第8話 春日小町は、灯の家を“調べたい”のよ。
《座敷童、ついに営業担当の自宅潜入(!?)回》
「……ただいま、です。」
声が小さい。
自覚はある。
そもそも言う相手はいない。
ただ、帰宅したときはできるだけ“そう言う”ようにしている。
なんとなく、空気がやわらぐ気がするから。
椎名灯の部屋は、静かだ。
きれいに片付いている。
でも「整っている」というよりは、「物がない」。
リモコン、テレビ、机、椅子。
必要最低限の生活の道具だけが、そこにある。
冷蔵庫は、冷えているけど中身はほぼ空。
コンビニで買った麦茶が1リットルと、ヨーグルトと、期限の切れかけた卵。
「あした処分しよ……」
そう呟いて、灯はシャツの袖をまくる。
ジャケットはハンガーにかけて、靴は玄関の端に寄せた。
そして、ソファのない床にぺたりと座り込み――
そのまま、ぽすんと鞄ごと後ろに倒れ込む。
(疲れた……)
ほんの5秒でもいいから、このまま動きたくなかった。
そう思った――その瞬間。
「おじゃまなのよっ♪」
「……え?」
灯が上体を起こすと、玄関に見覚えのあるシルエットが立っていた。
しかも、草履をきちんとそろえて、ぺたんと座っている。
「ぴゃーーーーーっっ!?!?!?」
久しぶりの、全力悲鳴が炸裂した。
「わらわ、今日から“ちょうさたい”なのよっ♪ 灯のおうちをすみずみまで見るのよ!」
「ちょっ……まっ……また勝手にぃぃぃ!!」
いつものふすまじゃない。
押し入れでもない。
今回は、玄関からちゃんと入ってきた。
ある意味、いちばん予想外だった。
「でもおうちに入るときは、ちゃんと“くつ”をぬぐのよ♪」
小町はニコニコしながら、すでにくつろぎモードで正座している。
そのあと――
「これは……“てれびの呪符”なのよっ!?」
リモコンを両手で持ち上げて、まじまじと見つめていた。
「それはっ、テレビのリモコンです!! 呪符じゃないからっっ!!」
「この“ちいさいせんたくばさみ”みたいなのを押すと、映るのよね!? 魔導具なのよ……!」
「ちがう、ちがうけど、なんかすごい正しい言い方に聞こえるのやめてっ……」
灯はぐったりと床に崩れ落ちた。
小町はそのまま、きょろきょろと部屋の中を見回しながら歩き回る。
「このおうち、ふしぎなのよ。灯の匂いはするのに、“灯のことば”が、あんまりないのよ」
「え……“ことば”?」
「うん。音とか気配とか、声とか、生活の“ことば”が少ないのよ。まるで、だれも住んでないみたいなのよ」
灯は、黙ってしまった。
小町はいつも、こんなふうに――ふしぎな言葉で、大事なことを言う。
(そうだよね、誰も来ないし、しゃべることもないし……)
「ほら、たとえば……」
小町は冷蔵庫の前にぴょん、と立つ。
そして、戸を開けた。
「……空気しか入ってないのよっ!?」
「っ! それはっ、いろいろと事情がっ……!」
「あと、“ふとん”もぺたんこなのよ……!」
「寝てるんですよ!? ちゃんと寝てるのにぃ!?」
「それと、洗面所のコップが、ひとつしかないのよ!」
「うっ……」
たしかに。
全部、その通りだった。
(わたし、本当に“ひとり暮らし”なんだな……)
それを、誰かに指摘されたのは初めてだった。
「でもね、わらわ、ここ、すこしずつ好きになってきたのよ♪」
小町はそう言って、クローゼットの前に立つ。
そして、開けた。
「……おおぅ」
「ひっ!? なにっ!? なにかいた!? いまなにっ!?」
「すごいのよっ、この中、意外と“押し入れ”っぽいのよ♪」
「いやいやいやいやいや!! ダメです!! そこは入らないでぇ!!」
「でも住めそうなのよ……」
「やめてぇぇぇぇ……」
小町はくすくす笑いながら、クローゼットの扉をそっと閉めた。
しばらくして。
灯は、二人分のお茶を淹れた。
ふたりでちゃぶ台のように床に置いた折りたたみ机を囲み、
小さな湯呑みであたたかいお茶をすする。
「灯、この“おちゃ”おいしいのよっ♪」
「……ありがとう。ティーバッグなのに……」
「ちゃんと“いれた”ことがえらいのよっ!」
灯は思わず、ふっと笑った。
たしかに、小町が来なければ、きっと今日もコンビニ弁当だけで終わっていた。
でも今日は。
小町が勝手にスイッチを入れて、湯を沸かして、棚から湯呑みを出して――
なぜかそのすべてが、“ふつうの生活”に見えた。
「このおうち、ちゃんと“暮らしてる”って感じがしたのよっ」
「……ほんと?」
「うん。さっきより、灯の“ことば”が増えてるのよ」
灯は、そっと自分の部屋を見回した。
さっきまで、“からっぽ”だったような空間。
いま、小町とふたり分の湯気が立っている。
そしてその中で、小町がぽつりと言った。
「ことばって、“だれか”と過ごすと、ふえるのよっ♪」
その日の夜。
灯はひとりで布団に入って、電気を消した。
(なんか……今日のこの部屋、ちょっとだけ……あたたかいかも)
ほんのすこしの違い。
でも、それがたしかに心に残っていた。
ふすまもない部屋の中。
隣のクローゼットから、小さな寝息のような気配が――聞こえた、気がした。
「……おやすみ、小町」
(つづく)
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