第23話:ヒオウ・ダガート・トス・ヴィフレスト(お題23日目:探偵)

 ヨギュラクシア城はフィムブルヴェート東方に建てられた古い城塞である。『霧』に近いことで主がいなくなって久しいが、すり鉢状の盆地に岩を積み、高い台地を造り上げた上に城を建て、周囲に水を張ったことで、攻めるに難く守るに易い立地にしたのだ。

 だが今、その構造が仇となり、ヨギュラクシアは最大の危機を迎えている。

 盆地を取り囲むように配置されたヴィフレスト正規軍が、夜な夜な土を運んで堀を埋めようとしている。水が失くなれば城を守る要素は何も無い。

「申し訳無い」

 かつて城主の執務室として使われた執務室で、緋色の髪をした背の高い青年は、ソファに腰かける金髪碧眼の女性に頭を下げた。

「貴女を守りきれずに、兄の手勢に上手を取られてしまった」

 紫の瞳を痛恨に細めて拳を握り締める、整った顔立ちの青年に、こちらも人形のように美しい女性が、ゆるゆると首を横に降って応える。

「いいえ。迷惑をかけたのはわたくしの方です。余計な荷物になってしまって、本当に申し訳ございません、ヒオウ王子」

「エリア殿」

 青年――ヴィフレスト王弟ヒオウは、先代防人盟主の一人娘の名を呼んだ。

「南方砂漠でマルクスに敗れた我々を受け入れてくださったのに、恩を仇で返してしまいました」

「貴女のせいではない、私の力不足に過ぎない」

 先だって、防人の領域である南方砂漠で、大規模な反乱があった。先代盟主を排除してその座についた男が、地位を確たるものにしようと、エリアを狙ったのだ。心ある防人達はエリアを守ろうと戦った。だが、マルクスは多くの防人の家族を人質に取ると、戦力に引き込んで、エリア達を圧倒した。

 正義は簡単にひっくり返る。エリア達は反逆者として敗走を余儀無くされた。そこで逃げ込んだのが、故国で居場所を失くしたという同じような立場のヒオウのいるヨギュラクシアだったのだ。

 ヴィフレストとマルクスからしたら、生きていると求心力がある邪魔者二人を消すには、うってつけの機会となった訳だ。

 今、ヨギュラクシアの周りには、ヴィフレスト軍に加えて、マルクス自ら防人を率いてやってきている。ヒオウとエリアがどれだけ厄介な人物か、よくわかっている。

 それが証拠に、ヴィフレスト軍の軍師は矢文を使って、

『ヒオウ王子が一人で投降すること。そうすればヨギュラクシアにいる全ての者の命を保証しよう』

 と送りつけてきたのである。

「私一人の命で皆を救えるなら、軽いものだ。私は日暮れと共に城を出る」

 ヒオウのその宣言に、エリアが目を真ん丸くしただけではなく、執務室にいる二人の部下達も動揺した。

「いけません、ヒオウ様!」

「今のヴィフレストが、そんな約束を守るなど、絶対にありえません!」

「ニーザ、マイケル」

 ヒオウは眉を垂れて、己の直属騎士達を見やる。

「しかし、従わねばヨギュラクシアの者全てが、血の海に沈む朝しかやって来ない」

「貴方の騎士殿方のおっしゃる通りです、ヒオウ王子」

 エリアも鋭く目を細めて、王弟をたしなめる。

「わたくし達防人は、数百年前のウリエルの暴走を、リヴァティ王に止めていただいた恩があります。その子孫である貴方と共に、最後まで戦う覚悟はできております」

 先代盟主の娘の言葉に、彼女の背後に影のように付き添っていた、前髪の長い防人の青年が、静かに頷いて同意を示した。

「しかし……」

 ヒオウは逡巡して唇を噛む。そこに。


「いやー! さすが鬼王とは正反対の良識に満ちた王弟様と噂のヒオウ王子! でも、ちょっと待って欲しいな!」


 拍手連打と共に、サスペンダーでハーフパンツを留めてジャケットを羽織った、小柄な眼鏡の少年が入ってきた。

「な、なんだこの子供は!?」

「どうやって入ってきた!?」

 ニーザとマイケルが若干慌てながら抜剣しようとする。それを制して、ヒオウが冷静に声をかけた。

「君は?」

「おれっち? おれっちはハルトゥーン! 各地を渡って難事件を解決してきた名探偵! になる予定の男さ!」

 ハルトゥーンと名乗った少年は自らを大袈裟に指差し、白い歯を光らせてみせる。

「なんだこいつ……」

 ニーザが呆れて頭を抱えた。だが、ヒオウは対等な立場の一人として、ハルトゥーンに問いかける。

「あれだけの包囲網をかいくぐって城内を進み、ここまで辿り着くとは。手練れの刺客か、あるいは、相当切れる者の使者かの、どちらかだな」

「さっすが文武両道のヒオウ王子! ウィルソンお師様の見立て通りだな!」

 ハルトゥーンがサムズアップしてさらなる笑顔を輝かせた。ウィルソンの名に、誰もが反応してざわめく。

「『虹王国稀代の軍師』が?」

「ガルフォードが、動いたのか」

 エリアとヒオウが問いかけると、ハルトゥーンは得意気に胸を反らし、「お師様からのお言葉だぜ」と朗々と声を張った。

「『鬼』は『竜』の牙が噛み砕く。銀の竜兵ドラグーンが旗を振ったら、全軍討って出るべし」

 どよめきはさらに大きくなった。

「竜だって?」

「こんな子供の言うことを信じられるのか?」

「それこそヴィフレストかマルクスが、我々をはめようとしているのでは?」

「あー、人を見た目で判断するのは凡人の証拠って、お師様はよく言ってる」

 大人達に怖じ気づかず、ハルトゥーンはチッチ、と人差し指を振る。

「わかった。ハルトゥーン、君の言葉を信じよう」

 浮き足立つ者達の心の泉に一石を投じたのは、ヒオウだった。少年に向けて神妙に頷いてみせる。

「ヒオウ殿」

「どうせ後は無いのだ。ガルフォードを名乗る者が言うなら、その策に乗ってみても良いだろう」

 不安げに胸に手を当てるエリアを振り返り、ヒオウは不敵に笑ってみせる。

「ヒオウ様がご覚悟を決められたのなら、我々騎士は従うのみです」

 ニーザとマイケルが敬礼し、エリアの背後の防人も静かに首肯する。ヒオウは満足げに頷き返し、そして。

(それに、銀の竜兵)

 口許に手を当てて、誰にも知られていない秘めたる想いを、脳裏に描いた。

(……君なのか?)

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