世界でいちばんかわいくなる呪文、教えてあげる。
ソコニ
第1話「世界でいちばんかわいくなりたい」
「あんたなんか、"かわいい"って言っちゃいけない顔してる」
小学四年生の、あの日。クラスで一番かわいい子に言われた言葉が、今も私の心に突き刺さったままだ。
転校初日の朝、制服姿の自分を鏡に映しながら、蒼月ひよりは小さくため息をついた。黒髪のストレートヘアは寝癖でうねり、前髪は目にかかって暗い印象を作っている。顔を上げようとして、すぐにまた俯いた。
「私が私を嫌いなうちは、誰のことも好きになれない気がした」
誰に聞かせるでもない独り言が、空っぽの部屋に響く。
新しい学校。新しいクラス。でも、きっとまた同じことの繰り返しだ。目立たないように、誰とも深く関わらないように、ただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。
「おはよう、転校生さん」
教室に入ると、窓際の席から声をかけられた。振り返ると、そこには見たこともないような美しい茶髪の少女が立っていた。ウェーブのかかった髪が朝日に輝き、自信に満ちた笑顔が眩しい。
「あ、おはよう……ございます」
「ルカって呼んで。よろしくね、ひよりちゃん」
どうして私の名前を知っているんだろう。疑問に思いながらも、その場は曖昧に頷いた。
授業中、ずっとルカの横顔を盗み見ていた。完璧なメイク、整った眉、艶やかな唇。同じ中学生とは思えない大人びた雰囲気。きっと生まれつき美人なんだ。私とは住む世界が違う人。
昼休み、屋上への階段でひとり弁当を広げていると、またルカが現れた。
「一緒に食べてもいい?」
断る理由もなく、隣に座ることを許可した。しばらく無言で食事をしていると、ルカが突然口を開いた。
「呪文ひとつで、かわいくなれたらって思ったこと、あるよね?」
箸が止まった。心臓がドクンと大きく跳ねる。
「え?」
「魔法みたいに、パッと変身できたらいいのにって。鏡を見るたびに、そう思わない?」
図星だった。毎朝、毎晩、何百回も思っている。でも、そんなこと誰にも言えなかった。言ったところで笑われるだけだと分かっていたから。
「そんなの……ただの妄想じゃない」
「本当にそう思う?」
ルカの瞳が、まるで私の心の奥底まで見透かしているようで怖くなった。
放課後、帰ろうとしたところでルカに呼び止められた。
「ちょっと、見せたいものがあるの」
半ば強引に手を引かれ、旧校舎へと向かう。使われなくなって久しい建物は薄暗く、埃っぽい匂いがした。三階の突き当たり、物置として使われていたはずの部屋の前で立ち止まる。
「ここよ」
扉を開けると、そこは物置なんかじゃなかった。
壁一面が鏡張りになっていて、中央には大きなドレッサーが置かれている。棚にはキラキラと輝くコスメが並び、甘い香りが漂っていた。まるで別世界に迷い込んだような錯覚に陥る。
「ビューティ・ソーサリー部へようこそ」
「ビューティ……何?」
「美の魔法部、って訳せばいいかな。ここは、本気で変わりたいって願う子だけが入れる秘密の場所」
信じられない話だった。でも、目の前の光景は確かに現実で、ルカの表情は真剣そのものだった。
「どうして……私なの?」
「だって、ひよりちゃんの目を見れば分かるもの。『かわいくなりたい』って、心が叫んでるのが」
涙が溢れそうになった。誰にも言えなかった本音を、初対面の人にあっさりと見抜かれて。恥ずかしさと安堵が入り混じる。
「でも、私なんかが変われるわけない。だって——」
「『あんたなんか、"かわいい"って言っちゃいけない顔してる』でしょ?」
息が止まった。どうして、その言葉を。
「顔に書いてあるよ。同じ呪いにかかった子の顔は、すぐに分かる」
ルカが優しく微笑む。その笑顔があまりにも温かくて、堪えていた涙が頬を伝った。
「泣かないで。その呪いを解く方法を、私は知ってるから」
震える手で涙を拭う。鏡に映った自分の顔は、泣き腫らして余計に醜く見えた。
「私、変われる?」
「変われるよ。ううん、変わろう。一緒に」
ルカが差し出した手を、恐る恐る握り返した。温かくて、少し震えていた。
部屋の奥から、二人の少女が現れた。一人は金髪のツインテールで華やかな雰囲気、もう一人はショートカットでナチュラルな印象だ。
「部長の藤宮アリサです。よろしくね」
「副部長の水野ミオ。一緒にがんばろうね」
二人とも優しく微笑んでいる。でも、その笑顔の奥に、私と同じ痛みを抱えていたことが何となく分かった。
「今日は見学だけでいいよ。でも、もし本気で入部したいなら……」
アリサが鏡の前に立ち、深呼吸をした。
「グリッター・ソウル、心に星を灯す魔法」
その瞬間、アリサの全身がキラキラと輝き始めた。まるで内側から光が溢れ出しているよう。目を疑ったが、確かに彼女は輝いていた。
「これが、魔法」
呆然と見つめる私に、ミオが説明してくれた。
「最初は小さな変化から。でも続けていけば、きっと大きく変われる。私たちがそうだったように」
帰り道、ずっとさっきの光景が頭から離れなかった。魔法なんて、おとぎ話の中だけのものだと思っていた。でも、もし本当に——
「明日、また来てくれる?」
別れ際、ルカが聞いてきた。
「私……」
「無理にとは言わない。でも、今日のひよりちゃんの顔、さっきより少しだけ明るく見えるよ」
家に帰って鏡を見た。確かに、朝とは違う自分がそこにいた。まだ暗くて、自信なんてかけらもない顔。でも、瞳の奥に小さな光が宿っている気がした。
「かわいくなりたい」
声に出してみた。今まで心の奥底に押し込めていた願い。恥ずかしくて、誰にも言えなかった本当の気持ち。
「今日のわたしを、ちゃんと抱きしめてあげよう」
ルカが教えてくれた言葉を、鏡の中の自分に向かって呟いた。
明日、もう一度あの部屋に行こう。怖いけど、でも——
「かわいくなりたいは、弱さじゃなくて、強さだった」
そう思えたことが、小さな一歩だった。
携帯が震えた。見知らぬ番号からのメッセージ。
『世界でいちばんかわいくなる呪文、明日から教えてあげる。楽しみにしてて♡ —ルカ』
思わず笑みがこぼれた。明日が、少しだけ楽しみになった。
窓の外では、星が瞬いている。まるで、これから始まる物語を祝福してくれているみたいに。
「世界でいちばん、かわいくなりたい」
もう一度、今度ははっきりと声に出した。
それは呪いを解くための、最初の呪文だった。
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