第3話「七味初心者、はじめました」
昼休み、いつものように席で弁当を広げた俺の目の前に、それは突然置かれた。
「……え?」
小さな瓶。見慣れた、けど見たことない七味。
ラベルには「激辛 山椒入り 七味」と書かれている。
その横に、手書きで「初心者向け(当社比)」と添えられていた。
「これ、どうぞ」
何事もなかったかのように、七味さん――佐原さんが、自分の席に座る。
「え、これ……俺に?」
「うん。昨日、帰りに寄った専門店で見つけたんだ。田中くんでも食べられそうなやつ」
「そ、そんな……もらっていいんですか?」
「練習用。いわば、田中くんの“七味デビューセット”だね」
「その響き、なんか怖いんですけど」
七味さんは無表情のまま、水を一口飲んだ。
「使い方は自由だけど、まずは一振りから始めてね。調子に乗ってかけすぎると後悔するよ」
「ひとふりで後悔するようなモノをくれるの、やめてもらえます?」
でも、正直うれしかった。
それはまるで、七味さんが俺のことを“仲間”として認めてくれたみたいな気がして。
* * *
午後の業務が落ち着き、ふと彼女のデスクを見ると、パソコンの横にマイ七味が3本並んでいた。
「……いつのまに増えてるんですか、それ」
「気づいたらね。今日は気分でブレンドしてるの」
「そんな使い方あるんですか」
「七味って、奥が深いから」
完全にスパイスの世界に生きてる人だ、この人。
「田中くんも、使ってみたら感想教えて」
「じゃあ、今晩チャレンジしてみます」
「ふふ、じゃあ明日、報告ね」
それはまるで、好きな映画を布教する人みたいな目だった。
* * *
その日の夜。
コンビニの冷凍うどんに卵とネギを乗せて、簡易きつねうどんを作る。
テーブルの上には、七味さんからもらった“初心者用七味”。
恐る恐る、ひとふり。
……ふわっと、柚子の香り。
そのあとに、ほんのり鼻に抜ける山椒と唐辛子の刺激。
……あれ?
意外とうまい。
ちょっとピリッとするけど、それが逆に食欲を引き立てて、スープがいつもよりおいしく感じる。
「……これ、いいかも」
気がついたら、もうひとふりしていた。
翌朝。
「どうだった?」
出社するなり聞いてくる七味さん。
「うまかったです。正直ちょっとハマりそうです」
「それはよかった。田中くん、もう立派な“初段”だね」
「段位制なんですか?」
「もちろん。次は“中辛段”を目指してもらいます」
やっぱりこの人、ちょっとおかしい。でも、なんか……楽しい。
その日から、俺の“七味修行”が始まった。
そしてたぶん、七味さんとの距離も、ほんの少しずつ近づいている。
たとえば、心の中でだけど――
「今日も話せて、うれしいな」って思えるようになったから。
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