5話 『ゲームセンター』

「ちっくしょうがあああ!」


 その声が、その人との初めての出会いのきっかけだった。


 ユウは、いつものように、いつもの時間に、駅前のベンチへ向かって歩いていた。


 ゲームセンターの前を通り過ぎようとしたときに、自動ドアが開き、真横からつんざくような大声が聞こえて、肩がびくりと跳ね上がった。

 ゲームで敗北したらしき声の主と、目が、合ってしまった。

 その人は、信じられないほど不機嫌そうな顔をしていた。


 ……まずい人とすれ違ってしまったかもしれない。

 ユウはそう直感し、見なかったことにして、早歩きで駅前のベンチを目指した。


 ……が。


 足音を感じて恐る恐る振り返ると、その人が、さっきよりも更に不機嫌そうな顔をして、ユウの後ろをついてきている。


 言いようのない恐怖を感じ、ユウは涙目になりながら、カバンからイヤホンを取り出して耳につっこみ、外界から音を消すため、大音量で音楽を流す。

 適当にタップしたスマホの画面が選曲したのは『森のくまさん』だった。

 その曲がスマホに残っていたのは、ユウがこうなる前に、放課後児童支援員をやっていた時代の、名残そのものだった。


 だんだん加速していく足取り。早歩きを通り越して、ユウは走っていた。後ろを見ると、まだその人は、追いかけてきている。


 やばい、やばい、やばい!


 心の声はそれ一色になっていた。亡くした友だちと、子供のころから追いかけっこをしていたユウだった。

 足の速さは結構自信があったが、その人に、追い付かれてしまいそうになっている。

 なんでこんなに速いんだ……もしかしたら、友だちよりも速いかもしれない。

 さすがにそれはないか、ユウは友だちに一度だって勝ったことはなかった。


 気が付いたら、ユウは駅前のベンチの前を通り過ぎていた。



 そのとき、前方に、あの日雑貨屋で、付箋を買っていた長い黒髪のあの子とすれ違った。

 あの子はびっくりしたような目をして、何かを言っていたように見えた。

 しかしイヤホンから流れる森のくまさんが、外の音という音を遮断していて、聞き取る余裕すらなかった。



 駅の近くの公園を通り過ぎ、疲れてきてスピードが落ちていたユウ。

 しかし、しつこくもその人は後ろから追いかけてきていて、ひっ、と小さく悲鳴を上げて前を向き直した。


 無心に逃げていたユウの目の前に、下り坂が広がった。


 その脇で、数日前にコンビニの駐車場で初老の男にポイ捨てを注意をしていたあの人と、駅前のベンチでカンナの花のスケッチをしていたあの子が、一緒に歩いているのが目に入る。


 驚いたように、二人がこちらを見ていた。


 ユウは思わず助けを求めようとも思ったが『知らない人』という心の囲いは取り払うことができなかった。



 そして、ユウは、坂を下りきったところで、ついにその人に捕まった。


 背中の服を掴まれ、イヤホンを強引に引っ張られ、けたたましいほどの蝉の声がユウの耳を突き刺すようだった。


 終わった……そう思ったときに、その人は、汗だくになりながら、肩で息をし、ちょっと笑って言ってきた。



「やっと、捕まえた……これ……落としたぞ……てか足速えーな、お前……」



 胸に押し付けられたのは、ユウの友だちの写真が納められた、ロケットペンダントだった。

 それ以上その人はなにも言わなかった。

 見返りも、なにも求められなかった。


 ユウは、その場にへたり込んだ。

 すぐそこにある喫茶店に黙って入っていくその人の背中を、呆然として見ていることしかできなかった。


 他人のために、こんなにも必死に走れる人がいるのか――。

 それを『知らない人』と思うことに、ユウは心のどこかで恥じていた。


 ユウは今、彼から何かを、受け取ってしまったようだった。

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