イヴのうた

花邑 ゆう

第1話 吟遊詩人と外の世界に憧れる少女 PASSGE:1

 誰かが歌を歌うとき。パブは静寂に包まれる。

 わたしはその瞬間がとても好きだ。


 毎晩、この村の小さなパブにはいろんな人が訪れる。

 おしゃべりを楽しみにくる人もいれば、楽器を持ち寄って、セッションを楽しみにくる人もいる。なかには仔牛や羊の値段を話し合う商談の場にする人たちもいる。


 お酒を片手にそれぞれが勝手気ままに楽しむ場所。

 それが、パブと呼ばれる酒場。

 

 そんなにぎやかな空間に、ふっと静寂が訪れる瞬間がある。

 それは──誰かが歌を歌うとき。


 おしゃべりを楽しんでいた人たちも、仔牛や羊の値段をめぐって必死に交渉をしていた人たちも、みんなこの瞬間だけは歌い手の歌に耳を澄ます。


 唯一聞こえてくるのは置き時計が時を刻む微かな音だけ。

 これは昔から、パブに根づいている一種の”暗黙のルール”のようなものだった。


 各々が勝手気ままに楽しんでいた空気が一瞬にのうちに、ピンっと張り詰めたものに変わる。わたしの好きな、毎晩楽しみにしている静寂。だけど今日は普段とは違う高揚感のようなものをわたしは抱いていた。


 いつもなら、この静寂の中聞こえてくるのは、パブの常連さんたちの歌声。普段から聞き慣れた声の、聞き慣れた歌。でも、今夜は違った。


 静寂を破ったのは、はじめて聴く女性の澄んだ歌声だった。そして、女性の奏でるギターのやわらかな音色。


 木製の椅子にしとやかに腰かけて、太ももでギターを支えながら歌を歌う。パブの赤々とした照明が女性の神秘的な銀色の髪を照らして輝かせる。


 女性は目を瞑り、おだやかな旋律に優しい詩を乗せて、紡いでゆく。メロディに合わせて、女性の銀色の髪がさらりと揺れる。


 パブの常連さんたちも静かに耳を傾けていた。目を閉じて歌声に真剣に向き合っている人もいれば、女性の歌を肴に、おいしそうにお酒を飲んでいる人もいる。


 わたしも、気づけば目を閉じて、歌に耳を傾けていた。

 はじめて聴くはずの歌なのに、どうしてだろうか。どこか懐かしくて、胸のあたりがあたたかくなる。そんな、やさしい歌だった。


 やがて、歌が終わる。

 パブの中がまた静寂に包まれる。その静寂は、女性の屈託のない笑顔で放った「ありがとうございました!」という感謝の言葉を皮切りにどこからともなく、湧き上がる拍手の音ではじけ飛んだ。

 

 この女性は今日パブにやってきたばかりのお客さんだった。

 旅人なのだろうか、マントのようなものを羽織っていて、今は脱いでいるけれど、鳥の羽のようなものがいくつか供えられたつばの深い大きめな帽子を被っていた。


 でも、わたしの目を引いたのは、腰のあたりまで届く月明かりのように輝く銀色の髪だった。


 わたしは、しばらくのあいだ、女性から目を離せなかった。

 それはきっと、わたしだけじゃなかったと思う。常連さんたちも、突然現れた女の人に興味津々だった。


 そして、さきほどの歌である。歌い終えた女性のもとに、パブの常連さんたちが次々と集まっていく。みんな口々に彼女の歌を褒めている。わたしもみんなと一緒にその集まりに混じりたかったが、


「イリアちゃん、こっちにお酒、追加で頼むよ!」


 名前を呼ばれてしまう。

 パブのお手伝いをしているわたしはそういうわけにはいかないのだ。


 女性の歌のおかげなのか、お酒の注文が一気に増えた。

 次々と注文を頼まれ、わたしは慌ててお店の手伝いに戻る。


 それでも、つい視線は女性がいる集まりの方を見てしまう。

 わたしはパブのマスターでもあるお父さんが注いだお酒や作った料理をどんどん運んでいく。


「あっ、お父さん! このお酒、あたしが持っていくね! さっき歌を歌ってくれた女の人のだよね?」


 常連さんが先ほど女性の分のお酒を一緒に頼んでいたのを見ていたわたしは、チャンス! とここぞとばかりにお酒を持って行こうとする。


「ああ、頼むなイリア」

「うん!」


 木製のジョッキに並々に注がれたビールを持って行く。

 お酒をもっていくときに少し、お話できるかな? そんな期待を胸にわたしはお酒を手に、女性のもとへ向かう。


「あの……どうぞ」


 コトリ、と木製のテーブルにビールを置いて、差し出す。

 ちょっとだけ緊張しながら、おずおずと顔を見上げる。


 ──あれ? 

