第26話 孵化

「くッ!」


 大角の吸血鬼によって50m程投げ飛ばされた藤宮ふじみやは宙で身を捻り、背中から着地、転がりながら勢いを殺し体勢を立て直した。


    ドゴオオオオオオオオオン!!

「ッ!」

 

 彼女が顔を上げた直後、鼓膜を破らんばかりの轟音が炸裂した。

 同時に巻き上がった粉塵と、その発生地点。


「まさか──」


 藤宮は最悪の展開を予期したが、『対吸血鬼殲滅鎧装AVEA』を用いて辛うじて回避していたひなたを見て思わず安堵の息を漏らした。

 

「ふぅ」 (よく避けたッ! けど──)


 依然として予断を許さない状況。

 陽は《charge》の反動で動けず、レイアもまだ目覚めていない。

 レイア由来の高い再生能力を持つ大角なら、即座に追撃に移り、陽を殺害することは容易だ。


 それに対し、武器を失った今の藤宮は無力。

 今すぐ駆け出しても、物理的に間に合う距離ではない。

 彼女は視線を、大角に一掃されて今なお倒れている二人に向けた。


「動け馬鹿共ッ!!」


 藤宮は駆け出すと同時に声を張り上げた。

 間に合わない自身への焦りと苛立ちを、そのまま狼原かみはら別役べっちゃくへ叩きつけていた。


「ッ!」


 霧散していく煙の中で朦朧としていた狼原は、藤宮の叱咤に刺激されて意識を取り戻す。


(何秒飛んでた!? 状況は──ッ!)

         ダッ!


 周囲を見渡し、瞬時に状況を把握すると、傷だらけの身体で走り出した。

 コンマ数秒遅れて別役も目を覚まし、血反吐を吐きながら動き出した。


 そんな三人の動きを、大角は金色の瞳の端で捉えていた。


        ギチッ…

「ぐッ!?」

        グインッ!


 大角はレイアに伸ばしていた右手で陽の首をわし掴みにし、狼原の方へと突き出した。


「なっ!?」(陽君を──)

「かひゅ」(盾にしやがったッ!)


 狼原は目を細める。

 最悪は陽が死ぬ事。

 突き出された陽の背中は、今の狼原達にはあまりにも有効な牽制だった。


 かろうじて射程圏内──

 別役と藤宮は共に射程圏外──

 傷だらけの両腕──

 対吸血鬼用に設計された『岩砕』の威力──

 陽の痛みに対する耐性──


 無数の判断材料が狼原の脳裏を巡ったのち、彼は『岩砕』の銃口を陽の背中へと合わせた。


 撃てば陽に致命傷を負わせる可能性がある。

 だが、未だに反動で身体の自由が利かない陽は、撃たなければ大角に首をへし折られ殺される。

 躊躇いを振り切り、引き金に添えた指に力を込める。


 かたや陽も、首を絞められて血が巡らずに朦朧とする意識の中で、背後からの一撃に既に備えていた。

 皆に背中を向けており、後ろを振り返った訳では無いが、増えた足音が狼原と別役の回復を示していた。

 そして、今にも大角に絞め殺されそうな状況を打破する術は、狼原による一撃しか、彼にも思いつかなかった。

 間もなく訪れる痛みと衝撃に怯えながら、それでも覚悟を固める。


 死が隣り合う戦場で、皆が常に思考し続ける中、大角だけは脳ではなく本能で動き続けていた。

 だから、誰よりも一手目が早い。

 そして今度も、狼原や陽が覚悟を決めて行動するよりも早く、次の行動に移っていた。

 頭でイメージし、そのイメージ通りの物を出力する。


「《鋭翼えいよくはばきり》」

「ッ!?」(ここに来て新技かよ──)


 大角が口にした途端、彼の背中から血が噴き出した。

 噴き出した血は、そのまま瞬時に形を成した。


     バサアアアアアアッ!!!


 風になびく程の薄さと人の身体なら簡単に覆えてしまいそうな大きさ。

 血で造られたとは思えない精密な構造は、まるで──


(翼?)


 眼の前に出現した血の翼に陽は目を見開く。

 緻密で大規模な血液操作。

 素人目でも、大雑把さが目立つ大角が発動した技とは思えなかった。


「はいッ!?」(待て待て、どうなってるッ!?)


 異質な技に面食らっていたのは、狼原も同じだった。

 翼の形成は身体能力を重視し、補助する戦闘法とは全く違うが、かといって報告にあった尻尾でもない。

 先程までのシンプルで次が予測しやすい技と違い、次の動きが全く予測出来なかった。



 だが、そんな大角の変化に一番驚いていたのは──


「なん、じゃ……これは?」


 自らの身体に出現した翼を見て、大角の口から困惑の声が漏れた。

 怒りで眉間にシワが寄っていた表情が薄れ、戸惑いが浮かんでいた。

 そこから流れるように、本能的に、翼を破壊する為に拳を振るうが──


        ザシュ!


 形を成した瞬間、翼は刃となって自らの右腕を切断した。


「く、そ……」


 腕を切断された大角は電源が切れたようにガクッと制止し、額の巨大な角は液状になって流れ落ちた。

 血の翼だけが、その肉体に残っていた。


 陽は眼の前で起きた異常事態が理解出来ず、ただ呆然としていた。

 だが、自分の首を掴んでいた右腕が剥がれ落ち、地面に転がる音を聞いてようやく陽は現実に引き戻される。

 

「お前、何して……」

「まずは、ありがとうじゃない?」


 汐原しおはらひかるの肉体が再び動き出し、顔を上げた。

 開かれた瞼の下から現れたのは、黒い濁りに覆われた金色の瞳。

 まだ暴走状態に見えるが、先程までと顔つきが違った。

 優しい瞳と微笑みを浮かべる口元。

 角とともに、陽に向けていた殺意も、レイアへの執着も、消え失せていた。


 吸血鬼は顔に手を当てて口元を血で覆った。

 そして形成された嘴状の仮面、その形状はまるで翼の主は自分だと主張しているようだった。


 大角でも九尾でもない、誰も想定していない形態の出現に皆が戸惑う中、翼の吸血鬼は陽に向かってにこやかに語りかけた。


「う〜ん……しっかし、お互い間一髪だったね、兄ちゃん」

「に、兄……ちゃんんんんんんんん?」


 先程までの荒々しい言動が嘘のように、柔らかい物腰。

 そこには一片の殺意も感じられず、狼原達も武器を構えるべきか躊躇する。


 最も動揺したのは陽だった。


(輝の喋り方とも違う……さらなる別人格……いや、そんな事よりッ!!)


 家では顔を合わせることもなく、会話も必要最低限、不要なら絶対にしない。


 同じ腹から生まれただけの他人でしかなかった相手から、甘えるような声色で「兄ちゃん」と呼ばれた陽は、薄っすらと涙を浮かべ──


「兄ちゃん、だぁ!? おえええッ!!」

「え、兄ちゃん!? どうしたの!?」

「俺に近寄るなッ!! 気持ち悪いッ!! レイアちゃんがゲロまみれになるぞ!?」

「そんなに拒絶する!? 結構頑張ったのに……僕、普通に泣くよ!?」

「黙れ鳥野郎!! 大角よりずっと質悪いわ!! その口で二度と俺を兄ちゃんと呼ぶなああああ!!」


 如何に陽が私情無しで、打算的に弟を救おうとしているのかが、GAVAの上層部にまで露呈した瞬間であった。

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