野生が玄関で行き倒れる



 オヤシロさまが家に住み着いて、猪熊が庭に住み着いて、それでも変わらぬ日常は続く。


 バイト6連勤を乗り切ってからの深夜の帰宅。風呂に入る余裕もなく気絶するように眠ってしまった次の日。

 そこそこ寝たはずなのにいまいち覚醒しきらない脳のまま、ふらふらと朝の仕事である猪熊さんの水やりに出る。すでに時計は9時を指しており、朝と言うには微妙な時間だが、猪熊さんは優しいので大口を開けつつも許してくれるはず。

 青いプラスチックのバケツを手に玄関へと向かった。



 久々の休みであるが、特に予定もない、そんな朝。

 うちの玄関に狸が一匹、ごろりと横たわっていた。


 最初子犬かなと思ったけどおそらく狸のはずだ。

 まあこの辺は半端に田舎だし、少し足を伸ばせば野山もあるし、背の高い草がわさわさと茂ってる川なんかもある。狸がいてもおかしくはないのだろう。

 しかし、玄関に狸がいるのは少しおかしいのではないだろうか。行き倒れるにしても普通は人目を避けるんじゃないかな、おそらくだけど。

 困ったな。でも触れるにしても衛生面が気になるし、どうしたものかと立ち尽くしていると雷太がやってきた。


(「俺のころだって野良犬すらほとんどいなかったのに、野良狸とか珍しいな」)

「狸はだいたい野良じゃないかな。でも本当になんでうちの前なんだろう。ていうか生きてるよね?」


 かみつかれるとかバイ菌とかそういうのが怖いので、傘の先で狸をつついてみる。ぴくりとも動かないが、ゆっくり体が上下しているように見えるので息はしているはずだ。

 さてどうしたもんだろうか。保護して動物病院とかに連れて行った方がいいんだろうか。野生動物を勝手に飼うのはダメって聞いたけど保護もダメなんだろうか。餌とか水あげるくらいならいいかな? ダメかな。


(「放っておけばいいんじゃねえの。生きてたらそのうちいなくなるだろ」)

「いや、でも玄関先に狸倒れてるとか近所の人に見られたくないよ。動物虐待とか疑われたらめっちゃ猟奇的な家になっちゃうじゃん。死なれたらもっと困るし」


 そうなのだ。半端に田舎だからおじいちゃんやおばあちゃんおばちゃんが元気なのだ。噂とかとんでもないスピードで広まりそう。狸殺して玄関先にさらしてるとか噂されたらこの家に住んでられなくなるよ。


「孫ー、朝ご飯はなにー?」


 あー、今度は家の中からご飯の催促か。オヤシロさままだひと月も経ってないのになじんでらっしゃいますね。ていうか玄関先でこれだけごちゃごちゃやってるんだから、様子くらい見に来てもいいんじゃないですか。

 そうこうしているうちに狸がぴくぴくと動き始めた。

 よかった、生きてるな。このまま帰ってくれれば一番なんだけど……。



 目が覚めたようでゆっくりとまわりを見回す狸。警戒してはいるようだが、俺たちを見て即座に逃げるというわけでもなさそうだ。驚かせたいわけではないし、このままフェードアウトしてくれるとありがたい。

 ……そう思っていると、目をぎょろりと開いてキュウと鳴いたかと思うと後ろに倒れ込むように再び気を失ってしまった。なんで?



「雷太、お前なにかやった? おどろかせたり」

(「やんねえよ。俺は見てただけだぞ。」)

「じゃあなにがあったんだ……、あ」


 後ろを振り向くと、家の陰から猪熊さんが顔を覗かせていた。


「あー、猪熊さんみちゃったらそりゃそうなるかあ」


 こんなでかい熊いたら人間だとしても気を失うよな。どうしようこれ。

 ……さすがにこれは助けてあげなきゃかわいそうな気がしてきた。





 直接触れたくないよー、雑菌怖いよーということで、タオルに包んで段ボールに狸をしまい込む。そしてとりあえずとして玄関の中に。

「さてどうしたものか。とりあえず水でも用意しておこうか」

「おー、じびえかの」

「地冷え? こいつは狸ですよ-。じびえって呼ぶ地方あるんすか」

「晩飯じゃろ」



 ……ググってみよう。



 ジビエ

 -フランス語 狩猟等で得られた野生の鳥獣の食肉。


「……食べねえよ!」

「狸汁がうまいって読んだんじゃがの」


 狸汁とか昔話か。ていうか学生時代に聞き覚えのない言葉を知らないままホイホイ話しを合わせてたらとんでもないことになった経験が生きたな。分からないことをすぐ調べるの大事だね。

 そんな俺を見てちょっと意地の悪そうな笑顔でケラケラと笑うオヤシロさま。本気で食べようとは思ってないようだ。


「まあここんところ家のまわりでフラフラしてた狸じゃろ。なにを企んでるかしらんがな、狸だしな」


 すでに把握済みだったようだ。家のまわりをフラフラしてたってことはこの辺に住み着いてるのかな。


「えー、そういうのは早めに教えてくださいよ。雷太気づいてた?」

(「犬猫とかはさすがにいちいち気にしてないな」)


 まあでも狸見つけたよって聞かされてなにか対策するかっていうと、しない。


(「でもここ何日かよく見かける坊さんとか小坊主っていうのか? 一休さんみたいなのはちゃんと動向チェックしてたぞ」)


 うーん、そんな話は聞いてないなあ。この辺お寺ないんだから立派にイレギュラーな事態だと思うんだけどなあ。ていうか坊さんがうちのまわりうろちょろしてるってなに!?


「そういうのは言ってくれよ」

(「なんかあったら言おうとは思ってた」)

「知らない坊さんが徘徊してるとか十分報告すべき事案だからね」


 謎は深まるばかりだ。狸よりも坊さんが気になって仕方ない。




 とりあえず狸の監視を雷太に任せ、オヤシロさまの朝ご飯の準備などあれこれ雑事をこなす。


(「狸が起きそうだぞー」)


 おー、やっとか。

 暴れた時用の厚手のバスタオルと、餌になるかなと用意しておいたリンゴを手に玄関へと向かう。猪熊さんは外だし、今度は大丈夫だといいな。


「狸はどんな感じ?」

(「まだ寝ぼけてるな。こりゃ」)


 キョロキョロと不思議そうにまわりを見回している狸。いきなり室内で目覚めたわけだからまあそうなるか。


「水飲んでくれるかな? リンゴとか食べるかな」


 警戒させないようそっと段ボールにリンゴを差し入れる。


「これはかたじけない」

「いえいえ。どういたしまして」



 またこの感じかー。

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