第2話 契約

教室の時計の針が、午前11時を指していた。

黒板に書かれた「因数分解」の文字を、ユウはほとんど目で追っていなかった。

代わりに、頭の中に浮かび続けていたのは、数字だった。


──残り時間:43時間31分。


(……減ってる)


当たり前だ。時は流れている。

ただの時計と違うのは、ゼロになったら心臓が止まるということだ。


ユウは、左手で筆記用具を動かすふりをしながら、右手で机の下に書いた小さなメモを開いた。


◆魂の契約:発動中

・契約対象:天ヶ瀬ユウ/柊つかさ

・解除条件:互いの恋愛感情が“真に成立”すること

・残り時間:43時間31分(※減少中)

・補足:契約の存在・内容を誰かに話した場合、即死

・補足2:“相手の感情が変化”した場合、一時的に時間が延長される?


(“真に成立”って、どこからが成立なんだ……?)


キス? 手をつなぐ? 告白?

いや、それはただの行動に過ぎない。


(……感情を“成立”させる、ってことは、相手に心から“好き”だと思わせることなんじゃないか)


でも、それが一番、難しい。

まして柊つかさは、恋愛感情を“無駄”だとすら言った人間だ。


「……はぁ」


溜息をついた瞬間、隣の席から視線を感じた。


「……なに?」


つかさが、ノートをめくりながら目を向けてきた。


「いや、ちょっと疲れて」


「疲れるようなことしてないじゃん。……授業、聞いてないでしょ」


「まぁ、正直」


「……」


それきり、彼女は黙った。

でも、目はまだこちらを見ていた。

冷たいとも言えず、暖かいとも言えない視線。まるで何かを見透かそうとするような。


(……この目は、何かを感じてる? それとも、全く何も?)


自分だけが死のルールを知っている。

それが、これほど孤独だとは思わなかった。


──彼女は、今日も普通に生きている。

何も知らず、何も感じず。

一方、俺は今この瞬間にも命が削られていく。


ノートのメモの下に、ユウは小さな一文を書き足した。


> 「俺の命を懸けた恋は、相手にとってはただの雑音だ」


──静かに、命は減っていく。

恋愛という名の、一方通行のデスゲームが続いている。


---


放課後。

図書室。

ユウは誰もいない隅の机で、古い民俗学の資料をめくっていた。


> 「契約」「魂」「選定」「愛による解呪」……


似たような神話、都市伝説、ネット掲示板の記事。どれも曖昧で、実用性は皆無。

ただ、ひとつだけ、心に引っかかるフレーズを見つけた。


> 『魂の契約とは、“どちらか一方の真の恋”では成立せず、**両者の意思が同期した瞬間に成立する**とされる』


(つまり、俺がいくら必死になっても、彼女が“好き”になってくれない限り、俺たちは助からないってことか)


ユウは本を閉じた。


──43時間。

その間に、彼女の感情を、本気の恋に育てなければいけない。


無理だと思いたい。

でも、やるしかない。


> 「この契約を無効にする方法は、ただひとつ――“君を心から好きにならせる”こと」


ユウは席を立った。

ふと、入口で誰かと目が合う。


……柊つかさだった。


驚いて立ち止まった彼女は、一瞬だけ視線を揺らし、そっと口を開いた。


「……ここ、たまに来るんだ。静かだから」


「あ、うん、俺も。ちょっと調べ物で」


「……そう」


そう言って、彼女は小さくうなずいた。

そのまま行き過ぎるかと思ったが、なぜか足を止め、ほんの少しだけ言葉を継いだ。


「さっき……授業中、なんか……変な感じしたから」


「え?」


「顔、暗かった。なんか……苦しそうだった」


(……気づいてたのか)


ユウの中で、何かがふっとほどけたような気がした。


「いや、大丈夫。ちょっと寝不足でさ」


「……ふーん。……ならいいけど」


言葉とは裏腹に、その声はほんの少し、柔らかかった。


(……まだ、“無”じゃない。きっと、どこかに感情の芽はある)


その小さな確信だけを、ユウは胸にしまって、図書室をあとにした。


──残り時間:42時間47分。


(To be continued...)

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