第2話「七味さんと行く、ちょっとスパイシーな夜」
「田中くん、居酒屋って好き?」
昼休み、レンジで温めたコンビニ弁当を広げた俺に向かって、隣の席の七味さん――佐原さんが、そう言った。
「え、まあ……普通に行きますけど。なんでですか?」
「行ってみたいお店があるんだけど、ひとりじゃ入りにくくて」
……これって、もしかしてお誘いってやつなのか?
「よかったら、一緒に行かない?」
そう言って七味さんは、マイ七味の小瓶をトントンと指先で叩いた。
やっぱり、七味か。
というか、七味ありきの居酒屋なのか?
とはいえ、七味さんに誘われて断る理由なんてひとつもない。
むしろ光栄すぎて胃の調子を整えておくべきレベルだ。
* * *
仕事終わり。待ち合わせは会社の前。
七味さんはスーツの上に薄手のコートを羽織っていた。髪をひとつにまとめていて、普段よりも少し大人っぽく見える。
「このお店、気になってたんだ」
着いたのは、和風の落ち着いた居酒屋。照明はやや暗めで、カウンター席と小さなテーブルがいくつか並んでいる。
メニューを見ると、出汁巻き玉子、焼き鳥、和風パスタ……どれも美味しそうだ。
「この出汁巻き、評判いいらしい」
「へえ、じゃあそれと……焼き鳥もいきます?」
「うん、七味かけやすそうだし」
「基準そこですか」
思わず笑うと、七味さんも小さく口元を緩めた。
注文を終えたあと、七味さんはカバンから例の小瓶を取り出した。
「……さすがに持ってくると思ってました」
「当然でしょ?」
マイ七味、健在。しかも今日は「香り高い柚子七味」とラベルに書かれている。
出汁巻き玉子が運ばれてきた瞬間、七味さんは真剣な表情でふりかけた。
その手つきは、もはや職人。
「……うん、合う」
ひとくち食べた彼女は、ほんのわずかに目を細めた。
昼休みのときと同じ、あの表情だ。
七味さんが笑うと、空気がちょっと和らぐ気がする。
すると、店員さんがやってきて言った。
「あの、お客様……持ち込みはご遠慮いただいておりまして」
あ、やば。
慌てて俺が口を挟む。
「あ、すみません!これは調味料というか、その、マイ七味でして……!彼女、というか、佐原さん、ちょっと七味にこだわりがある人で」
「そうそう、七味依存症なの」
「自分で言う!?」
店員さんは少し苦笑いして、「今回は大丈夫ですので」と言って去っていった。
ふぅ。あぶなかった。
「ごめんね、巻き込んじゃって」
「いえ、まあ……結果的に“彼女”って言ってしまった自分が一番焦りましたけど」
「ふふっ」
――笑った。
今度ははっきりと。音に乗せて。
「田中くんって、正直で面白いよね」
「それ、けっこう微妙な褒められ方ですよ……?」
「でも、そういうとこ嫌いじゃない」
……え、それって。
そう言って、七味さんはまた玉子を一口食べた。
その顔には、いつものクールさと、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。
店を出た帰り道、夜風が少し冷たくて、七味さんはマフラーの端を引き上げた。
「ありがとうね、付き合ってくれて」
「いえ、むしろ誘ってもらえて嬉しかったです」
「また、行きたい店があるんだ。辛味が強いから、田中くんにはきついかもしれないけど」
「じゃあ、鍛えておきます。七味耐性」
「……ふふ、七味仲間として、期待してる」
前を歩く七味さんの横顔が、街灯の明かりに照らされて、少しだけ赤く見えた気がした。
あれは、寒さのせいか、それとも――
その答えは、まだわからない。
でも、俺はきっとまた、彼女とご飯を食べたくなるんだと思う。
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