第3話 片割れを見つける(Day3、鏡)


大学の構内から出ようとして、ガシャン、と何かが割れる大きな音がした。

何だろうと思い、その音の方に行ってみる。

それは廊下の奥で、行き止まりの壁に、楕円の大きな姿見があった。


「あれ、割れてない?鏡が割れたんじゃないのか……」


ここから聞こえた気がしたけど。

ふと顔を上げ、固まった。僕の背後に、鏡があり、対面している楕円の鏡と合わせ鏡になっている。僕の背後の鏡は、誰かが持っているみたいだ。


「誰!?何を、」


振り向こうとして、楕円の鏡の中を見てしまった。何番目かの僕の隣に、薄青のワンピース姿の女の人がいる。長すぎる黒髪で覆われ、顔は見えなかった。

彼女は滑るように、僕の方へやってくる。

動けなかった。

鏡面が波打ち、中から真っ白な手が飛び出して来て、首を掴まれる。

声も出せないまま、僕は鏡の中に引き込まれた。


気付くと、真っ暗なところにいた。

僕一人。

首の痛みと息苦しさで、少し咳が出る。


「ここ、どこだろう」


状況から考えて、鏡の中、なんだろうか。

周りには、何もない。とりあえず歩いてみてるけど、何か現れそうにもない。

さっきの女の人がまた出ても、嫌なんだけれども。

そう考えてしまったせいか、進行方向から誰かがやって来る。青白く発光していて、直ぐ分かった。あの女の人。

だらりと俯いていたが、不意に頭を上げた。相変わらず、髪が長過ぎて顔は見えない。

背筋がゾクリとする。僕は、考えるより早く踵を返し、駆け出す。

肩越しに振り向くと、女の人が滑るように追って来るのが見えた。前に向き直りスピードを速めても、隠れる場所も、逃げ込める先も見つからない。真っ暗な空間をひたすら走った。

段々、足がもつれて来て、身体が前に進まなくなってくる。疲れた。

諦めようかと思った時、前方に淡い光が見えた。


「あれ……家の洗面所?」


その光の向こうに、ぼんやりとしてるけど、見慣れた光景が広がっていた。

誰かが立っている。青い髪の人。叔父さんだ。

近付くと、光は四角い鏡面になった。向こう側には、叔父さんがいるのがはっきりと見える。


『旭!』


声は聞こえないけど、口の動きが僕の名前を言っていた。

僕は鏡面に触れる。水面のように揺らいだ。指が少し潜る。もしかして、通り抜けられるんじゃ。

でも。僕はとっさに手を引っ込めて、後ろを向く。

女の人が迫っている。

このままじゃ、あの女の人も一緒に……?

考えているうち、僕は何かに足を掴まれて転ぶ。足元を見ると、あの女の人が僕の足を掴んでいる。顔を上げ、鏡面のあった場所を見ても、もう何もない。

僕は足をめちゃくちゃに動かして手から逃れると、立ち上がってまた走る。

また違う鏡があるかもしれない。

しばらく走ると、急に目の前にゆらゆらと揺らめく丸い光が見えた。それも鏡のようで、叔父さんが見える。

やっぱり声は聞こえないけど、何か発している口元が見えた。


『来い!旭!』


水面みたいな鏡面に、叔父さんの手が伸びて来る。

ちらりと振り向くと、女の人の手がすぐそこにあった。僕はもう何も考えず、真っ直ぐ手を伸ばす。鏡面へ手が入ったと同時に、掴まれた。僕は、浮遊感と反転する感覚に目眩を覚えながら、引き上げられる。

すると、僕と入れ替わるように、人影とすれ違った。


「え?」


誰?

その人影は、女の人を抱き締める。

耳をつんざくような絶叫が、女の人から聞こえた。

よく見ようとしたけど、更に強く引っ張られて、後は分からなくなった。


「うわ、」

「よっ、と」


急に重力を感じて落ちる。

上下が分からず力が抜けて倒れかけるのを、叔父さんに抱き留められた。


弥命みこと叔父さん……」


家の庭だった。夕暮れで、薄暗い。

ぽちゃん、という水音がして振り向くと、縁側に、いつか見た、半月の彫られている水盆があった。


「これ、」


言いかけた僕の頬を、弥命叔父さんが強めに引っ張る。


「一回目で出られただろ。女が一緒に出るとか考えて、躊躇ったな?旭」


バレてる。


「う。それは、あの、」

「その底力、俺じゃなくて自分に使えっての」

「いだっ!叔父さん、」


叔父さんにデコピンされた。

かなり強めに。痛い。

額を押さえていると、叔父さんはわざとらしく溜息をついて笑った。


「ったく。俺の信用は、いつ上がるかねぇ」

「そういうわけじゃ、」

「まぁいいや。今回は。あの半月が、片割れ見つけて喜んでるし」

「へ?」

「見てみろよ」


叔父さんが水盆に近付くのに、僕もついていく。

水盆には半月が彫られていたのだけど、今見ると。


「あれ?満月?」


綺麗な満月になっている。叔父さんが小さく笑った。


「あの女に一目惚れしたんだと。並の惚れようじゃなかったからな、永遠に手放さないだろうぜ」


それってつまり――


「あの女の人、この水盆の月になったんですか?」

「させられた、の方が近いだろうが。そうねぇ……もうモノノケっぽかったし、良かったんじゃねぇの。鏡の化けモンになるよりか。大人しくなりそうだし」


叔父さんは言いながら、水盆の水を庭に撒く。

散る水飛沫が、割れた鏡の欠片みたいだなと、ぼんやり思った。

弥命叔父さんは僕に向き直ると、ふ、と笑う。


「包帯巻いてやるよ。痣と手の跡、くっきり残ってるぜ」

「……ありがとうございます」


思わず首を押さえて、僕は少しだけ項垂れた。










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