第28話 混濁─壱─

「ひとまず、身体借りるよ?」

 

 意味有りげにそう言った天狗面の顔と、それから俺の左肩に乗せられた彼の右手へ、交互に視線を送る。

 天狗面は先程から目を瞑り、何も言わない。

 それから静寂が流れた。


 喋りかけていいのか、動いていいのか、何も分からず立ち尽くしていると、天狗面が目を開けた。

 

「え、どしたの。気不味きまずそうな顔して」

「喋れんのかい。いや、この状況はなに?」

「あぁ、これはマスターを通じて、切り分けた魂を現実世界に発現させ──」

「なんか怖い事してる!?」

「さっきまで赤鬼君もしてたよ」


 そう言って天狗面は無数の鎖に包まれて宙に固定された鬼面の男を指差した。

 しかし鬼面に触られたのは、首を掴まれていた時だけだ。


「あれは……俺を絞め殺そうとしてたんじゃ?」

「半々かな? ちなみにここで死んだら、復活できないからね」

「結構危なかったのな」

「もう少し抵抗して欲しかったよ。そのせいで、僕もだいぶ消耗する事に──」


 雑談に華を咲かせ、俺達の意識が暗闇に佇む狐面の少年から離れた、ほんの一瞬の隙。

 幾度も肉体を乗っ取るチャンスがあっても動かなかった狐面を見て、今回の件で彼は動かないと、天狗面が油断した事も大きいだろう。

 狐面は即座に動き出し、俺に向かって駆け出した。

 走りながら三本の尾を尾骶骨付近から出現させ、誰よりも早く戦闘の準備を整えた。


さんじん──」

「ッ! 《剛翼ごうよくはごろも》!」


 狐面を視認した瞬間、天狗面は俺の前に出て右翼を広げた。


 天狗面の翼の強度は異常に高く設定されている。

 側面を用いた切断と、平面を用いた防御の両立を可能としている。

 そのぶん再生効率は悪く、一度破壊されれば攻防の武器と多量の血を失う事になるが、そのリスクに見合った強度がある。


 対する狐面の血の尾は機動力と広い間合い、そして九本という手数を確保する為に脆く造られている。

 そのため、派手な見た目のわりに血の消費量は抑えられており、破壊されてもすぐに新しい尾を追加する余裕がある。

 また尾を壊すことを前提に力強く叩きつけるで、コンクリート程度なら破壊する事が可能。


 だが天狗面の翼は破壊可能な硬度を凌駕している。

 故に狐面の攻撃では、正面から天狗面の防御を打ち砕く事は不可能に近い。


(受け流して反撃カウンターを──)

「《重撚尾かさねび》」


 その弱点を克服する為に、狐面は脆い三本の尾を束ねた。

 編み込み、縄状にする事で手数を犠牲に強度と重量を増す。

 天狗面は焦って防御の体勢を取ったことで回避に切り替える時間は無く、強化された狐面の一撃をモロに受けた。


        バギンッ!!!


「おッッッッも!?」


 血で生み出された物同士がぶつかったとは思えない衝突音が鳴り、天狗面の身体が大きく弾き飛ばされた。

 当人に大したダメージはなかったものの、攻撃を受けた右翼は砕け散り、天狗面は一気に血を消耗する。

 

(赤鬼君を封印して、魂を分割した事で出力が下がってた事を差し引いても余りある威力……そして、この間合い──)


 天狗面と狐面では、間合いに大きく差がある。

 近接戦闘であれば拮抗しうるが、二人の間は約15 m。

 狐面だけが、攻撃を成立させられる間合いだった。

 

 だが天狗面の目的は戦闘ではなく俺を守ることだ。

 二人の異次元な強さを見て、勝てるイメージなんて湧かない。

 血液操作は高等技術だって話は何処行ったんだ。

 俺はその場から駆け出し、狐面から距離を取る。


        ギチッ!


