第1話 吟遊詩人と外の世界に憧れる少女 PASSGE:2

 「暗闇の彼方にある村」

 わたしの暮らしている村、グレンはそんなふうに呼ばれている。


 グレンは大陸の果て。海に面した、ちょっと寂しい場所にある。

 近くの村から馬車は出ているけど、いくつかの谷を越えないといけないから着くまでに半日以上かかっちゃう。


 この村に着く頃には、日は沈み、世界はすっかり闇の中。

 だから「暗闇の彼方にある村」。そんな名前がついたらしい。


 はじめて馬車で訪れた人が目にするのは、闇に沈んだ静かな村。

 ぽつりぽつりと民家の窓から小さな灯が漏れ出ているだけ。その様子が不気味で、「まるで魔女の集落みたいだ」なんて言われてるらしい。わが故郷ながら、ずいぶんな言われようである。


 そんな「暗闇の彼方にある村」と呼ばれる村にある、唯一のパブがわたし、イリアの家だ。もともとはお父さんとお母さんが二人ではじめたお店。でも、数年前にお母さんが亡くなってしまってからは、お父さんがひとりで全部を切り盛りしている。


 

 わたしも手伝ってはいるけれど、夜はすぐに眠くなってしまい、結局うとうとして、先に寝てしまう。だから役に立てている自信はない。


 真っ暗な闇に包まれた村のなかで、うちのパブは毎晩、明るい光が灯っている。音楽とおしゃべりで、いつもにぎやかだ。


 夜。ここに来れば、必ず誰かがいる。

 そんな田舎の社交場。

 それがわたしの家のパブだった。


 


 翌朝。窓から差し込む朝日で、わたしは目を覚ます。

 う〜ん、と背伸びをひとつして、ベットから降りる。


 窓を開け放つと朝の心地よい風が部屋の中に入ってくる。わたしは頬づえをつきながら、そのまま外の景色を眺める。


 「暗闇の彼方にある村」。

 そんな異名がついた村であっても、朝になればちゃんと日は昇る。

 夜のあいだ重く包まれていた闇はすっかりと消え、澄みきった風がおもいのままに巡っている。遠くには青空の下で山々が連なり、海は太陽の光をめいっぱい浴びて、きらきらと輝いている。


 暗闇の中、この村に訪れた人たちは、翌朝、この景色に思わず感動してしまうらしい。


 昨日の『ぎんゆうしじん』のお姉さんも、この景色に感動しているのだろうか。そんなことを考えながら、わたしはぼんやりと朝の景色を眺め続けていた。


「…………はぁ」


 思わず、わたしから漏れたのは、ため息だった。

 

 朝のこの景色は、たしかにきれいだと思う。

 きっとお姉さんも感動してるかもしれない。


 でも、わたしにとっては、ただの見慣れた景色。

 生まれてから十年、一度も村の外に出たことがないわたしには、どれだけきれいでも、ただの「つまらない風景」でしかなかった。


 焦げたバターの匂いが鼻先をくすぐる。

 わたしはパタンと閉めて、部屋を出た。

 どうやら、わたしにとっては、この景色より朝ごはんの方が大事みたいだ。


 朝食のパンを頬張りながら、わたしはお父さんに『ぎんゆうしじん』について聞いてみた。お父さんは顎髭を指でぞりぞりなぞりながら、「う〜ん」と低く唸る。


「正直なところよく、わからん」

「えー」

「こんな辺鄙な村だぞ。イリアもわかってるだろうけど、まず村の外から人が来るなんて滅多にない。だから吟遊詩人なんて会うのも初めてだったよ」


 そっか。お父さんも昨日初めて会ったんだ。

 たしかに、この村に来るのは、いつも決まった行商人ばかり。それ以外だと、たまにぽつんと現れる物好きな旅人くらい。昨日のおねえさんも、その部類っぽいかな。

 

「おねえさんは、歌や楽器を弾いたりする旅の芸人って感じで受け取ってくれればいいって、言ってたよ」


「そうだな。まあ、たしかに俺もそんなイメージだな」


 旅をしながら、歌ったり、楽器を演奏したりする。

──それが『ぎんゆうしじん』。


 でも、おねえさんのは口ぶりは、それだけじゃないような気がした。その引っかかりが、今の胸の奥に残る。

 



