対峙②

由紀の声はか細く、時折指先が震えている。

安藤はボイスレコーダーを机に置くと、口角を少し上げた。

「どうぞ、聞かせてください。千景さんと白峰先生のこと」

由紀はしばらく沈黙し、薄いコーヒーを口に含む。

それから、絞り出すように語り始めた。

「千景はね、ずっと自分を『作品の材料』だって言ってたんです。『彼の世界を広げるために生きる』って。最初はそれが愛だと思ってた。でも、違ったんですね」

由紀の目に、にじんだ涙が溢れる。

「湊さんは、千景が悲しんだり苦しんだりする様子を……観察してたのよ。泣き顔、怒る声、絶望する背中――全部、彼にとっては『素材』だった。千景は何度も『逃げたい』って言ってました」

そう言ってまた一口、コーヒーを飲んだ。

「でも、逃げる勇気がなかったんですね。彼女にはどこにも居場所がなかったの」

佑太は喉が詰まった感覚に陥った。

言葉にならない悲鳴が、内側から割れそうに響く。

「森本くんでしたっけ?」

由紀が弱々しく視線を向けた。

「あなたのようなファンが彼の物語を信じてくれてるって、千景が昔言ってたわ。『彼を信じる人がいる限り、私はここにいなきゃ』って……」

耳鳴りがした。

鼓膜を突き破るほどの高い音が、血の中を駆け巡る。

小さく震える佑太を無視して、安藤がさらに畳みかけた。

「つまり、千景さんは彼に殺される前から『死んでいた』ようなものだったと?」

「……ええ。あの人は、ずっと内側から壊され続けてた」

由紀の言葉は、止めを刺す刃のように鋭かった。

湊が描いた偶像は、もうどこにもいない。

そこにあったのは、他人を壊すことでしか生きられない男の姿。

由紀は泣きながら、震える手でカップを持ち上げる。

安藤は冷めた目で録音を止めると、淡々と礼を言った。

「いい記事になりそうだ」

安藤のその一言に、奏の中で何かが完全に崩壊した。

全身から力が抜け、目の前が白く霞む。

「おい、どうした?」

安藤の声が遠く響く。

佑太は立ち上がり、ふらつきながら店を飛び出した。

外はまだ雨が降っている。

舗道に映る街灯の光が歪んで揺れた。

頭の中で、湊の小説の言葉がごちゃ混ぜになって渦を巻く。

「救いがある」と信じたかった。

「理由がある」と思いたかった。

でも、そこにあったのは、ただの暴力。冷たく、無意味で、底なしの暗闇。

佑太は叫びたかったが、声は雨にかき消された。

それでも、歩き続けた。

全身が濡れ、靴の中で水が音を立てる。

真実を知るというのは、こういうことだったのか。

ただ、壊れていく音だけが部屋に響いていた。

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