第3話

 赤ちゃんを病院に預け、俺は亡骸になった家族を静岡の家に送ってもらった。


 仏間に四体の遺体が並べられて、変わり果てた家を見渡す。


 いつも笑顔に包まれていた家庭だった。


 それが一度に失われてしまった。





「これからどうしよう」



 父ちゃんは工場を経営していた。


 車の部品を作る、下請けの下請けだ。


 俺が工場を受け継ぐのか?


 最先端の勉強してきた俺が、いつ潰れてもおかしくはない小さな会社を受け継ぐのか?


 それは心から拒絶したい。


 でも、工場に働く従業員もいる。


 その人の生活も変えてしまう。


 俺は何のために、27才まで大学に通っていたのだ?


 最先端の研究をして、未来を開く仕事に就くはずだったのだ。


 父ちゃん、兄ちゃん、俺にどうしろと言うのだ?


 頑張れと言われたけど、頑張るのは工場の運営か?


 それとも今まで続けてきた研究の方か?


 父ちゃんと兄ちゃんは、俺に何を求めているんだ?


 俺には分からないよ?


 俺に決断はできないよ。


 父ちゃんも兄ちゃんも、俺が優柔不断だと知っているだろう?


 静かな家の中で、時計の秒針の音だけが聞こえている。


 時計の秒針の音がうるさいから、静音の時計に替えろと、よく父ちゃんと兄ちゃんが言い合いをしていたことを思いだした。


 そんなくだらない言い合いも、もう聞こえない。


 静寂に包まれた部屋の中で、俺は四体の遺体を見ていた。


 今は夜だから、寝ているだけだよな?


 朝になったら「おはよう」と言って、起きてくるよな?


 朝になって、俺はカーテンを開けた。


 一晩中、父ちゃんと兄ちゃんに語りかけていたけど、返事は返ってこなかった。


 兄ちゃんがうるさいと言っていた時計の秒針の音だけしか聞こえない。


 会社の従業員が出社してくる。


 俺は電話の前に立った。


 今日は休日にしてしまおう。


 母ちゃんが作っていた緊急連絡網を取り出し、「今日も明日も明後日も休みです」と理由も告げずに、電話を掛けた。


「どうしたんですか?」と尋ねる声は無視して、電話を切った。


 死んだと認めたくない。


 篤志に会いたい。


 スマホを見ると、電池が切れていた。


 兄ちゃんの部屋に行って、充電コードに刺した瞬間、スマホが鳴った。



「あっちゃん」



 それは篤志からの電話だった。


 俺は急いで、電話に出て、ホッとしてしまった。


 涙がぽろぽろと流れる。



『真、どうしたんだよ?昨日は夕食すっぽかすし、電話にも出ないで、どこにいるんだよ?』


「死んじゃったんだ」


『誰が?』


「みんなが」


『もっと詳しく話せ』


「父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんと菜々美さんも、みんな死んじゃったんだ」


『今どこだ?』


「実家」


『直ぐに行く』


「うん」




 数分後、篤志のお母さんが訪ねてきた。


 俺の家から、篤志の家は目と鼻の先にある。


 篤志がきっと電話をしてくれたのだろう。



「真くん、お邪魔するわね。ご飯を持ってきたのよ」



 俺は頷いた。


 篤志のお母さんは、ダイニングに入るとテーブルに温かいおにぎりと保温カップから味噌汁をお椀に注いでくれた。


 箸は割り箸が出された。



「暖かいうちに召し上がれ」


「いただきます」



 優しい味は懐かしい篤志の家の味だった。


 昔から、篤志の家に出入りしていたので、篤志のお母さんの味も記憶されている。


 とっても美味しい。


 いつぶりのご飯だろう?


 俺は無言で、たくさんのおにぎりをひたすら食べて、味噌汁をすする。


 涙は勝手に出てきてしまうので、きっと酷い顔をしているだろう。


 食べ終わると、温かなお茶をコップに注いでくれた。



「少しは落ち着いた?」


「はい、ありがとうございます」


「本当に、皆さん亡くなってしまったの?」


「高速道路の多重事故で、みんなが乗った車が、高速道路から押し出されて、落下したみたい」


「そんな大きな事故ならテレビでやっているでしょうね?」と言って、叔母さんはテレビのスイッチを入れて、チャンネルを変えていくと、やっていた。



 俺と叔母さんは、黙ってテレビから流れる情報を聞き取っていく。


 最初の事故は、軽自動車を煽っていたワンボックスカーだった。


 軽自動車はスリップをして、反対車線のトラックと接触して、そこに後続の車が衝突していき、急ブレーキを踏んだ大型トラックが兄ちゃんの運転していた車を横からぶつかり、高速道路外に追い出して、転落したようだ。