 わたしは一瞬首を傾げてしまった。


 さっき歌を歌っていたときと、まったくの別人に感じてしまったからだった。

 神秘的な銀色な髪も、宝石のような紫色の瞳も、さっきと同じ。

 なのにどこか雰囲気が違う。


 歌を歌っていたときは、もっと神秘的というか、大人びて見えたんだけどな。と、わたしは失礼なことを思いながら、つい女性の顔をじっと見つめてしまう。 


「ありがとう。お酒持ってきてくれたんだね。……って、あれ? なんかすっご〜く、私のこと見てないかな……?」 


「あ、ごめんなさい……っ! つい……!」


 わたしが慌てて頭を下げて謝ると、女の人は「ああ」と何かに納得したように呟いた。そして自分の銀色の髪にそっと手を添えた。


「ふふ、きっとこの髪の色が珍しかったんだよね? いろんなところで、よくじ~っと見られちゃうから。やっぱり、変なのかな?」


 そう言って微笑みながら、わたしに聞いてきた。


「い、いえ……っ! 確かに珍しいけど、すっごく綺麗だと思います!」



 わたしの言葉を聞いて、女の人はふんわりと微笑んだ。


「ありがと、褒められちゃった」


 月の光を浴びたように輝く銀色の髪は正直うらやましかった。わたしは自分の二つ結びにした髪の房を指先でいじりながら、小さくため息をつく。


「お! お酒きたね! そういえばノリで頼んじゃったけど、よく見るとお嬢さん、結構若そうだな。お酒飲んで大丈夫?」


 お酒を注文した常連のひとりがそんなことを言い出した。

 やっぱり歌っていた時と比べるとなんかそう見えるらしい。子どもっぽいというのは失礼かもしれないけれど、歌っていたときが妙に大人びて見えたのだ。


「もちろん大丈夫ですよ。それにお酒も大好きです!」

「そっかよかった! よし、じゃあみんなで乾杯だー!」


 コツン! コツン! と木製のジョッキがぶつかり合う小気味いい音がパブに響き渡る。


「それじゃ、持ってきてくれたビールいただくね」


 そう言って、女性はビールをぐいっと飲み始める。

 ぐびぐびっ、ぐびっとあっという間に飲み干してしまう。その飲みっぷりにさらに周りが湧く。


「ぷはぁ〜! おいいしい!」


 美味しそうに、ビールを飲んだ後に口を拭う姿からは歌を歌っていたときの神秘的な雰囲気のかけらも感じられない。ただの近所にいるお酒好きなお姉さんのようだ。


 その変わりようについわたしは、クスっと笑ってしまう。

 お姉さんから空になったジョッキを受け取り、「おかわり持ってきますね」と告げる。


「イリアちゃん、俺らの分のおかわりもよろしくな〜」

「はーい!」


 常連さんたちのジョッキもまとめて受け取り、わたしはカウンターへ。そしてまた並々に注がれたビールを運んでいく。

 何度か往復して、ようやくひと段落。


「……ふう……お代わり遅くなってすみません」

「ふふ、大丈夫だよ、おつかれさま」

「いえ、いつものことなので」  

「いつもお手伝いしてるんだ。今、何歳かな?」

「十歳です」

「そっかぁ、十歳かぁ……」


 お姉さんは少し感嘆したように息を吐くと、苦笑いを浮かべた。


「あはは……私の十歳の頃は家にず〜っと引きこもってたダメな子どもだったよ」 


 そう言いって、ぽん、とわたしの頭に手のひらを置く。


「へ?」


 急なことに、わたしは変な声を漏らしてしまう。

 お姉さんは笑いながらあたしの頭を撫で始めた。


「えらいえらい」

「え、えっと……その……」


 頭を撫でて褒められることに、わたしは恥ずかしさでつい下を向いてしまう。おそらく顔も真っ赤になってしまっているかもしれない。


 周りにいる常連さんたちも、わたしたちの様子を微笑ましく? いや、にやにや? しながら見ている。


 それでもお姉さんは気にしていないのか、気づいていないのか、そのままやわらかい指でやさしく頭を撫でてくれる。


 頭を撫でられるうちに、だんだん恥ずかしさだけじゃなく、胸がぽわぽわとあたたかくなってゆくような感じがしてくる。


 お姉さんはずっと下を向いているわたしを不思議に思ったのだろうか、


「どうかしたの? ……あ、もしかして撫でられるの嫌い……だった?」


 と撫でていた手を止めて、不安そうな表情で、おずおずと訊いてくる。


「そ、そんなことないです! ちょっと恥ずかしいっていうのはありましたけど……」

「そっか…… そうだよね、普通は頭撫でられるのは恥ずかしいよね。ごめんね……」


 お姉さんはそう言って、わたしの頭から手を離そうとする。


「あっ、で、でも嫌じゃなかったと言うか……うれしかった……といか、えっと、だからまだ、撫でてても大丈夫……というか……」


 とっさに自分が紡ぎ出した言葉でさらに顔を赤くする。

