第9話 神様の悪戯

 しかし、僕の考えは全然甘かった。神様がそんな僕をその程度の事で許してくれるはずはないのだ。

ある日昔の『悪ガキ』に帰宅途中、ばったり出合ってしまったのだ。 ―― 間違いなく神様の悪戯だ ……

もちろん僕から声を掛けるはずもなく、「やあ、久しぶり、元気かぁ」

だらけた口調ですれ違いざま声をかけられたのだ。

えっと振り返ると奴だ。

「ああ……」それだけ言ってさっさと行こうとすると追いかけて来る。

「なぁ、その態度、冷たすぎないか? 旧交を温めようぜ、暇だろ、良いだろ、なぁ、……」

そう言いながら肩に手を回されると、全身にビビビッと電気が走って動きを封じられ、「殴られる!」と恐怖が蘇る。

「何びびってんのよ。飯おごっちゃるから」

『悪ガキ』はにたにたしながら僕の腕をぐいぐい引っ張って居酒屋へ。

……

「いやー、ガキの頃は俺もやんちゃでよ、お前にも随分悪いことしたって反省してんのよ……」

『悪ガキ』はそんな言葉を吐き出してきた。そんな言葉を信じるほどバカじゃない、怖くてテーブルに並べられた料理を前に箸を持つことすらできない有様なんだ。

『悪ガキ』の謝罪の言葉は延々と長くて、僕の心に、沁みるどころか閉じた傷口を否応なしにこじ開けて、そこへ塩を塗り込んでいくばかり、

―― いい加減に止めてくれ …… そう言いたい。

しかし、現実の僕は『悪ガキ』の言葉一つひとつにいちいち、「うん、うん」とバカみたいに肯いているのだ。

そんな態度の僕を、もう一人の頭の中に棲みついている僕が、「ばっかじゃないの、『うるさい』とか言って帰りゃいいじゃん」と他人事みたいに言う。

「そんなことは生身の僕にだってわかってるさ」ともう一人の僕には口を返せるんだ。

 小一時間ほどで僕は放免され、飲食代を『悪ガキ』が払うのを見て、 

―― えっ、意地悪で食い逃げするかと思ってたのに、可笑しい …… などと思ってると、「またな」と言い捨てて立ち去ろうとしている。

何もされなかった?

僕は奴に会ったことが実は夢だったんじゃないかと自分の記憶を疑ったほどだ。

「あ、そうだ。去年かその前の年だったか、父親とファミレスで何喋ってたのか聞くんだった」と思いついたのはその姿を見失ってからややしばらくしてからの事だった。

それからの日々は『悪ガキ』とまた会ってしまうかもしれないという恐怖が先に立ち、『出会った道は絶対通らない』ことにしてひと駅歩いて電車に乗っていた。


 ところが、本当に偶然かどうかはわからないけど、会ってしまったのだ。

けど、謝罪に始まって謝罪に終わる居酒屋での会話は、一方的なもので僕はひたすら時の流れにねじを巻きたい心境で『肯く係』と化す。

『悪ガキ』は三流の大学を出て、三流の証券会社に入社、三流の成績で、三流の彼女? ができて、今度会わせるなどと好き勝手を言う。

要は僕を羨んでると言いたいようなのだが……?

そしてまた会計を済ませてくれて、……もっとも僕は乾杯後のグラスに口をつけず、数種類並べられたつまみたちの味見をしてないどころか手元に箸すら置いてないのだから、『悪ガキ』が払って当たり前なのだ。


 有り得ないことに日にちを空けて突然電話がかかってきた。

―― 番号なんて教えてないのに? …… と思ったが、警戒心たっぷりに聞いてると『悪ガキ』が「彼女に会って欲しい」とお願いするんだ。

さすがに驚いた。

それって可笑しくないか? 自分の彼女をほかの男に会わせたいなんて、魂胆があるに決まってる。そうだろう?