「なッ!?」


 だが狐面は俺の思考など見透かし、次に備えていた。

 俺の死角から地を這うように接近させた四本目の尾が、ヘビのように両脚に絡みつき、俺は体勢を崩してその場に倒れた。

 さらに二本の尾が、倒れた俺の両腕も押さえつける。

 そして残り六本の尾を用いて、片翼となった天狗面へ隙を与えぬ連撃を開始した。


 天狗面はどうにか近付こうとするが、攻撃力も防御力も実質半減した今の状態では、狐面の猛攻の全てを対処することは出来なかった。

 片翼による斬撃と、血の爪を纏わせた蹴撃の隙を掻い潜った一本の尾が、自壊前提の速度で天狗面の後頭部に叩きつけられた。


「ッ……まだっ!」

「終いでござる」ドオオオン!!


 致命的な一撃を受けて動きが鈍くなった天狗面に対して、容赦なく残り五本の尾が振り下ろされる。


「さて──」


 天狗面が動かなくなったのを確認すると、狐面は俺に視線を向けた。

 三本の尾を巧みに使い、俺の身体を空中に持ち上げる。

 狐面と目が合った時、その冷たい眼差しに背筋が凍った。

 ここで死ねば、二度と戻れない。

 彼等が血液操作できるなら、俺も血を練り上げて──


「……使えない?」

「憐れでござるな。さあ、現実を見よ」


 俺が技を発動するより早く、狐面の一回り小さな手が俺の額に触れた。

 その直後、周囲の暗闇が光に掻き消され、その眩さに俺は反射的に目を細めた。

 

「あいつ、何を…… 」

「輝さん」

「ッ!?」


 眩い世界の奥から聞こえたレイアさんの声に、俺は細めていた目を開く。

 狐面の意図は分からない。

 だが彼女の声が聞こえたということは、現実世界に帰ってこれたということじゃないのか?


 眩い光に順応し、白い世界に彼女の姿が浮かび上がってきた。


「やめて……輝……さ、ゴフッ……」

「…………え?」


 俺の目の前に立つ彼女は、口から大量の血を流していた。

 身体中に傷を負い、そして正面から心臓を貫かれていたからだ。

 そして彼女を傷付けたのは、彼女の心臓を貫く右腕の持ち主は──

 

「俺が……やっ、た……?」


 幻であってくれと願った。

 けど、それだけじゃない。

 食欲をそそらない吸血鬼特有の血の匂いが、冷たくなっていく体温と涙の熱が、乱れた呼吸の音が、五感を通じて訴えてくる。

 これは現実だと、俺の願いを否定した。




 瞬きすると、暗闇の中に戻っていた。

 けど、命を奪った感触が離れてくれない。


「これが感覚の共有でござる。貴殿の肉体を我が物とする……それは拙者たちの共通の目的であり、産まれた時から芽生える本能でござる」


 狐面の言葉を受け、俺の視線は自然と天狗面に向けられていた。

 今、肉体の主導権を持っているのは奴だ。

 つまり今の光景を作ったのは──


「だめ、だ……聞くな……マス、ター」

「今のは視覚の共有、現実世界の様子でござる」


 揺らぐな。

 どっちを信じるかは決めた筈だ。

 あんなの幻だ。

 そうじゃなきゃ、もう誰を信じれば──


「誰も信じる必要はないでござる。消えれば、何も考えなくてよい」


 狐面の鋭い爪を帯びた貫手が、俺の心臓に向かって放たれた。


        ガキン!

「ッ!」


 だが、突如俺の目の前に出現した無数の鎖が、壁となって狐面の攻撃を防ぐ。

 そしてジャラジャラと音を鳴らしながら、俺の身体を隙間無く包んでいく。

 狐面は小さく溜息をつきながら、視線を天狗面に向けた。

 

「やってくれたでござるな」

「奥の手、だよ……使いたくなかったけどね」

 

 俺を守る為に、天狗面が施してくれたらしい。

 身体の力抜け、意識が薄れていく。

 今はそれが心地良い。

 もう何も考えたくない。


──────────────────────


(て、流れか。いやぁ不味った)


 狐面が出現させた鎖で拘束された天狗面は苦笑いを浮かべる。


 現実世界に発現させていた魂と、精神世界にいた魂が完全に一つにまとまった事で、天狗面はここに至るまでの過程を全て知る。


(封印はマスターを守る最後の手段。完全封印すれば外からの干渉は受けない。そこはナイス……けど──)


