第23話 湖畔の罠


 スライムの森の歩き慣れた道から外れ、獣道を進んでいくと、徐々に空気がひんやりとしてきた。

 この先に、ノエルが言っていた湖がある。

 僕は出発前にノエルたちと交わした会話を思い返した。


『仕事縁がマイナスって……そんなことあるの?』

『実はね……。利害関係がどうあっても対立する運命にある人に、そういう表記が出るんだ』

『……つまり、あのバイロンというテイマーは、シオンさんに何かよからぬことを企んでいる、と……?』

『なぜか僕がEランクに上がりたてなのを知ってたから、ちょっと疑問に思って縁を見てみたんだけど、心配が現実になっちゃったな……』


 二人の不安そうな顔に、僕はごまかすように苦笑いを浮かべる。


『まあ、マイナスって言っても23%だし、何か僕に深い恨みがあるって感じではなさそうだけどね』

『でも、要するに敵なんでしょ? じゃああの情報も当てにならないじゃん!』

『その通りです……。あの人が言ったスライムの森の湖には、近づかない方がいいでしょうね……』

『うーん……どうかな』


 僕は腕を組んで首をかしげた。


『僕を騙す意図があるにしても、根も葉もない話じゃないんじゃないかって気もするんだけど……。湖に霧が出るなんて、他の人にちょっと聞き込みをしたらすぐ裏を取れる話だし』

『そ、それはそうですが……彼の目的は十中八九、ゼル君ですよ……?』


 そう言ってメルカは、僕の肩に乗っているゼルを指さした。


『き、きっと、昇級選定大会での情報が噂として出回っているんです……。二重種ともなれば、たとえFランクでも法外な値がつきます。お金目当てのならず者が寄ってくるには、十分です……』

『だとしたら……だからこそ、なんじゃないかな』


 首を傾げる二人に、僕は言う。


『ゼル狙いの悪党から逃げ隠れしてたらキリないよ。大手を振って表を歩くこともできない。だったら、ここできっちりと火の粉を払って、他の悪党が寄ってこないようにしないと』

『そ、それはそうかもだけど……。相手は格上のDランクですよ?』

『でも、縁結びの加護は僕の敗北の未来を見せなかった』


 僕は確信を持って言った。

 もし彼が、僕に絶対的な敗北を突きつけてくる相手だとしたなら、ウィステリアの時と同じように、その光景が見えたはずだ。

 しかし、見えなかった。


『Dランクならギリギリ相手できなくもないよ。むしろちょうどいい相手が来てくれてラッキーって感じなんじゃないかな』

『シオンって……いつもはほんわかしてるのに、たまに過激なこと言うよね』


 ノエルはため息をついて、


『わかった……。でも1日待ってよ。あのバイロンって人のことちょっと調べてみる。Dランクのモンスターを見せびらかしながら、本当はCランク以上のモンスターを隠してるかもしれないし』

『あ、確かに。それは考えてなかったや』

『全く……ほんと、心配させてくれるよね』

『……何で嬉しそうなんですか?』


 やれやれって感じで言いながら、なぜかにやついているノエルの顔を、メルカが怪訝そうに覗き込む。

 僕はリグルの緑色の鱗を撫でながら、


『僕たちなら、何とかなるさ』


 ――そして僕の視線の先に、うっすらと湖の水面が見えてくる。

 あそこが、最近霧が出るという湖……。


 もうちょっと奥まで行くと、『風誘いの小径』と呼ばれるエリアに出るってノエルは言っていた。

 いわゆるEランクエリア。

 これまでとは1段階違うモンスターたちがうようよしているエリアだ。


 確かノエルの話によると、毒を持つスライムであるヴェノムスライムや、葉っぱをまとって擬態する習性があるリーバウルフ、ツルで獲物を拘束するツルコロネなど、スライムの森とは段違いに厄介なモンスターたちが現れるという……。

 フォグリンを見つけたら、すぐにでも行ってみたいな。

 きっとそこにも、僕と縁のあるモンスターがいる。


 冷たい風が僕の頬を撫でた。

 静かな水面が、太陽の光をキラキラと反射している。

 結構広い湖だ。対岸がうっすらとしか見えない。

 一回りするのにどのくらいかかるかな……。昼頃には一周できそうな気がするけど。


 僕は湖岸に沿って歩き始める。

 今のところ、霧が出る様子はない。

 もっと早朝の方が良かったかな……。これでも、日の出とほぼ同時に街を出てきたんだけど。

 だけど件の霧がモンスターの能力によるものだとしたら、天候とは関係なく発生するはず……。




////////////////


 その時、横合いの茂みから紫色の液体が飛んできた。

 それは僕の右足に直撃し、じゅわーっという焼けるような音を立てる。

 遅れてその部分に、焼きごてを押し当てられたような激痛が走り、溶けたズボンの裏から爛れた自分の肌が――


////////////////




「リグル! 右だ!」


 僕の唐突な指示に、リグルは即座に答えてくれた。

 素早く僕の右側に仁王立ちになり、直後、予知で見た通り紫色の液体が茂みの中から飛んでくる。

 リグルはそれを正面から受け止めた。

 液体がへばりついたところから、煙が立ち上り始める。


 毒か? 酸か?