 否応なく居酒屋で会うことになって、いざ対面し下げた頭を戻した瞬間、二の句が継げずにただ自分の顔が真っ赤になり、目はこれ以上は無理! と言ってるのにさらに開け! みたいな……。

「久しぶりね」そう言ったのは誰だと思う?

……

「わかるはず無い」って……。そりゃそうだ。答えは、あの『その娘』だったんだ。

「えっ、彼女って、このひ、……と?」

僕は恐る恐る言葉を押し出した。

「あらやだ、あんた私を彼女だなんて言ったの?」『その娘』は『悪ガキ』を睨みつける。

随分変わってしまった気がする。大人しめで口答えとかできそうにない感じだったが、今は、完全にあの『悪ガキ』を見下してる。

「あ、ああ、ちょっと見栄はった。ごめん」

『悪ガキ』が僕のようになってる。可笑しい、「くくく」と堪え切れずに笑ってしまい、慌てて、「いや、あの、その……」

『その娘』は僕のそんな様子をみていて、

「ふふっ、良いのよ。あの時私が助けてと言ってもあなたは知らんぷり。私は振られたんだからさ」

口元にだけに笑みを浮かべ、じろーりと僕を見る眼差しは鋭く敵視してるみたいだ。

―― えっ、僕がふった? お気に入りだったのに? ……

「それは違うんだよ。云々……」と心の中では言えるのだが、実際の僕は、「そんな……」しか言えない。

だから悲し気な表情づくりに死力を尽くすしか、……ないだろう?


ほとんど『その娘』に会話をリードされ男二人が聞き役に回ってる。と、いつのまにか投資の話に移ってる。

―― そう言えば『悪ガキ』は投資会社に勤めていたんだ ……

『その娘』も同じ証券会社でやはり投資を扱ってるという。

そして『その娘』のお陰で『悪ガキ』の客を大いに喜ばせたと語るのだ。

僕はもともと『その娘』に魅せられてしまってたから、誘われるまま軽い気持ちで一口乗る。一口は十万円、その場で色々サインをしハンコも押した。

「お金は今度会った時にもらえるかしら?」

僕は「もちろん」と答えると、『その娘』は名刺を出して、裏に携帯番号を書いて渡してくれた。

―― えっ、良いの、携帯番号なんか書いちゃって? …… ドキドキで心臓が爆発しそう。

「じゃ、給料日のあとにこの電話番号にかければ良い?」最大限の勇気をふるって僕は言った。

……

別れてからふと、

―― あれ、給料出たからって十万もやったら生活費はどうすんだ? ……

その晩は眠れず、朝、ぼーっとしたまま行員通用口でIDカードをかざしていた。

 勤務中に、はたと思いついて、拳で掌をパシッ。

途端に一斉注目! 

「あ、すみません。なんでもないです……」僕は小さくなって頭を下げた。

クレジットカードに十万円のキャッシング枠のあることに気付いたのだ。

 給料日、昼休みにキャッシングして即座に『その娘』のスマホへ発信。

が、でない、……しばらく待ったが、……話はできず伝言を残した。

退行の時刻になって真っすぐ例の居酒屋へ行って『その娘』を待った。

……

二時間後、笑顔の『その娘』は領収書をくれた。

楽し過ぎて僕があるいは『その娘』が何を喋ってどう受け答えしたのか記憶にない。

「またね」可愛いウインクなんかしちゃって僕を有頂天にさせて『その娘』は帰って行った。


 ひと月も経たないうちに『その娘』から、「配当出たから口座に振込んどいたわ」

えっと思って勤務中にも関わらず、自動機で記帳すると元本の三割近い配当金の入金印字が輝いている。

―― へー、こんなに儲かるんだ。へーもっとやりたいな ……


 軽率な僕は銀行に行員向けの消費ローンを申し込んだ。五年で百万円と決めていた。

そして『その娘』にラインした。

「これからも一緒に投資でお金貯めて私と将来を設計しましょう」

と返信されその気になってしまった。 ―― 『その娘』との将来! 子供は二人かな? ……

 ところがだ、百万円を払ったあと『悪ガキ』と『その娘』や名刺の投資会社と連絡が取れなくなって、心配してその名刺の住所へ行ってみるとそこは威風堂々といった感じの大手証券会社の本社ビルが建っていたのだ。 

―― あー騙されたぁ ……

その夜、腹が立ちすぎて眠れなかった。殺してやると思う。『悪ガキ』も『その娘』もだ……で、どう殺る?