 お姉さんが頭から手を離そうとするのを引き止めようとする言葉。

 もう少し撫でてほしいと言っているようなものだ。


 お姉さんは、大きな瞳を一、二回瞬きさせてからゆっくりと笑みを浮かべる。

 うんとあたたかな眼差しを向けて、またわたしの頭を撫で始めた。


「いいなぁ、イリアちゃん。『吟遊詩人』さんに撫でてもらって。おっちゃんも撫でてほしいよ」 


 そんななか、常連のおじさんが酔っぱらいながら絡んでくる。

 酔っぱらいに呆れながらも聞きなれない「ぎんゆうしじん」という言葉に内心首を傾げる。


「はいはい。そこまでですよー。これ以上、お姉さんに変なこと言うと、奥さんに言いつけちゃいまからねー」


「わわっ、ごめんごめん! 冗談だって! イリアちゃん、それは勘弁〜!」


 浮かんだ疑問はひとまず置いといて、とりあえず酔っぱらいを成敗。

 慌てながら逃げるように離れてゆく酔っぱらい。……あの人、普段は真面目でいい人なのになぁ……。お酒が入るとなんであんなふうになっちゃうんだろう。


 パブのお手伝いしていると、お酒を呑んで性格が変わったり、変な行動をする人を何人も見かけてきた。だから、わたしは大人になってもお酒は呑まないと密かに誓っている。


「お姉さん。ごめんなさい、あの人普段はとってもいい人なんですけど。なんだか今日はすごく酔っ払ってるみたいですね。きっとお姉さんの歌のおかげですね。お姉さんが歌ってるとき、すっごくおいしそうにお酒飲んでましたから」


「あはは、だったら嬉しいな、ちょっとびっくりしちゃったけど」

「ふふ、おねえさん困った顔してましたもんね。……あの、おねえさん。一つ訊いてもいいですか?」

「ん?」


 お酒を飲もうとしていたお姉さんが、ジョッキに口をつけながら視線をこちらに向ける。


「あの、さっきの人がお姉さんのことを、『ぎんゆうしじん』って呼んでましたよね」

「うん」


「……えっと、『ぎんゆうしじん』って何ですか?」


 わたしの質問におねえさんは人差し指を頭に添え、斜め上に視線を向けて、考える仕草をする。


「う〜ん……そうだね。ちなみに、私のこと最初はなにをしている人だと思ったかな?」

「えと……歌を歌ったり、楽器を演奏する旅の芸人さん……?」


 わたしの答えに、お姉さんが頷く。


「うん。みんな吟遊詩人って聞くとそんな人たちを思い浮かべると思うから、その認識でいいと思うよ」


「じゃあ、『ぎんゆうしじん』は歌を歌う芸人さんってことでいいんですか?」

「そうだね。でも、それだけじゃないんだよ」


 お姉さんが紫色の瞳をいたずらっぽく光らせながら、美味しそうに口にお酒を含む。


 帰ってきた答えは、よくわからないものだった。なんだか、はぐらかされたような気がする。


 もっと質問をしてみたかったけれど、お父さんがお酒を運んでくれと、わたしを呼んでいるので、仕方なくカウンターの方へ戻った。


 置き時計の針が夜の九時半を指す。

 わたしがウトウトと眠くなってしまう頃だ。


 一通り注文を捌き切ったお父さんがグラスを洗いながら、ウトウトし始めたわたしに気づいた。


「イリアもう眠いだろ。先に寝ちゃっていいぞ」

「……うん、わかった」


 夜の九時半。パブを楽しむ人たちにとってはまだまだこれからの時間だ。だけど、わたしはいつも眠気に勝てず十時の壁を越えたことがない。今日もまた越えられないみたいだ。


 眠りにつく前に、もう一度、お姉さんの方に視線を向ける。

 先ほどから、常連の人たちとセッションを始めて楽しんでいた。


 うちのパブは、楽器も常備してある。

 誰かが楽器を弾きたくなったときに、すぐに弾けるようにと、フィドル、フルート、アコーディオンとセッションに必要な楽器は大体は揃ってる。


 もちろん楽器を弾くことが目的でパブにくる人たちは自分の楽器を持参してくる。

 お姉さんは、うちに置いてあったフィドルを弾きながらセッションに参加していた。ギターだけじゃなく、いろんな楽器も弾けるんだな、とわたしは感心した。


「あいつらまだまだセッション続けるみたいだな。きっとうるさいだろうけど寝られるか?」


「ふふ、大丈夫。慣れてるよ。わたしきっと隣でフィドル弾かれても、寝れる自信あるよ」


 そうお父さんに言い残して、わたしはパブの二階に上がる。二階がわたしとお父さんの住居スペースになっている。


 わたしはのベッドに入り横になった。

 下からセッションの陽気な演奏が聞こえてくる。

 普段とは違う艶っぽい音色が混じってるのは、お姉さんが弾いてるのかな?


 演奏する人によって楽器の音色ってこんなに変わるんだ。

 そんなことをつらつらと考えながら、わたしは眠りに落ちた。

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