生臭坊主vs謎の生き物


「お? もう暗くなってるか。結構寝たんだな」


 ぐーっと背伸びをする重崎。住人がすくないオフィス街だけに公園には人影もなく、どこか非現実的な雰囲気を醸しだしている。夕暮れ時というのに湿度は高いままで、じっとりとした空気が不快だ。

 目覚めて周囲を見回していると、狙ったようなタイミングで甘葉が紙袋を手に近づいてきた。


「いま起きました? ちょうどよかった。これとりあえずどうぞ」


 紙袋を差し出す甘葉。中には海苔団子が10本ほど入っている。


「おう、さんきゅ。腹減ったんだよ、いつものことながら気が利くな」

「まあこれから働いてもらうつもりですし。やっぱりあの川で当たりみたいです」

「そうだろうなぁ。正体は?」

「まだわからないですね。化け物か、悪霊か、日本のものか、外国のものか」


 神に仏にキリストにと、宗教ちゃんぽん状態の土地だけに、なにがいてもおかしくない。

 ただ甘葉には、なにが出てきても、重崎ならなんとかなるだろうという安心感もあった。今まで大概のことを力技でなんとかしてきた実績がある。


 数分ほどで団子をすべて平らげた重崎は、串の入ったビニール袋をぐいと甘葉に押しつけ、さあ仕事だとばかりに立ち上がる。


「よし、とりかかるかね」

「ええ」


 重崎は羽織っていたアロハを小脇に抱えた。甘葉は、手の中にすっぽり収まるほどのカメラと、小さなノートを取り出した。

 向かうは、今回の収束点であろう場所。新堀川。気がつけば霧のような雨が街を包み込んでいた。





「やっぱりここですね」


 流れる川の片隅、そこには小さな渦ができていた。

 ただそれだけならばなにか川底に障害物があるのだろう、というだけで決して珍しいことではない。だが、その渦の中心には黒いもやのような、蜃気楼のようなものが立ち上がっていた。

 昼にトイレを封印したTV局からごく近く、ここ以外に新規の不安定な場所は見つからなかった。おそらくトイレで集められた雑念の行く先はここだったのだろう。

 どぶ川というほど汚くはないが、手や足を入れるのはちょっと躊躇してしまう、そんな水質だったが、重崎は微塵も気にせずどぼんと飛び込んだ。あいかわず思い切りがいいな、と甘葉が感心する。


「おう、ヤチよぅ。なんか川底がぼろぼろになってるところあるな。これか?」

「なにか見えますか?」

「崩せばなんかあるかな。なんか不穏なものは感じるぜ。お前こそ見えないのか?」

「うーん、水の中だからかあまり見えないんですよね。川の水が滞ってるなくらいで」


 それを聞くが早いか、足で川底を踏みつける重崎。ドッパァンと水柱が立つほどの威力である。河川は市に管理されているわけで当たり前に公共物なのだが、そういう配慮は彼に求められない。

 ビジネス街なので、夜は人が少ないのが幸いした。見られていたら通報されていたであろう。


 ドッパァン、ドッパァン、数度水柱を立てた重崎がニカっと笑って甘葉に振り向く。


「当ったりだぁ! でかいのいたぞ!」


 ぶわりと川からもやが吹き出す。それは次第に収束していき、重崎よりもふたまわりほど大きい不定形なかたまりとなる。


「なんか獣……化け物ですかね。えっと、大型のほ乳類の感じなのかな?」


 目を細めて確認するが、甘葉の目ではその形がはっきり見えるわけではない。あくまでも濃いもやが集まっている程度の認識である。


「まあええわ。なんか俺をにらみつけてるんだろうなってのは感じるぜ、なあ甘葉よ、はよ撮ってくれや」


 甘葉は手にしたカメラでその靄を撮影する。古い映画でスパイが使っているような、古くさい小型のフィルムカメラが小さな動作音を響かせシャッターを下ろした。すると、手にしたノートにうっすらと文字が浮かび上がる。


“猪熊”


 なにやら古くさい文字だが、読めないわけでもない。昔の新聞で使われていたようなフォントだ。


「猪熊って出ました! えっと、でもこれだけだとなにか分からないですね。おそらく100年くらい前の記事じゃないかと。あとこれ……“興行”? ちょっとネットも使って調べるので様子見つつ対処してください。油断はしないで」

「おうよ!」


 そう応えると重崎は黒い靄と対峙した。


 甘葉が持っていたノートとカメラは、行方不明になったとある新聞記者の所有していた物である。

 大手新聞社に在籍していながらも、オカルトじみた事件ばかりを追っていたことで会社から干された記者だった。現代よりも社会と怪異が近かった時代にあっても彼の行動は異常と取られていたのだ。そしてそんな風評も彼の好奇心を止めることはできなかった。

 しかし、その記者も山岳事故をきっかけに行方不明となってしまった。そしてなぜか家に残されていた取材道具の数々は、家族の元から離れ転々と持ち主を変え、甘葉の元へとやってきたのだ。

 その記者の取材道具のひとつであったカメラである。スパイカメラとも呼ばれる110フィルムを使用するその小型のカメラは、取材用と思われる小さなノートとセットで奇妙な力を発揮した。オカルトに分類される事象に限定されてはいるが、対象をカメラのファインダーに捉えてシャッターを切ると、その対象に紐付けられた情報を引き出すことができるのだ。

 新聞や雑誌の記事、論文など、ある一定以上の範囲に公開された文章に限るという条件はあるが、古今東西で発表された対象の情報がノートに浮かび上がる。それはまるで、熱心な記者があらゆる資料を収集し、スクラップとしてまとめ上げているかのようだった。


「猪熊と化け物、妖怪あたり組み合わせてネットで調べても情報は少ないですね。それっぽいので言うと大須近辺で見世物になっていた猪熊という化け物がいたそうです」

「なんでそんなもんが川に封印……かどうかわかんねえけど、いたんだよ」

「ノートにも川熊という化け物の情報が浮かび上がってますね、何らかの関係がありそうです」

「なんにせよ熊なんだな!」


それだけわかれば十分と腕をブンブン振り回す重崎。


「封印にしてもエネルギーをそこに集める仕組みまで込みですしね。供物としてだったのか、それとも別の意図があったのか」

「まあもちっと調べてくれや!」


 両手の拳に数珠を巻き付けた重崎が構えを取る。猪熊と呼ばれていたらしいそのもやは、重崎を敵として認識したようだ。

 人間の感情という餌を与えられておとなしくなっていたのだとしたら、その供給が減った今、新たな餌を求めているはずだ。そして、そんな状態であるならば、重崎はとても美味しそうな獲物に見えることだろう。


「おうおうおう。やる気だな! ビンビン伝わってくるぞ!」


 重崎は眠たければ公共の場であろうが寒い冬の公園であろうがどこでも寝るし、金を手にすると酒や食べ物につぎ込む。腹が減れば道ばたに生っている柿でも勝手にもいで食べてしまう。欲望……というよりも本能のままに動く生き物なのだ。そして荒事ケンカも大好物で、ひとたび騒ぎを聞きつけると、自分が関係なくともその中に突っ込んでいってしまうほど。むき出しすぎる感情は、さぞ猪熊にとって魅力的なはずだ。


「じゃあいくぞ!」

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