 おねえさんを見かけたのは、その日のお昼過ぎ。

 お店の買い出しに出かけていたときだった。


 ふと、陽気なギターの音色が聞こえ、わたしはその音の方へ視線を向けた。

 おねえさんが、村の広場にある噴水の縁に腰かけて、ギターを弾いていた。その前には何人かの人が集まって、ギターのリズムに合わせて、体を軽く揺らしている。


 昨日パブで聴いたものと違い、陽気なダンス音楽をギターで奏でていた。

 パブでもよく耳にする「リール」と呼ばれるリズム。車輪の回転を思わせるような軽快な四拍子のリズムパターンで、聴いていると、つい音楽に合わせて体を動かしたくなってしまう。昼下がりの澄み切った青空の下、音がくるくると回るように広がっていった。


 演奏が終わると、何人かが地面に置かれたギターのケースに硬貨を入れていく。それに対し、満面の笑みでお礼を返しているおねえさん。


 音楽を聴いていた人たちが、散っていく中、わたしは思いきって、おねえさんに声をかける。


「こんにちは、おねえさん」


 わたしの声に気づくと、おねえさんは人懐っこい笑顔を向けてくれた。


「こんにちは。昨日パブでお手伝いしていた子だよね?」

「はい。イリアって言います」


「そういえば、昨日は自己紹介してなかったね。私はイヴっていうの。しばらくはこの村にいると思うからよろしくね、イリアちゃん」


 昼下がりのやわらかな日差しが、おねえさんの銀髪を輝かせる。その髪が午後の穏やかな風にそよいで、ふわりと揺れる。


「今日は広場で歌ってたんですか?」

「うん。そうだよ。こうやって少しでもお金を稼がないとね。旅って、地味〜にお金がかかってしまうものなの」


 そう言いって、肩をすくめるようにして軽く苦笑いを浮かべる。

 わたしは視線を地面に置いてあるギターケースへと移す。

 中には、くすんだ銅貨が数枚だけ。


「……でも、おねえさん。これじゃ、下手したらビール一、二杯分にしかならないですよ」

「あははー……そうなんだよねー」


 そのとき、あれ? と、わたしはふと疑問を抱いた。


「おねえさん。昨日、うちのパブでも歌ったり、演奏たりしてましたよね。お金ってもらってましたっけ?」


 わたしの質問におねえさんはふっ表情をゆるめて答える。


「ううん、もらってないよ。ほら、イリアちゃんのパブに来てる常連人さんたちも歌を歌たっり、楽器を弾いたりするでしょ? でも。お金をもらっているわけじゃないよね」


「それは、勝手に好きなように歌ったり演奏してるだけからじゃないの」

「私も同じだよ」


 と、白い歯を見せて、いたずらっぽく笑う。


「私も同じ。ただ楽しむために歌ってただけだよ。もちろん、お店の人に頼まれて歌を歌ったり、演奏する吟遊詩人もいるよし、私もそうやってお金を稼ぐことだってある。


 でも昨日は、イリアちゃんのパブに雇われてたわけじゃないし、ただ私が好きに歌ってただけ。だから常連さんたちと同じだよ。でもね、ず〜っとそうやって好きなことばかりしてると、すぐお金が無くなっちゃうから、こうして地道にお金を稼がないといけないんだよ……」


