつもりはありません。ただ……何かあれば、然るべき機関に相談せざるを得ません。それと、一つだけ——」
俺は声のトーンをさらに落とし、氷のように冷たく、はっきりと言う。
「今後、娘には一切関わらないでいただきたい。もしも娘が復学を選んだ場合、担任の変更や進路指導も、別の先生にお願いしたい」
岡本は反論しようとしたのか、喉が小さく動いたが、結局は何も言えず、うつむいたまま「……分かりました」と呟くだけだった。校長は眉間に皺を寄せながらも、「配慮いたします」とだけ答えた。
「学校への相談や報告も、今後は基本的に校長先生宛てにさせてください」
最後に短く頭を下げ、俺は席を立った。
校長と岡本は立ち上がり、俺が部屋を出るまで頭を下げ続けていた。
家に帰ると、美咲はクーラーの効いた部屋で、だらしなくソファに寝ころんでいた。
片手で剥き出しのお腹をポリポリと掻きながら、もう片方の手にはアイスの棒が握られている。テレビのニュースをぼんやりと見つめていたが、俺が声をかけると、気の抜けた顔をこちらに向けた。
「お帰りぃ、お父さん。どこ行ってたの?」
「ちょっと、仕事でね。外は暑いぞぉ」
俺はそう答え、冷凍庫を開けてアイスを探した。
美咲は「ふーん」と適当に返事しながら、口いっぱいにアイスを頬張った。
夏の一番暑い日のことだった。
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