 あくまで汐原しおはらひかるの死を回避できただけ。

 封印は内側から解くことは不可能に近い。

 そして鬼面と天狗面も封印の鎖に縛られた今、結果的に肉体の主導権は狐面に渡ることになった。


 その上、狐面の『鬼の姫』を殺す発言。

 レイアの存在が汐原輝にとってどれほど大きい物か理解している天狗面は、表面上は平静は保ちつつも心は穏やかではなかった。


「で、それどういう──」

「なんじゃとッ!?」


 天狗面の言葉を遮ったのは隣で拘束されている鬼面だった。


「えッ……君が一番驚くの!?」


 天狗面は二人が結託していると思っていた。

 どちらも肉体の主導権を狙い、ジャックとの戦いの際も、天狗面は二対一でギリギリ彼等を抑え込んでいた。

 今回もそのパターンだと彼は勘違いした。

 だがよくよく思い返せば、不甲斐ない主に取って代わってレイアを守ろうとする鬼面と、レイアを殺害したい狐面では、目的は正反対。


「貴様、レイアを殺すと言ったか!? 話が違うぞッ!! この鎖を解けッ!!」

「漸く肉体を独占出来たというのに、解けと? いささか荒唐無稽にござる」

「儂が天狗の気を引きッ! 消耗させる事で肉体を二人でとッ!! 貴様は──」

「謀られたのは、他ならぬ貴殿の落ち度でござる。しかと噛み締めよ」

「ッ!」ガリンッ!


 鬼面は目を見開き、全身の力で鎖から抜け出そうと藻掻く。

 レイアを傷付ける者へ怒りが、鎖を軋ませる。

 しかし壊れるどころか、さらに多くの鎖が出現して鬼面を縛り上げた。


「安心せよ。貴殿の力も余すこと無く使い、拙者が──」


──────────────────────


「『鬼の姫』を殺す」

「標的変わっとるやないかッ!!」


 精神世界で天狗面が鎖に囚われた時、現実でも汐原輝の身体から翼と共に嘴の仮面が剥がれ落ちた。

 代わりに施されたのは頬に髭、そして狐の釣り上がった目元を想起させる血の化粧。

 暴走時特有の黒い眼球と金色の瞳も相まって、目を合わせるだけで嫌な寒気を覚えた。


 分割された狐面の魂は、現実世界に発現して即座に攻撃を開始する。

 主へ還った九本の尾は確固たる意思の下、宙を裂き、壁を削り飛ばす。

 標的は第4席『鬼の姫』レイア、ただ一人。


 レイアを右脇に抱えた別役べっちゃくは、立て続けに振り下ろされる五本の血の尾を回避し続けた。

 それを可能にしているのは、藤宮ふじみやによる的確な援護射撃だった。


「耐えてよッ!? こっちも超ッしんどいんだからッ!!」


 九尾の背後に位置し続ける彼女は、自身に差し向けられた三本の尾を躱しつつ、別役へ攻撃を仕掛ける尾を最低一本は常に破壊し続けていた。

 だが、辛うじて成立させた均衡は、何かの拍子に決壊する。

 そして決壊した時、どちらが主導権を獲得するかは、今は誰にも分からない。


 ひなたが殺されても、レイアが殺されても終わりな状況。

 狼原かみはらは陽から離れる訳にはいかず、別役達の加勢に向かう事が出来ない。


(レイアちゃんを、殺す? おいおい……お前の本質はレイアちゃんを『守る』ことだろ!?)


 主人格である汐原輝とかけ離れた発言と行動をする九尾に、陽も大きく動揺する。

 レイアに対する明確な殺意。

 それはまるで、主人格の死を──


(いや考えるな。結論はレイアちゃんが起きてからだ)