 元は煽り運転をしていた車が悪い。


 その車は逃げ出しているから、車に傷一つも残ってはいない。


 警察はあおり運転をしていた車の犯人を捕らえて、事情を聞いているという。


 この事故で亡くなったのは、煽られていた軽自動車に乗っていた四人と我が家の家族の四人で、八名の命を奪った事になる。


 俺は車の運転はしないが、免許は持っている。


 煽り運転は昨今、危険運転として取り締まりもされるようになったが、身内がその立場になると、犯人が憎い。


 叔母さんは他の話題に変わると、テレビを消した。



「皆さんに会わせてもらってもいい?」


「はい」



 俺は席を立つと、仏間に叔母さんを連れて行った。



「あら、線香も焚いていないのね」


「そういえば」



 何もしていない。


 ただ布団を並べて、寝かせただけだった。


 叔母さんは線香を立てて、仏壇に参ってくれた。



「篤志から電話がかかってきたのよ。篤志が到着するまで、側にいてやってほしいって」


「そうですか?すみません。どうしたらいいのか分からなくて」


「昨晩は眠っていないでしょう?少しでも休んでいらっしゃい。叔母さんが線香を見ているわ。篤志が直ぐに来るわ。それから色々考えましょう」


「眠くないから、ここにいるよ」


「そう」



 叔母さんは、ただ黙って、線香を立てていてくれた。


 俺は、黙って、家族の姿を見ていた。


 そうして二時間ほど経つと、篤志がやって来た。


 叔母さんは帰っていった。



「あっちゃん、どうしたらいいのか分からない。俺、ここの会社継がないといけないの?大塚電気は諦めるの?俺の大学生活は何だったの?」


「真、落ち着いて。まず、叔父さん達の葬儀をしなきゃだよ。書類もらってきただろう?」


「そういえば、ある」


「葬儀会社はどこか聞いてる?積み立てしてるとか?」


「聞いてないけど、あるなら仏壇の引き出しとか?」



 俺は仏壇の引き出しを全て開けて探した。葬儀会社の名刺と弁護士の名刺と封筒が出てきた。


 封筒を見ると、父ちゃんが兄ちゃんにあてて書いた物だった。


 会社のことだった。


 要約すると、会社に危機が迫っても、俺に頼るなと書かれていた。会社に危機が迫ったら会社を畳めと書かれていた。


『真の可能性を潰すな』と書かれていた。


 何と有り難い手紙だろう。


 兄ちゃんは俺と違って、勉強が苦手だった。


 その代わりに、人を引き寄せる魅力があった。


 大学は地元の三流の私学を卒業していたが、心根が優しく、人に好かれる性格をして、顔もイケメンだった。


 女性からも男性からも好かれていた。


 工場の次期社長と言われて、父ちゃんに仕事を教わってきて、菜々美さんと結婚したから、社長の交代をしようと話が出ていた。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。



「あっちゃん、兄ちゃんの子は無事だったんだ。昨日、会ってきた。菜々美さんが亡くなる前に産み落としたみたいだ。菜々美さんに似て、美人だったよ。俺、兄ちゃんの子を俺の子にするつもりだ」


「そうか、子は無事だったのだな」


「うん、よかった」


「取り敢えず、葬儀だな。その両方の名刺に電話してみろ。段取りは相談されている可能性が高い」


「そうするよ」


「俺は会社に電話してくる。できるな?」


「できる」


「よし、今は真の家族を安らかに眠らせることを考えよう」


「あっちゃん、ありがとう」



 俺と篤志は違う部屋で、作業を始める。


 篤志が言っていた通りだ。


 弁護士は遺言書を預かっていた。


 葬儀会社も葬儀のことを決められていると言った。


 二人とも、家に来てくれると言った。


 一時間もしないうちに、弁護士と葬儀屋が来た。


 父ちゃんは一番安いコースを選んで、棺まで決めていた。


 段ボールで作られた一番安い物だった。


 確かに燃やすだけだから、高価な彫刻を施した木製の棺でなくてもいいとは思う。


 お金も払ってあるというので、父ちゃんが選んだ物にした。母ちゃんも同じ物を選んでいた。花だけは上等な物をリクエストしていた。


 会社の社員からは香典は受け取るなと書かれていた。


 兄ちゃんと菜々美さんも同じ物を選んでいた。


 葬儀は家族葬でと書かれていた。


 それでも、会社の従業員が来たときは、金銭以外の気持ちだけは受け取りなさいと書かれている。


 納骨は、その日にしてしまいなさいと指示が書かれている」


 篤志が電話を終えて、俺の隣に来た。



「忌引き休暇が取れた。10日の休暇だ。会社から手伝いが来るって」


「10日も休めるの?」


「会社とかの後片付けもあるだろう?」


「うん」



 一人でできるだろうか?


 不安だ。



「一人でできるか?」



 俺は首を左右に振る。



「それなら俺も休もうか?」


「あっちゃんは忌引きにはならないのか?」


「親族じゃないから、休暇を取るよ」


「10日も休暇を取ったら、休暇がなくなる」


「今は甘えておけ」


「うん」



 俺は頭を抱える。



「俺、親孝行もしてないのに」


「この葬儀を終えることが親孝行だろう」と篤志が言った。

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