 いたずらっぽい笑顔を見せていたおねえさんだったが、一転して残念そうな表情に変わる。コロコロと変わる表情の様子は、見ていてちょっとおもしろい。


 風にたなびく銀色の髪と、宝石のような紫色の瞳は、一見するとどこか冷たい雰囲気をまとっている。でも実際のおねえさんはその正反対で、まるで太陽みたいにあたたかい。


 おねえさんはギターケースの中の銅貨を皮袋に詰めながら、ぽつりと呟く。


「う〜ん、城下町とかもっと人が多いところだと、もうちょっと稼げるんだけどね」

「城下町っ……!」

「わっ!? ど、どうしたの……!?」

「おねえさん! 城下町ってどんな感じですかっ!」


 気づけば、わたしはぐいっと身を乗り出し、おねえさんに顔を近づけていた。目を輝かせながら夢中で問いかけていたのだ。


 『城下町』──なんていい響きなんだろう。

 こんな田舎じゃ、きっと一生縁のない場所。


 生まれてから一度も村の外に出たことがないわたしにとって、人がたくさん行き交う城下町や、にぎやかな都会の景色なんて、まるで想像がつかない。


 だからこそ、ずっと憧れていた。

 見たことのない世界に、強く憧れていた。


「じょ、城下町……?」


 わたしの勢いに驚いたおねえさんは思わず身をのけぞらせて、戸惑いながら言葉を繰り返す。


「えーと……城下町に興味があるの?」


「はい! あ、いえ、城下町に限った話じゃなくて……もっと村の外のことを知りたいなって思ってて。


城下町って、大きなお城があったり、建物や人がたくさんって聞くけど……ここにずっと住んでると、どうしても想像つかなくて。


……だからどんな場所なのか、もっと知りたいなって……」


「ふふ、なんだそういうことかー。すっごい勢いだったからびっくりしちゃったよ」

「す、すいません……つい……」


 わたしは今になって、自分の勢いが恥ずかしくなり、そっと目を伏せた。

 ──すると昨日と同じように、頭にぽん、とあたたかい手のひらの感触が伝わってきて、わたしは顔をあげる。


 落ち着きをとり戻したおねえさんが、澄んだ笑顔で向けていた。


「城下町の話でいいんだよね」

「……いいんですか?」

「うん、もちろん。じゃあ、何から話そうかな……」


 おねえさんは、瞳をそっと閉じて人差し指をこめかみに当てながら考える。

 昨夜、『ぎんゆうしじん』について尋ねたときにも、同じ仕草をしていたような気がする。おねえさんの何かを考えるときのクセなのかもしれない。


「よし」

 そう小さくつぶやいて、おねえさんは瞳を開く。


「やっぱり城下町だから、まずはお城の話からだよね」

 そう言って、ぎんゆうしじんのおねえさんは、ゆっくりと語り始めた。



 城下町のどこからでも見える、白亜の大きなお城。まるで空に向かってそびえ立つように、真っ白な壁と尖塔が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。その周囲には、お城を守るためのたくさんの甲冑を纏った騎士たち。


 早朝には教会の鐘の音が高らかに鳴り響き、それを合図に市場がにぎわい出す。たくさん人々が行き交う喧騒の中でも、ステンドグラスをはめ込んだ大きな教会は、どこか荘厳な空気を纏っている。


 お城、ステンドグラスの綺麗な教会、人で賑わい、あふれる市場。

 どれも、話を聞けば聞くほど、わたしにはまるで想像のつかない、未知の世界だった。


 

 そして──おねえさんは、とても話がうまかった。

 しっとりとした声で語られる城下町の風景。


 紡ぎ出される言葉は、さらさらと流れる川のように、切れ間なくわたしの耳に流れ込んでくる。ずっとこのまま話を聞いていたい。そんな気持ちにさせてくれる。


 けれど楽しい時間というのは、いつもあっという間に過ぎてしまうもの。

 気づけば、世界はすっかり黄昏に染まっていた。


「そういえば、わたし買い出しの帰りでしたっ!」


 あわてて腰かけていた噴水の縁から、ぴょんと飛び降りる。


「そろそろ帰らないと……。えっと、おねえさん、ありがとうございました。お話、とってもたのしかったです!」


 黄昏時の金色の世界のなかで、銀色の髪をきらきらと輝かせながら、おねえさんはゆっくりと、嬉しそうに微笑んだ。


「ご期待に応えられて光栄です。ふふ、気をつけて帰ってね」

「はいっ!」


 わたしは家に帰ろうと駆け出した。

 ……けれど、すぐに立ち止まり、くるりと振り返る。


「ん?」

 お姉さんは小さく首をかしげ、紫色の瞳でこちらを見る。


「どうかしたの? なにか忘れ物?」

「あ、あの……おねえさん。今日もうちのパブに来てくれますか……?」


 お姉さんは、にっこりと笑って、


「うん。もちろん。また後でね」

 そう言って手を振ってくれた。


「はいっ! 待ってますね!」

 わたしは家に向けて駆け出しながら、思わず満面の笑顔をこぼしていた。


 

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