第3話 ホームレスってスマホ持ってる?
「もう忘れたんですか!? 川崎陽介ですよぉ!」
陽介は情けない顔で泣きわめくように反論する。確かに悪いとは思うが、何も泣かなくたって。
「だ、だって! あんまりスッキリした顔してるし、それに、何か雰囲気が」
モニョモニョと言葉を濁すと、陽介は私の顔を覗き込み不思議そうな顔をする。
「か、顔洗ってきます!」
「えぇー……」
なんだか急に恥ずかしくなって、私は逃げるように洗面所に駆け込んだ。
昨日までモサモサの不審者だったのに、朝になったら急にイケメンに変身しているなんて、なんかのドラマのキャラじゃないんだから。
冷水で顔を洗い寝ぼけた頭をさっぱりさせても、未だにあの変貌ぶりは理解できない。
イケメンが嫌と言う訳ではないけれど、何か落ち着かないと言うか緊張してしまうのが、自分でもどうしようもない。
はぁ……汚いのは嫌だけど、モサモサで目元が隠れた夕べの姿に戻ってくれないものか。
「あ、奈美子さん、食欲はあります?」
「え、えぇ。んー、なんかいい匂い……卵焼きですか?」
とぼとぼと洗面所を出ると、陽介が嬉しそうな笑顔で声をかける。そして、ふんわりと漂う香ばしい卵焼きの匂いに二日酔いもすっかりどこかへ行き、思わず腹の虫が鳴き始めた。
「はい! 軽く作ってみたので、よかったら食べてください」
「うっ……」
キラキラと眩しい笑顔を向けられ、私は朝日に怯える吸血鬼みたいに顔を背けた。
テーブルの前に並べられたのは、おにぎりと味噌汁、そして綺麗に巻かれた厚焼き卵。
私はゴクリと唾を飲み、ほわっと湯気を立てるお味噌汁を手に取る。
「お、おいしい」
一口啜ると、それは二日酔いの胃に優しく染み渡り、一気に食欲に火がついた。
ぱくぱくと厚焼き卵やおにぎりを口に放り込んでいると、向かいからクスクスと笑い声が聞こえる。
おにぎりにかぶりつきながら笑いの主を見上げると、陽介は顔を背けて小刻みに体を震わせていた。
「ふっ、ふふ……奈美子さんって、すごく美味しそうに食べますよね」
腕で口元を覆いながら笑う陽介は、チラチラとこっちを見て笑顔で話す。私は思わず顔が熱くなって、慌てて口の中のモノを飲み込んだ。
「だ、だって、本当に美味しいし」
そう言葉にすると、なぜか陽介の顔も真っ赤になった。
「……ありがとう、ございます」
陽介はボソッと呟くと黙ってしまい、沈黙が気まずくなった私は昨日の事を話題に出した。
「そ、そう言えば! 昨日の事覚えてます? 結構飲みすぎちゃって、私あんまり覚えてないんですよねぇ」
「えぇ!? それも忘れちゃってるんですか!?」
「うぅ、すみません」
自分から振った話題なのに、どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。また恥ずかしくなった私は、俯いて出来る限り小さくなる。
陽介は呆れたようにため息をつくと、「ゴホン」と咳払いして昨日の出来事を事細かに説明し始めた。
「まずですねぇ、ビールで乾杯をした後、奈美子さんはピーマンの肉詰めを美味い美味いって食べてくれて。そっから次々にビールや酎ハイを空けていました。それはもう見ていて気持ちがいいくらい! そしてだいたいのおかずを食べ終わると、最後は手作りの浅漬けと、スルメをつまみながら、お仕事の愚痴なんかを話してくれましたよ? 怖い師長さんの話とか、不真面目な後輩の話やら……あ、それに、もうベロベロなのに日本酒を開けようとしてたので、それだけはなんとか阻止しました!」
「いやぁー! もうやめてぇ!」
陽介の詳細な説明に耐えられず、私はついに耳を塞いでしまった。
「えぇー? とても可愛くて、面白かったんですけどねぇ」
「か、可愛くないですから! 変なこと言わないでください!」
頬がカッと赤くなるようで、つい八つ当たりのように大声が出た。
すると陽介は「はーい」返事をし、と叱られた子供のようにしょんぼりとしてしまった。
朝食を終え、カチャカチャと洗い物をする陽介。
私はそれをソファーからぼんやり眺めていた。どうしてこんなに生活力があるのに、行き倒れのようになっていたのか、本当に不思議だ。
「川崎さんって、家事好きなんですか?」
「そうですねぇ。俺、おばあちゃん子で、昔からよく一緒に料理とか手伝ってたんですよ。そのお陰で、一人暮らしの時もあまり困りませんでしたねー」
