この声じゃ、好きって言っちゃいけないと思ってた。

ソコニ

第1話「この声じゃ、好きって言っちゃいけないと思ってた」


「ごめん、咲良って、声が……ちょっと怖いっていうか……」


大学の食堂で、向かいに座る美咲の言葉が胸に突き刺さった。手に持っていたペットボトルがかすかに震える。


「あ、えっと、悪い意味じゃなくて! なんていうか、男の人みたいっていうか……」


美咲は慌てて言い直そうとしているけれど、その必死さがかえって私の声が「普通じゃない」ことを強調している。


「……うん、分かってる」


私は努めて明るく答えた。でも、喉の奥がきゅっと締め付けられる。


二十歳にもなって、こんなことで傷つく自分が情けない。でも、生まれつき低くてハスキーなこの声は、物心ついた頃からずっと私のコンプレックスだった。


小学校の音楽の時間、「男子は男子で歌って」と言われた時の、クラスメイトの視線。

中学の時、好きだった男子に「お前、声オッサンみたい」と笑われた記憶。

高校の文化祭で、演劇部への勧誘を「その声じゃちょっと……」と断られたこと。


全部、全部覚えてる。


部屋に帰ると、すぐにパソコンの前に座った。

画面に映る自分の顔を見つめる。顔は普通なのに、声を出した途端に全てが台無しになる。


「……ただいま」


誰もいない部屋に向かって呟いた声は、やっぱり低い。女の子の声じゃない。


スマートフォンで何気なく動画サイトを見ていると、VTuberの配信が目に入った。アニメみたいなアバターが、高くて可愛い声で話している。コメント欄は「声かわいい!」「癒される〜」で埋め尽くされていた。


いいな。

私もあんな声だったら。

私も「かわいい」って言われたかった。


その時、関連動画に「AI変声ソフト リアルタイムで声を変える!」という広告が表示された。


心臓がドクンと跳ねた。


ダウンロードは簡単だった。月額3,000円。バイト代を考えると決して安くないけれど、試してみたい衝動を抑えられなかった。


マイクに向かって、恐る恐る声を出してみる。


「こんにちは……」


画面から返ってきたのは、聞いたことのない高くて澄んだ声だった。

まるで別人。いや、これは別人だ。


「わ、私……こんな声も出せるんだ……」


変換された声に、自分でも驚く。設定をいじれば、もっと可愛い声にもできる。アニメ声優みたいな声も、清楚な女子アナみたいな声も。


何時間も夢中で遊んだ。生まれて初めて、自分の声を聞くのが楽しかった。


そして、ふと思いついた。

この声でなら、配信ができるかもしれない。


VTuberのアバターは無料のものがたくさんあった。ピンク色の髪に大きな瞳の、いかにも「可愛い」キャラクター。名前は……花音。咲良の「咲」と、音を楽しむ「音」。


深夜、震える手で初配信のボタンを押した。


「は、初めまして……花音です」


画面に表示される文字。


『声かわいい!』

『新人さん?』

『癒し系ボイス』


嘘だ、と思った。

でも、コメントは増え続ける。


『もっと話して』

『歌とか歌える?』

『推せる』


二十年間、一度も言われたことのない言葉たち。

画面の向こうの誰かが、私の声を「かわいい」と言ってくれている。

この偽物の声を。


配信を終えた後、部屋の静寂の中で一人、膝を抱えて座り込んだ。


さっきまでの高揚感が嘘みたいに消えて、代わりに虚しさが胸を満たしていく。


鏡に映る自分に向かって、素の声で呟いた。


「……ありがとう」


低い声が部屋に響く。

誰も聞いていない、本当の私の声。


スマートフォンの画面には、配信のアーカイブが残っていた。再生数は思ったより伸びている。でも、そこにいるのは私じゃない。花音という、偽物の私。


ベッドに潜り込んで、天井を見上げる。


美咲の言葉が頭の中でリフレイする。

「声が……ちょっと怖いっていうか……」


そうだよね。分かってる。

この声じゃ、誰かに好きって言っても、きっと引かれる。

この声じゃ、愛されない。


でも、花音なら違う。

花音の声なら、みんなが聞いてくれる。


次はいつ配信しよう。何を話そう。

考えているうちに、少しだけ未来が明るく思えてきた。


偽物でもいい。

嘘でもいい。

誰かに認めてもらえるなら。


窓の外では、春の夜風が桜の花びらを散らしている。

新学期が始まったばかりの四月。私の、もう一つの人生が動き始めた。


涙が一粒、枕に落ちた。


「本当の声で、好きって言える日が来たらいいのに」


誰にも聞こえない願いは、春の夜に溶けていった。

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