 均衡が崩れた後、陽達が主導権を獲得する為に必要なのは圧倒的な攻勢。

 護衛に回らざるを得ない狼原と別役から重荷を取り払い、副隊長三人の攻撃力で相殺、鎮圧する形がベスト。


「狼原さん、もう動けます」

「本音は?」

「キツイですけど、悶えてる場合じゃないでしょ。また俺がレイアちゃん担ぎます。防戦じゃ押し切られる」

「……」


 陽の言い分に納得しながらも、狼原は躊躇する。


 この作戦は、汐原輝のレイアを攻撃しない特性を利用している。

 最終的にどんな結果になろうと、陽が殺されれば、汐原輝も確実に即処刑。

 護衛の優先度は、レイアよりも陽が上になる。


 だが、レイアを奪われても、策は成り立たない。

 そこで陽にレイアを担がせ、陽を気絶するレイアの脚にしつつ、同時にレイアを陽の盾にする荒業で成り立たせていた。


 そのレイアが標的となった今、陽にレイアを任せる行為は、首と心臓を自ら晒すことに他ならない。


「……分かった」


 その危険性を承知の上で、狼原は陽の提案を呑んだ。


 約束の時間まで30秒を切り、持ちこたえるだけの体力と弾丸も残っている。

 弱点を曝すことになるとしても、逃げ続けるよりは、火力で圧倒して守り抜けばいいと彼は判断した。 


 決断してすぐ、九尾に追いつめられていく別役の下へ、狼原を先頭に二人は走りだす。

 狼原は弾丸を装填し直し、銃口を別役へ迫る尾に向ける。

 優先的に狙うのは今にも別役へ振り下ろされそうな尾。

 その根元──ダダンッ!!


            バチャン!!


 銃撃を受けた二本の尾が、別役の頭上で液状に戻る。

 狼原と藤宮による攻撃で尾が一気に減った隙を逃さず、陽は臆することなく九尾の間合いに足を踏み入れた。


(『鬼の姫』を回収する気でござるな)


 狙いを察知した九尾は、残りの五本の尾を全て陽に向ける。

 向けられた殺気と圧倒的な物量に息が詰まり、身体の芯から湧き上がる逃げ場のない冷たさが陽を襲ったが、それらを誤魔化すように彼は喉が痛くなるほど声を張り上げた。


「別役さん、こっちパスッ!!!」

「ッ! しっかり受け止めや!」


 別役はレイアを陽に投げ渡すと同時に、身体を180度反転させて構える。

 左の拳に装着した『爆星』を口元に寄せる。


「《impact》── シュ!」ドドン!!


 陽に向けられた五本の尾。

 その先頭の一本を別役の重撃が正面から破壊した。

 さらに背を向けて逃げる陽への追撃も、別役が正面から徒手空拳で蹴散らしていく。


(拙者の尾が、ここまで一方的に……)

「知ってんねん。お前みたいな戦い方するやつは、大抵ゴリ押しに弱いってな」


 血塗れになった鉄の拳を握りしめ、歴戦の戦士は不敵に笑った。

 十年の戦闘経験は実力差の穴埋めには十分だった。


「大角の時は逆にゴリ押しで負けてたけどね」

「うっさいねん。あんなん近戦で相手するもんじゃないやろ」


 藤宮の余計な一言に、別役は律儀に反論した。

 自身も大角に負けている藤宮は、それ以上は何も言わず、狼原に視線を向ける。


「で? 陽にレイアを任せるとして、陣形は? 戻すの?」

「俺ァもうサシでやり合う体力無いで?」

「それは僕も……そして、輝くんもね」


 継戦に次ぐ継戦。

 ジャック戦からまともな補給をすることなく拘束されていた汐原輝の肉体は、元より枯渇状態にあった。

 そこから幾度も血液操作と肉体の再生を繰り返し、いつ底をついてもおかしくない。


「ここからは力尽くだ」


 狼原の言葉を合図に、三人は九尾を囲むように陣形を組んだ。

 残り約10秒。

 全火力を以て、九尾を抑え込み続ける究極のゴリ押し。


「だから、どうした──」


 圧倒的に不利な状況に立たされた筈だというのに、九尾は平静を崩さない。

 事実、彼は狼原達を脅威とすら思っていない。

 破壊された数だけ尾を補充し、万全の態勢で迎え撃つ。


「拙者の自由は二度と奪わせぬ」


 そう宣言する九尾の金色の瞳は、正面に立つ狼原の奥、陽の腕の中で眠りにつくレイアを映していた。

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血染物語〜汐原兄弟と吸血鬼〜 寝袋未経験 @unnebukuro

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