何気なく尋ねると、陽介は洗い物をしながら返事をする。
「いいお祖母さんですね。ご両親は、共働きだったんですか?」
何気なく尋ねると、陽介は洗い物の手をピタリと止めた。
「俺、両親いないんです。5歳の時に、事故で死んじゃって」
「そうなんですか……すみません、無神経でしたね」
「あ、謝らないでくださいっ! 俺、もう23ですよ? さすがにもう気にしてませんって」
陽介は慌てたようにこっちに目線を移し、困った顔で笑っていた。
ある日、突然家族を失うこと。その気持ちは、私にもよくわかる。
いくら時が経とうと、気にならないはずはないだろう。きっと、私を困らせないために笑っているんだ。
返す言葉が見つからずにいると、陽介は焦ったように話を切り出す。
「そ、そうだ! 俺、このあとハロワ行ってきますね。早く仕事探さなきゃだし」
「は、はい……あ、川崎さんって、スマホはあるんですか? 仕事を探すにしても、必要なんじゃ……」
話の途中、陽介はゴソゴソとポケットを探り、真っ暗な画面のスマホを印籠のように見せつけて笑う。
「えへっ、当然料金未払いで使えません!」
私はガックリと肩を落とした。うん、まあそうだろうな。
「……私、払いますよ」
「え?……いやいや、さすがにそんなことまで世話になれませんよ!」
陽介は驚いた表情で、両手を振って断った。
「仕事探すにしても、絶対無いと不便ですよ。それに、あなたなら必ず返してくれるって思いますから」
「奈美子さん……」
「散歩がてら、私も付き合います。着替えてきますね」
ソファーから立ち上がると、「ありがとう」と小さく聞こえた気がした。
どうして自分でもここまで世話を焼くのかわからないけど。もしかしたら、彼の境遇に勝手に親近感を覚えて、絆されてしまったのかもしれない。
その後、私たちは近所の携帯ショップに行った。無事支払いを済ませた陽介は、久しぶりのスマホを嬉しそうにいじっている。
「とりあえず、これで仕事も探せますね」
「はい! でも、本当に迷惑かけてすみません」
陽介は立ち止まり、人目もはばからず深く頭を下げる。
「ちょっと、みんな見てますよ! それに、迷惑なんて今さらですから」
「うぅ……返す言葉がありませぇん」
顔をあげた陽介の表情が情けなくて、私は思わず吹き出すように笑ってしまった。
その後、陽介は近所のハローワークに行くため、彼とは途中で別れた。
秋の暖かい日差しと乾いた空気が心地よく、何となくいい気分だったので、しばらく散歩がてらに近所の商店街をうろつく。
ちょうどお昼時で、商店街は平日ながら人が多く賑わっていた。
「うーん……朝ごはん結構しっかり食べたし、さすがにお腹は空かないなぁ」
色んなお惣菜屋さんを眺めながら歩くも、お腹が満たされているせいか今は購買意欲は湧いてこない。
独り言を呟き歩いていると、ふと小さなケーキ屋さんが目についた。
「あれ、こんな店あったっけ」
立ち止まり中のショーケースを眺めていると、まるで吸い寄せられるようにいつの間にか店内に入っていた。
「いらっしゃいませ」
笑顔の店員さんに迎えられ、私はぎこちなく笑い返す。
「お決まりでしたら、お声かけください」
「あ、はい」
どっちかと言うと甘いものはそんなに食べないので、ケーキ屋さんには数えるほどしか行ったことがない。
(勢いで入ったものの、何が美味しいだろうな……普段ラーメン屋ばっか行ってるから、こういうの迷うんだよねぇ)
「……こちらの季節のフルーツタルトなんてオススメですよ。ブドウやイチヂクが入っていて、結構人気なんです!」
あんまりうんうん悩んでいたからか、店員さんは笑顔を崩さないままオススメを教えてくれた。
「へぇ〜、じゃあそれを2つ、お願いします」
「ありがとうございます」
店を出て、私はなぜか満足げに鼻息を荒くした。
「ふふん……川崎さん、喜ぶかな」
小さなケーキの入れ物を手に、崩さないように慎重に家路を辿る。
昨日出会ったばかりの人、しかもホームレスのような男性にケーキを買って帰るなんて、たぶん相当に変だ。
けれど不思議と、私の心は浮き足立っていた。
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