 喧嘩には自信無いから、睡眠薬で眠らせて首を締めるのが一番楽だし可能かな?

だが、どの位の力がいるのかわからないし手が痛くてできないんじゃないかとも思う。

ビニール袋を被せたらそのうち窒息するんじゃないか? と新たな方法を思いつく。 

取り敢えず身近にあった買物袋を被ってみると、袋に空気が入らないようにするのは首を絞める程度に大変なことだと判明した。

やっぱり『布団の圧縮袋』しかないと思い至る。大きな袋に身体ごと押し込んでチャックをして機械で空気を抜けば死ぬ。夢でよく見る方法だ。

暴れないように手足さえ縛ればいける!

早速大型の吸引機と専用ビニール袋とのセット商品をネットで買う、なんと一万円もしない、意外だった。

―― 殺人の道具をこんなに安く売ってて良いのか? ……

液体の睡眠薬も入手した。

あとは奴らを見つけるだけだ。探偵に頼む金が無いので、最初に出会った場所で暇な限りうろついた。

 なかなか出会えずSNSにその二人の実名と写真を載せて事情も書いて探してると書き込んだ。

日を空けずに色んな情報が書き込まれびっくりだ。休みの都度書き込まれた場所へ行ってみる。そして結果をSNSに報告する。そんな繰り返しの日々が続く。

……


 ひと月が過ぎるころ、課長に呼び出され、「すぐにSNSを止めろ」と命じられた。

「行員が詐欺にあうなどと言う恥さらしなことを……」と、小言が始まる。しだいにクレッシェンドする声に父親の顔がちらついてきて恐怖が蘇り身体が震え、一言も発せられずに「すみません。もうしません」という気持ちをぺこりぺこりと頭を膝にぶつけるほど深く下げて表した。それでも僕がこたこたになるまで小言は続く……。

 解放されてすぐに、早退して、SNSを閉じて、布団を被って震えていた。

精も根も尽き果てた。 ―― 死んでしまおう …… 

絶食なら痛くないし空腹を我慢してれば良いだけだ、と思いついた。

二日間布団から出ず食事も水も口にしなかった。

三日目になって喉が渇いて水道水を口にしてしまう、「美味しい」という言葉が口から勝手に飛び出した。

一週間後、まだ死ねない?

簡単だと思っていたが空腹や喉の渇きを我慢するのは、死ぬより辛いと悟った。

それにこれ以上休むと死ぬ前に父親に連絡され、怒鳴られるという別の恐怖が湧いて、それなら銀行へ行ったほうがましなんじゃないか? と思ったのだ。

『随分都合のいい奴』と思われても仕方がないが、実際やってみたらそうなったんだからしょうがないだろう?