 どっちにしても、リグルなら大丈夫だ。


 リグルはへばりついた液体を手で払い落とすと、薬草が生えた翼を口元に持ってきて、そのうちの1枚をむしゃむしゃと食べる。

 それで、液体につけられた傷はみるみるうちに治っていった。


 ゼルとイースが遅れて臨戦態勢に入り、液体が飛んできた茂みの方を睨みつける。

 僕もまたそちらを見据えて、声を放った。


「バイロンさんですよね。出てきた方がいいですよ」


 イースのしっぽに灯る炎が、ぼうっと大きく燃え上がった。


「僕も、森林火災なんて起こしたくはないので」


 ややあって、がさりと音を立てて、昨日ギルドで会った無精髭の男性が木の陰から現れた。


「てめえ……どうして気づいた? 気配は完全に消してたはずだ……」


 不気味なものを見るように僕を見るその姿の後ろには、昨日と同じネクロナイト。

 そしてもう1匹――茂みの中から、ずるずると紫色の粘液の塊みたいなものが這い出てきた。


 それはスライムのようにも見えるけれど、そうじゃない。

 粘液状の体の表面には、嘆き苦しむ人の顔のようなものが浮かんだり消えたりを繰り返していて、見ているだけでぞわぞわとした恐怖が背筋を這い上ってくる。

 その周りには、うっすらと紫色の霧のようなものが出ていて、それに触れた草がじわじわと腐っていくのが見えた。


 あれがドロウグリムか……。

 ノエルが調べてくれた、バイロンさんのパーティーの1匹。

 スライムの姿をした怨霊である。

 ランクはEランク――だけど、今のように毒液を吐いたり、毒の瘴気を撒き散らしたり、とにかく厄介なスキルしか持っていない。


 テイマーが同時に使役できるモンスターは3匹。

 もう1匹いるはずだけど、パッと見は見当たらない。


「何が狙いですか?」


 バイロンさんの質問は無視して、僕は言った。

 彼は警戒の色を瞳に浮かべながら、ヘッと小馬鹿にするように笑う。


「決まってんだろ。その二重種だよ。そんなお宝をむき出しで連れ歩いてるお前さんが悪いんだぜ?」

「ゼルのことを誰に聞いたんですか?」

「答える意味があるかよ? 今から始末されるお前が」


 ゾワゾワという悪寒のようなものが背筋に走る。

 いや……気温が下がっているのか?

 僕はバイロンさんから目を離さないまま、周囲に意識を走らせた。

 それとほぼ同時、周囲の景色が青白く煙っていく。


「霧……!」


 だけど、自然のものじゃない。

 その証拠に、どこからともなく「クス、クス」と何かが笑うような音がする。

 きっとこれは3匹目だ……。

 ノエルが調べた中には入ってなかった、霧型のゴースト種モンスター!


「――Dランクモンスター、ウィスペル」


 得意げに語るバイロンさんの顔が、霧の向こうに消えていく……。


「Eランクに上がりたてのペーペーが、Dランクを2匹も連れてる俺に勝てると思うか?」


 バイロンさんの顔が完全に霧に消えてから、僕はかすかに笑った。

 霧で撹乱して、ネクロナイトに襲わせながら、ドロウグリムの毒液でじわじわと蝕んでいく――戦略はほぼわかった。

 だけど残念ながら、僕たちには通用しない。

 なぜなら……霧というのは、小さな水でできているからだ。


「ゼル……飲め」


 ゼルはそれに答えて、僕の肩の上に乗ったまま大きく口を開けて、霧を吸い込み始めた。

 スライムドラゴンであるゼルは、その体の中に大量の水を溜め込む能力を備えている。

 それでもってこの霧を吸い込んでしまえば、バイロンさんの戦略は破綻する。


 もしかすると霧の中に毒が混じっているかもしれないけれど、液状の肉体を持つゼルには普通の毒は効かない。

 仮に何かダメージを受けてしまったとしても、リグルの薬草で十分に解毒できるはずだ。

 そうとは知らずに攻撃を仕掛けてきたネクロナイトに、吸い込んだ水を使って破城水砲をお見舞いする……!


 その瞬間を見極めるため、僕は青白い霧の中で耳をそばだてた。

 すると……かすかに。

 バイロンさんの、ぐぐもった声が聞こえた。


「んおっ……! ぐぬっ……!」


 ……何だ?


「何かいっ……! うおっ……!」


 カチャカチャカチャと、何か軽いものが倒れる音がした。

 もしかして……ネクロナイトが倒れる音?

 僕たちは何もしてないのに?

 さっき、バイロンさんは何を言いかけてた?


 ――何か、いる?


 そういえば、それなりに長い間ゼルが霧を吸い続けているのに、一向に視界が良くなる気配がない。


 ズザザッ――と、何かが素早く草の上を這う音が四方から聞こえた。

 それとほぼ同時、僕は霧の向こうにその影をとらえる。


 ……ヘビ……?

 しかも、ただの蛇じゃない……。

 首が……首が2つに分かれてる蛇……!


 ノエルから、この森の先にある『風誘いの小径』のモンスターについて聞いていた時、こんな話もしていた覚えがある。


『風誘いの小道は厄介なモンスターが多いけど、その中でも特に厄介なのがいてね。たくさんの群れで行動する上に、霧を出す能力で視界を塞いで奇襲を仕掛けてくるの。

 フォグリンも含めて霧を出す能力を持ってるモンスターは何匹かいるけど、こいつは特に危険で……もし風誘いの小径で周りに霧が出てきたら、全速力で来た道を引き返せって言われてるくらいなんだよね』


 そうだ。

 彼女が言っていたモンスターの名前は――


 首が二股に別れた大蛇が、霧の向こうから僕の顔に向かって躍りかかってきた。


「――ミストオロチ!!」

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