第2話 ホームレスの素顔はイケメン!?

「うーーん……え、暗っ」

 いったい何時間寝ていたのか、部屋の中は完全に真っ暗だった。

 寝過ぎて固まった体の痛みを感じながら、私はソファーから足を下ろした。すると、大きな何かが足元に当たる。


「わっ、何?」

 足に当たった物体に顔を近づけよく見ると、どうやら人間が床に寝転がっているようだ。

 薄暗い中、見覚えのあるグレーのスウェットが見え、私はようやくこれまでの状況を思い出した。

 

「はぁ、そうだった……」

 思い出したらまた頭が痛くなって、思わず頭を抱えてしまった。

 こんなよくわからない人と同居なんて……流れで了承してしまったけれど、正直不安しかない。

 チラッと陽介の方を見ると、こりこりと歯軋りをしながら、硬い床の上で呑気に眠っている。


「ほんと、どこでも寝られるのね」

 私は陽介を踏まないように起きて電気をつける。

 部屋が明るくなると、陽介は眩しそうに目を擦りながらムクッと体を起こした。

「うー……おはようございます、奈美子さん」

 にへっと子供のように笑う男に、私は思わず顔を背けた。

「お、おはようございます」


「ふふ、面白い寝癖ですねぇ」

 陽介はじっとこちらを見つめ、私の寝癖を観察する。

 私は咄嗟に左右にはねた髪を両手で押さえる。

「ほっといて! あ、あなただって、ヨダレ垂れてるじゃないですか!」

「すみません! でも、褒めてるんですよ? キレイな左右対称だったし」

 謝ってはいるけれど、陽介は半笑いで、それがまた少しイラついた。

 ムッとして睨んでいたら、ついその薄汚れた服に目が行ってしまう。


「……それにしても、服汚いですね」

「はい! もういつから着てるか忘れちゃいました!」

 元気に明るく答える陽介に、私はがっくりと肩を落としてしまう。

 ちらっと時計を見ると、時刻は19時20分。まだ近くのショッピングモールなら開いている時間だ。

 

「そのままでいられるのも迷惑なんで、買い物行きましょうか」

 面倒くさそうに言うと、陽介はパァと嬉しそうな表情をする。

「それ、お願いしようと思っていたんです! シャワーの後にまた汚れたパンツを穿くのは、なかなか勇気が要りましたからね。あ、もちろん着れれば何でも、一番安いのでいいですから」

「うっ!!」

 つい想像してしまって、何かが込み上げてきそうになるのをグッと堪えた。


「はぁ、ちょうど食材も無いし、行きましょうか。あ、少し離れて歩いてくださいよ」

「ありがとうございます! ちょっと酷いけど……あ、荷物持ちはまかせてください!」

 陽介はヒョロっとした腕で、一生懸命に力こぶを作ろうとふんふん頑張っている。

「あの、頑張ってるとこ申し訳ないですが、さっきまで行き倒れていた人より、私の方が力ありますから」

 冷たく言い返すと、陽介はシュンと肩を落としてホロリと涙を流していた。


 寝癖を誤魔化すための帽子と、適当な上着を羽織り、私たちは徒歩10分程の距離にある大型ショッピングモールに行くことにした。

 幸いこの時間、衣料品の店舗にはあまり客が入っておらず、目立つことは無さそうだ。


「これなんてどうですか?」

 私は適当に目についたパーカーを陽介に当てがった。

 何か胸元に大きなキャラがプリントされているが、まぁ気にならないだろう。

 

「あのー、本気ですか? 何でもいいとは言いましたけど」

「え? ダメでしたか? じゃあ、これは……」

 さすがに真っ赤のパーカーは恥ずかしいか。そう思って色違いを手に取ると、陽介は慌てて別の服を持ってくる。

 