 出勤すると、みなは僕を蔑む目でみているようだけど、そういう目には慣れっこ。

課長からは、「親からなんか言われんかったか? 無断欠勤なんかしやがって、今日来なければ懲戒処分する積りだった」と怒られる。


 地獄への階段を転げ落ちるかのように虐めや意地悪は卑劣を極めていく。

―― 高校生の時に見た天国への階段は、逆に見ると地獄への階段だ! …… そんなことを真面目に考えてるなんて僕の頭はどうかしてしまったに違いない。

 さらに寮の準備係で僕に散々意地悪をした『独身男』が、「同じ総務課で仕事をすることになった、よろしくな」とか言って姿を見せた。

―― 性格悪いからこいつはきたんだな …… 僕は自分の事を棚に上げ、そんな風に軽蔑してやった。

子供みたいなそいつの悪戯が始まった。

部長から、僕を呼んで来いと言われたのに僕に伝えず、部長に怒鳴られる。

外線から僕への電話を取り次がず「外出してます」と嘘を言う。

備品の請求書を支払期日に持って来る、云々……。

そんな所から始まった虐めはエスカレートして、

僕の金を盗んだり、

女子行員の更衣室の隠し撮りした写真を監査の時にわざと僕のロッカーに仕舞って発見させたり、

ネットに顔写真入りで有ること無いこと書いたり、……。


 『独身男』は女子を前に僕の悪口を吹き込んだんだろう、しだいに女子行員も僕に背を向けてひそひそ話をするようになり、僕の『ぼっち』感は極まる。

あまつさえ出世街道を歩いていた課長は営業課時代の大失敗で窓際に追いやられた人物、他人を蹴落としてでも上を目指しているから、僕の『支出申請書の誤字・脱字』にさえ鬼の首を取ったかのようにでかい声で喚き散らす。

ほとほと疲れ果てた。―― 誰でも良い、助けてー ……


 そんな毎日でも辛うじて息をし、胃袋に何かを押し込んで、行員用玄関を通り抜け、自席目指してよたよた歩いていると、『総務預かり現金』の紛失事件が起きたと大騒ぎになっている。

前日の照合は僕の担当だ!

今朝は別の担当者が照合してから仕事を始めることになってるんだけど、それが合わず僕が疑われて、僕は、「昨日は間違いなく合っていました」と言ったけど、「じゃ、何で今日合わないんだ」と部内全員が疑惑の眼差しを僕に向ける。

ほかの行員を疑わない課長は、「七十万円が不足しているから、お前が弁償しろ」と言いがかりをつけてくる始末。

―― はぁ、なんで僕の責任なんだ? …… 理不尽な命令に僕はもう泣きそう。

さらに「そうすれば懲戒解雇だけは許してやる」と威張り腐る。

しかしよくよく考えてみてくれ、

―― 僕は金庫室の鍵を持っていないから退行後は金庫室には入れない ……

―― 僕の精査照合後に別人が再勘して間違いないとして押印している ……

つまりだ、僕が金を盗むチャンスなんてあるはずない。だろう?

 その再勘した四十間近の女子社員だが、噂だけど部長の愛人らしい。加えて同じ課の『意地悪男』と仲が良く、僕は彼女を『意地悪女』と呼び、意地悪で金を盗んだんじゃないかと疑うのだが、誰かに賛同してもらえるような状況じゃない。

それに、事件発覚後に『意地悪女』が僕を見る時、いつも『してやったり顔』を見せつけるから、悔しい!

―― やっぱり、拾われっ子が犯人にされるんだ …… 打つ手を思いつかない、万事休す。

午後から監査部がきて現金を確認、「七十万円紛失として報告書を上げる」と結論を出した。僕は責任の所在について質問に答える形で、「正確に計算し引き継いだし、それは認められていた」と抵抗したが誰一人味方をする人はいない。

僕が珍しくそんな風に言えたのは監査部のひとが静で落ち着いた口調で聞くのでビビらずにすんだからだった。

 ただ、同じ課の小柄で気の弱そうな女性というか『華奢な娘』だけがこそっと慰めの言葉をくれた。ろくに口をきいたことは無かったのに突然で驚いたが、

―― きっと『意地悪女』と同じく何か下心があるに違いない ……

僕はそんな風に確信し適当にお礼の言葉を口にしていた。

 その日の夜父親に、「辞めたい」と言ったら、「男が一旦始めた仕事は最後までやり抜け」と叱られた。

結局、七十万円は不明金として扱われ、僕は処分されなかったけど、何故、『意地悪女』をもっと調べないのか疑問に思うのは当然だろう?

 ところがその評価は事件の数か月後に訪れた年末のボーナスに現れた。いつもはBかC評価なのに、最低のD評価、一般行員の半分に満たない支給額に僕は思った。

―― 会社は七十万円を僕のボーナスで回収する気なんだ! ……

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