えにしがらみ

「どこからお話ししましょうか」

 ちん、ちりん、ちらりや、ちらりやちらりやと鈴の音は絶え間なかった。

 その軽い音は黴臭い空気にとけこんで、べんがらさまが瞳を自身の裏側に向け、記憶の流れをさかのぼっていくのに合わせて、十重二十重に名残った。

「ぼくはもともと、この土地の名産のかけら、捨てられた陶片にやどったものでした――」


 わたしは両手の中の湯呑を見た。赤錆色の波模様の図柄が美しく描かれている。

「これのかけら?」

 そうです、と彼は急須を撫でながら首肯した。その右手はそのまま天井のほうへ掲げられた。

「こうなれ、斯く有れ、出来上がれ」

 こうなれ、かくあれ、できあがれ、と口笛とともに彼は歌った。

「そういう、願い未満のかけらたちが積みあがったもの」

 左手の指で、学童服からのびる剝き出しの膝を抱えるようにして、べんがらさまは首を傾けた。

「それがぼくでした」

 彼のまなざしがどんなだったかは、学帽から幾多も垂れ下がった古札の陰に隠れて見えなかった。

 

 「森の中の土山のひとつで、うまれたばかりの形のないぼくは、まだことばもありませんでした」

 天井から差し込む光が、その言葉とともに急に薄れて、部屋の中はいつのまにか暗くなっていた。提灯だけがぽっぽっといくつか灯っている。

 ホーウ、ホーウ、と梟の声が聞こえる。

 冷えて湿った風がどこかからひとすじ吹いてきた。寒さで無意識に動かした足元からカチャカチャッという音鳴りがした。わたしはそこに、割れた陶器の欠片が、無数に積み重なっているのを見た。

 「次こそはうまくいきますように」

 男か、女か、祈るようなつぶやきが重なって聞こえた。

 「そういう祈りが、数百年この場所にこごりつづけ、だんだんぼくは存在がはっきりしてきました」

 

 「ある日そこに、小さな社が建てられました。ほんとうにちいさなもので」

 わたしは、ふと、遠い記憶から、山の森の奥の小さな神社のことを思い出した。

 その神社の戸は開いていた。

 いつか、とは、ついさっきのはずだ。

 わたしはそこを入り口に、この場所へやってきたのだから。

 足元の陶片たちが、カチャカチャ、ガチャガチャと蠢き、さざめく。


「これが、ぼくの神としてのはじまりでした」

「依然として、形はまだありませんでしたが……」

 べんがらさまは一息ついて、茶をズッと一口飲んだ。湯気が冷気の中に立ちのぼって、一瞬ハテナ形に膨らんだ後、どこかへ流れていった。

 「その社の出来上がったあたりのころです」

 部屋の中は暗闇だった。べんがらさまはわずかな輪郭線に提灯の明かりを照らし返す、無数の札の垂れ下がった不気味な人影だった。

「この、鬱蒼とした場所を、たびたび訪れて、日暮れまで過ごして去っていくものがひとりいました」

 ああ、それが"彼"だったのだ、と私はべんがらさまが言葉にする前に、小さな学童服の背中を幻視した。

 彼は友人もおらず、親もなく、たよるもののないひとりぼっちだったのだ。


 「やさしい子でしたよ」と、べんがらさまは、わたしに向けたのと同じ、包みこむような目つきをした。

「きずついて、きずついて、弱い自分に苦しんで」

 おそらくそれはほそぼそとした独白だっただろう。森の暗闇の中に、抑えたような少年の声が吸い込まれていく。

「ぼくはずっときいていました」

 べんがらさまはそこにずっといたのだ。いまのわたしと同じように、ものもいわず黙って。

 「親戚に疎まれ、同級生に殴打されても、反撃もせずに、静かに」

 それが不憫で、かわいそうでならなかったのだろう。自我の境界を失ったわたしは、もはや彼の記憶、感情と一体になってそこに揺蕩っていた。

 

