べんがらさま

呼びこまれ

 じゃらるか、じゃらっ、じゃらっ、じゃらーー


 ととんとんひゃら、ひいよろ、ひいーー 


 

 手を引かれた。

 

 「さあ、さあ、こちらへ、こちらへどうぞ」

 

「何にも怖いことはありませんから、安心して身を任せて居ればよいのです」

 

 夜の闇は藍青をどこまでも濃くしたように暗かった。

 

 あたりには鈴の音、太鼓の音、笛の音がちいちい、ひょろひょろ、たんたらたんと、雨あられのごとく響きまわっていた。

 ぬったりとした暗がりに屋台やぼんぼりの光が幾つも幾つも浮き上がって、ざわめきは高みにも低みにも轟くようだった。

 そんな神さびた祭りの喧騒の中で、じゃり、じゃりと砂っぽい石段をのぼるわたしの手を引くものの背中があった。

 わたしの意識はそこでふと目を覚ました。

 「あなたはだれ?」

 目の前にいたそれは、黒い学童服の肩越しに振り向いて、そっと、ごく柔らかな微笑をうかべた。

「あなたも、きっと知っているはずですよ」

 

 わたしは尋ねた。

「『べんがらさま』なの?」

 ああ、とそれは懐かしむように瞼を細くした。

「そんな名前もありましたね」


 そしてそれは再び石段の先を臨むように顔を戻し、すっと前方を指さした。

 「では、ぼくの社へまいりましょう」

 階段の上、両脇に数々の店がつらなるまっすぐな石道の果てに、明るく、巨大な、小山のような楼閣が聳えているのが見える。

 「さあ!」と、わたしとそれのふたりは、大小さまざまな影の混み合う道中、ぎゅうぎゅう押されながら、その合間を縫っていくように、小走りに進んでいった。


『オマツリへヨウコソ!』

『今夜だけは、呪も、祝も、皆んな交わってドンチャンさ』

『如何でしょうか、お茶でも一杯』

 ジャンカジャンカ、ワイワイ、ヒイヨラリ、楼閣のどこからも、唄う声、祝る声、宣る声、あるいは屠り、呪い、禍う声が聞こえてくる。

 わたしは、ここまでを歩いてくる間に、その声の内容がうっすらとわかる気がするようになっていた。アア、アアー、アアーアーというような、意味のない音の羅列の中に、深淵へ至る意図が聞こえそうになるたび、私の前をゆく『べんがらさま』は、ちょっと立ち止まって、一瞬だけ私の両耳を、両の手で覆うのだった。

 耳を覆われるたび、周囲の音は、水の中にもぐったようにこもり、たわみ、深くなった。

 気の遠くなるような静かなノイズのうちに、わたしは幾度も覆い隠された。

 

 『オヤッ、今年の迷い人かい』

 廊下をゆくわたしたちに、声をかけてきたものがあった。

 白くぼんやりとして、姿かたちは不明瞭だった。

 「ええ、まあ」と答えたべんがらさまは、そいつが差し出した何かを受け取って、廊下の角を曲がった。

『ハハア、あなたも、スキですねえ』

 それがわたしへの言葉だったのか、わたしを連れたべんがらさまへの言葉だったのか、わたしには推し量れなかった。


 障子戸に宴会の影が映る廊下をいくつも曲がった後、わたしたちは、とある、天井のはるかに高い八畳敷のスペースにたどり着いた。

 「僕の部屋はここなのです」と、べんがらさまは言った。


 そこは神秘的で薄暗かった。尾長鶏の意匠の丸く抜かれた天井から、黄橙の光が帯状に差し込んで、ほのかに明るかった。四方を囲む壁は棚だった。おびただしい数の、黒く塗られた顔の不明瞭な人形、人あるいは何かの形に折って象られ、綴りあわされた紙人形。

 コケシ、瓢箪、達磨に壺、重ねられた木箱、大小の刀、古い本、並べられた提灯、種々のかわいらしいころんとした土産物。それらが階段状に、棚沿いに四角く螺旋を描くようにうずたかく積まれ、竪穴の迷路のような様相を呈している。

 部屋の中にある数々のモノたちには、すべてに、同じ赤と黒の筆文字が書かれたボロボロの紙の札が貼られていた。


 見た目はモノだらけで賑やかなようである。それでも部屋中に漂うしんとした雰囲気は、紙札の洪水に遭ってあとに遺された瓦礫の山のように、すべてがおそらく、もう壊れていることを表していた。

 それらは皆微かに埃を乗せて、ものもいわず眠っているようだった。

 縦長の洞窟のように冷やりとした湿気のある、黴臭い和室の、奇妙な落ち着きの中に、わたしは自分の肌の輪郭がすこしずつ解けていくのを感じた。

 

 べんがらさまが持っていたのは一枚の座布団だった。手でもんで布綿をほぐすと、べんがらさまは膝を折って置くようにして尻の下に座布団を敷き、うんと斜め上に体を乗り出した。次の瞬間には座布団は彼を乗せたまま宙を飛び、天井近くまでその体を連れて行った。

 この不可思議な座布団乗りを、このときわたしは特に疑問にも思わず眺めていた。神なんだから、そのぐらいはするだろう。この部屋は縦にずっと長くて、上り下りがめんどうだから。


 べんがらさまは、天井のそばから、急須と湯呑、幾ばくかの霰菓子を乗せた盆を持って、垂直に下まで降りてきた。わたしは「ふしぎなとこだね」と、語彙無く感想を伝えた。

「そりゃあもう、趣味物ばかりで」と、彼は座ったまま煙管を指にはさみながら言った。「狭くて、じめじめしてますけど、良い所でしょう……?蝸舎ですが、ぼくは気に入っています」


「来客は久しぶりです」と、神は階段に積まれた雑貨の山をざっざっと分けて、二人分座れるスペースを作った。

「何せ普段やることがないですから、どうにも退屈してしまってね」

 神は急須に茶を注ぎながら言った。わたしは無意識の底に、婆が昔聞かせてくれたおそらく黄泉竈食いについての知識がうっすらとあったから、

 「これ飲んでいいの?連れてかれちゃったりしない?」と、不安をすなおにあらわした。

 神は、ははは、と声を上げて笑った。

 「正直ですね。たしかに怪しいか」神はだしぬけにわたしの頭を優しく撫でた。

「今のぼくにそんな力はありませんよ――なつかしい話です」笑い声は幾重にもころころ、ころころとあたりを転がった。

 「昔はできたの?」なんて、わたしはもうこの神について、警戒心のひとかけらも無くしていた。

 「そうですねえ、昔の話をしましょうか?」

 「本当に軽い与太話ですから、きいてくれるだけでいいのです。怖いならお茶もね、飲まないままでじゅうぶん大丈夫ですよ」

 ちりちり、ちりちり、と、どこかでガラスの擦れ合うような微細な鈴音がした。

 妙にわびしかった。


 「きくよ」とわたしは口に出していた。

 「ありがとう」

 「やさしい子ですね」と、べんがらさまは三日月形にした口元から独り言をこぼした。

 やさしいなんて言われたのはおそらくこの時が生まれて初めてだったはずだ。


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