「あ、あー、俺、これが良いです!」

「……今着てるのと同じじゃないですか」

「す、好きなんですよ、この色」

「ふーん、まあいいですけど。さっさと買っちゃいましょ」

 陽介はなぜかホッとしたようにため息を吐いていた。


 一通り必要なものを購入し、陽介は試着室で着替えを済ませた。

「キレイな服って気持ちが良いですね! パンツもガビガビしてないしー」

 陽介はさっきと同じ色のスウェット上下に身を包み、まるで初めてスーツを着た就活生みたいに鏡の前で自分の姿を眺めていた。

「汚さは無くなったけど、全然変わんないですね……あ、汚れた服ちゃんと入れました? 忘れたらお店の人に迷惑が」

「はい! この通り!」

 陽介は紙袋をガサッと掲げてにっこり笑った。その瞬間、ふわっと鼻を突く臭いが漂ってきて、思わず鼻を摘まんでしまった。


「ふ、服もキレイになったことだし、食材買いに行きましょうか」

「はい! あ、俺料理は得意なんですよ。お礼に何かご馳走せてください!」

「へぇー、それはありがたいですね。私、自炊が苦手で」

「節約料理には自信がありますから、まかせてください!」

 陽介はドンと胸を叩き、意気込んでいる。

 楽しそうな様子に、なぜか私も少しだけ嬉しくなった。


 普段は押さないカートを押して、誰かと買い物をするなんて、子供の頃に母と買い物に行った以来かもしれない。

 ふと隣の陽介を見ると、ピーマンを真剣に選びながら袋に詰めていた。

「……ピーマン、嫌いなんですけど」

「えぇ!? 子供みたいですね……けど、ダメです。栄養があるので食べてください」

 母親みたいな言いぐさに、私もつい子供みたいにムスっとしてしまう。

「ふふ、大丈夫ですよ。俺、ピーマンの肉詰め得意なんです」

 優しく微笑む顔を見たら、なんだか胸がきゅっとなったような気がした。


 その後、無事数日分の食材を買った私たちは、すっかり真っ暗になった夜道を歩き、アパートに帰ってきた。


「ふぅ、少し買いすぎましたね。あなたも、荷物持ちありがとうございました」

 玄関に靴を脱ぎ捨て、ドシっと重たい袋を下ろす。

「いえっ、ゼェ……、これくらいなんとも……、ゼェ……!!」

 半分ずつ持っていたのだが、陽介はすっかりバテてしまい四つん這いで息切れしていた。

 カップ麺を食べたとはいえ、しばらく何も食べていない体に、荷物持ちは堪えたみたいだ。


「病み上がりですし、無理しなくていいんですよ? そうだ、川崎さんビール飲めます?」

「ビール!? はい、大好きです!」

「ふふん、いい返事ですね。じゃあ、後で飲みましょ。私もその方が飲みやすいし」

「あ、ありがとうございますぅ」

 ニヤッと笑うと、陽介は手を合わせて拝んでいた。たかがビールにそこまで喜ばれて悪い気はしないけど、大袈裟な人だなと少し呆れてしまった。


 その後、陽介は買ってきた食材の幾つかをキッチンに並べると、手際よく料理をし始めた。

 誰かに料理をして貰うなんて、実家のとき以来だな。しばらく家に帰れていないのもあり、つい母の姿を重ねて懐かしい気持ちになった。


「あの、座ってて貰っていいですよ。その、じっくり観察されると、恥ずかしいので……」

 あんまり手際がいいものだから、ついカウンター越しにじっくり見入ってしまっていた。

「へへ、すみません。あんまりテキパキしてたから、つい」

 そういうと、陽介は恥ずかしそうに顔を伏せていた。


 迷惑になるのも悪いので、私はおとなしくソファーに座った。

 待っている間、軽快な包丁の音や油の弾ける音、それに食欲をそそるような香ばしい匂いが漂ってくる。気を逸らすようにテレビを見ていたけれど、私の腹の虫は待ちきれず大合唱を始めていた。

 それから30分くらい経った頃、陽介は大皿に乗せた料理を次々とテーブルに置いていった。


「あまり凝ったものじゃないですけど」

「これで!? めちゃくちゃ凄いですよ! それにとっても美味しそー」

 肉と野菜がバランスよく摂れそうな家庭料理。苦手なピーマンを使った肉詰めも、お肉たっぷりでとても美味しそうに見えた。

 

「そうだ! ビールビール!」

 私は慌てて冷蔵庫に走る。

 ご機嫌で戻ると、なぜか陽介が顔を腕で隠すようにして笑っていた。

「なに笑ってんですか?」

「ふふ……すみませんっ……あんまり嬉しそうに走ってくから……犬みたいで、ふふふ」

 堪えきれないように笑われ、恥ずかしさで思わず顔が熱くなった。

「も、もう! そんなこと言ってると、ビールあげませんよ」

「すみません嘘です、もう二度と笑いませんっ」

 あまりにキレイな平謝り。よほどビールが好きなんだな。

 それを見て、気付けば私も吹き出してしまっていた。

 

「「お疲れさまです」」

 缶ビールを突き合わせ、私たちは一気にビールを飲み干した。

「ぷはぁー……最っ高!! こんなにうまいビール、初めてかも……うぅ、グスっ」

 陽介は口元を腕で拭い、感嘆の息を吐く。そしてどうやら感激のあまり泣き始めたようだ。


「ふぅ……まったく、また泣いてるんですか!! 男の子なら、シャキッとしなさい!!」

 私も妙に気分が高揚して、思わず彼の背中をバシッと叩いた。

「ふぁいっ、でも俺、嬉くってー。うぅ……」

「こんなに、モグッ、美味しい料理作れるんだから……モグッ、泣くことなんてないんです!!」

 バクバクと料理を頬張りながら喋ると、陽介はようやく泣き止んだみたいで晴れやかな笑顔を向けた。

「美味しいですか!? 俺、貰えて嬉しいです! これからも、毎日作りますからね!」

「うむ。いい心がけです。あと、ピーマンと椎茸は控えめにするがよい」

 ふんぞり返って言うと、「ダメです」とあっさり返事が返ってきた。


 それから私たちはお互い気分よくありったけのお酒を飲んだ。

 彼の料理も美味しくて、ついつい普段より酒も進んでしまったみたい。テーブルには空き缶がキレイに積み上げられ、私はいつの間にかまた眠ってしまっていた。

 

〈カチャカチャ……〉


 洗い物の音で目を開けると、ベランダから差し込む朝日が目に染みる。

 二日酔いの頭を抱えながら体を起こすと、誰かの声が聞こえた。


「あ、奈美子さん、おはようございます」

 モサッとした前髪をピンで止め、スッキリとした顔の男は、カウンター越しに顔を覗かせて機嫌よく挨拶をする。


「いやぁ昨日は楽しかったですねぇ。あんなに飲んだのいつぶりかなぁ……あ、奈美子さん、二日酔い大丈夫ですか? お味噌汁作ったんで、よかったら飲んでくださいね」

 上機嫌で喋る男の顔を、改めてじっくりと見てみる。

 目鼻立ちは整って、優しげな大きな瞳、そして髭もなくツルリとしたお肌。


「いや、誰?」

「えぇぇぇー……」


 男は間抜けな声を出し、洗っていた器をボチャンと水の中に落とした。


 

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