 そこには子供の背中があった。差し伸べた何かが、鈴を鳴らした。がらん、と大きな音で。

 ばっと振り向いた子供は鋭く「誰かいるのっ?」と叫んだ。

 静寂は一瞬だった。

 子供のもとに、「ここにいるよ」と、闇から声が返ってきた。

 周囲に音は無かったが、がらん、がらん、がらり――と反響は頭の中にくっついて、いつまでも鳴りやまなかった。


 「ずっとひとりだったの?」と、闇へ向かって、ぽつり、学童服の少年は言った。

 そうですね、と闇は返した。

 「ながいことひとりでした」

 応答を聞いてしばらくの間、少年は黙りこくっていた。

 「ひとりぼっちは、さびしいね」と、少年は心の一番奥のふたを、ゆっくりと開けた。

「ふたりでいると心が楽だね」

 少年の心の奥底と、森の暗闇が、ひとつにつながった瞬間だった。


 わたしの隣で昔話をするべんがらさまのくろぐろとした影が、次第に、長く伸びていく。

 「彼の話し相手をするのは心地が良かった」

 「小さなもの同士が寄り合って、こんなにささやかで楽しいことはなかった」

 呼吸で胸を上下させるように、僅かにふくらんだり、縮んだりを繰り返しながら、神は次第に形状を変えていった。

 次第に、異形へと。

「そしてすばらしいことに、純粋な彼はぼくの存在を疑わなかった」

 真っ黒く膨張しきった影に、しゃん、しゃん、しゃらしゃらしゃんという祝いの音が、蝉時雨のごとく降り注ぎ、あたり中の空気が輪を描くように共鳴した。

「信仰はぼくらを強く、大きくするのです」

 

 「彼の迷いない信心に支えられて、ぼくはひとりのころにくらべて、ずいぶんと神らしくなってきたのです」

 

 長く白い息をハーー……っと吐き出して、隣に座る黒い影は体中に巻き付けられた紙札を梢のように重くもたげ、さらさら、さらさらと絶え間なく左右に揺れた。

 ずいぶんながいこと一緒にいたんだなあと、わたしは古い大樹の下に座っているような気がした。


 

 「聞いてください、ぼくも力がついてきましたよ」と、遡られた記憶の中で、神は少年へ向かって呼びかけた。

 「君と話してきたおかげです」

 「強くなったんだね」と少年はあいかわらず小さな声でささやいた。「どのくらい?」

 「一人分の願いなら、叶えられるくらいです」

 「すごいね。ほんとの神様みたいだね」と、少年は妙に固く、平べったい語調で神を祝福した。

 木漏れ日が風に揺れ、ツウイー、ツウイーツクツク、蝉が鳴いていた。

 「ねェ神様、ぼくが願ったらきいてくれる?」

 「ええ、きみの願いならね」

 「なんでも?」

 「なんでもです、ぼくの仕事第一号です。なんでも言ってくださいな」

 ツウイーツクツク、ツウイーツクツク、ツウイーツクツク――

 絵馬になる前の木の板を一枚差し出して、神は上機嫌だった。

 人の子が無言で、一文字一文字、確かめるように、書き込んだのは以下の文だった。

 

  「████を殺してください」



 筆跡はあちこち滲んでいた。怨みをこめて幾度も突き刺したように、ひどく尖っていた。

 なるほどそれは彼をいじめていた筆頭の少年の名だった。


 神は驚いた。

 

 「あの子にそんなことを願うような心はないものと……。あの子が育てていたのが呪いだと、ぼくは気付けなかったのです」

 べんがらさまはそう語った。

 わたしは、覚えがあるからわかる気がした。反撃もしない、何も言わない彼が身の内にじっと溜め込んでいた、どす黒い、呪わしい感情について。


 「ぼくは人ではないから、人の心のことなどわからない」

 「何もね。」

 神はそう言って、戸惑うように微笑んだ。

 その表情を見ていると、わたしはいたたまれない気持ちになった。

 

 「そんな悲しい顔しなくてもいいよ」

 「話、きいてるよ」

 「ありがとう」

 ほろっとこぼれた涙のように、ちりりん、と、1回、鈴が震える音がした。

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