第6話 悪役令嬢の実家に行きました

 雨に打たれながらエルサレム家のお屋敷へとやってきた。

 いいや、お屋敷ではない。敷地の一歩手前。敷地を囲う高い塀の前にやってきた。遠くから見るとちっぽけに見えるが、目の前にやってくるとその壮大さに「おほー」という感嘆に近い声が出てくる。

 塀に剃って歩く。どこまで歩いても入口は見えてこない。

 もしかしたらぜんぶまやかしで入口なんか存在しないのでは? なんて思い始める。

 大粒の雨を全身に浴びながら、歩き続けるのはかなり酷だ。体力の消耗が激しい。

 今はいいが、これをずっと続けるとなれば私も体調を崩しかねない。と、縁起でもないことがぼんやりと頭の中に浮かんできてしまう。

 それほどに先が見えない。

 まあまだそうやって余計なことを考えている余裕はあるんだけど。


 角を曲がると塀から明かりが漏れている部分を見つける。

 その前には警衛だろうか。鎧を身にまとったいかにもな人が二人立っている。

 雨に打たれているのに全く気にする様子はない。


 「アルル、あの人たちってヤバい?」


 ダメ元で背負っているアルルに問う。

 元はここに住んでいたご令嬢だ。

 餅は餅屋に聞け、じゃないけれど。

 ここが実家なアルルに聞くのが一番早いのは明白だった。


 もっとも意識が朦朧としているので返事がないんだけど。

 こればっかりは仕方ない。


 躊躇している暇はないので、さっさと入口へ向かう。

 警衛と目が合うと早速警戒態勢を取られた。

 驚きはしない。当然だ。相手からすりゃそれが仕事なわけだし。


 戦う意思はない。それを示すために両手をあげようとするが、おんぶしているせいで両手が塞がっていることに気付く。


 「戦うつもりは全くない……です」


 と、口で説得を試みるが、そんなんで信用を勝ち取れるわけがない。

 私だって勝ち取れるなんて思ってなかった。

 くるっと、身体を反転させる。

 私がおんぶしているアルルを見せつけた。


 「なっ……」

 「アルルお嬢様かッ!?」


 警衛二人は露骨に動揺を見せた。

 さすが実家だ。

 紋所並みの効力があるらしい。


 「アルルお嬢様を殺したのか!?」


 話を聞いてもらえるかなと思ったら、とんでもない勘違いをされていた。


 「してないです! 殺してない。殺してないですからね? というかまだ死んでないです」


 まだ、死んでない。

 このままじゃいつ死ぬかわからないけど。


 「見ての通り、アルルで……様です」


 呼び捨てが私の中で既に定着していたので、するっと出てきそうになった。

 ここで呼び捨てにするのは色々問題がある。

 なので、咳払いで誤魔化しつつ敬称をしっかりつけた。


 「風邪を引いて、意識が朦朧としてます。中に通してください」


 改めてアルルを見せる。

 警衛は顔を見合せる。でも動くことはない。


 「アルベルト様から、アルルお嬢様を通すなと言われている」


 警衛の一人はそう言った。

 アルベルト・エルサレム。この国の財務大臣であり、アルルの実の父親である。

 言ってしまえばこの人達の雇い主でもある。


 雇い主の指示であれば従うのは自然だ。

 だがしかし、それはあくまでも合理的な指示である場合に限る。


 「アルル様を見殺しにしてまでその指示って従わなきゃいけないものなんですか?」


 この警衛の言っていることはすなわちそういうことであった。

 アルルの命と雇い主アルベルトの指示。それを天秤にかけた結果、後者の方が重要だと判断したというわけだ。

 その自覚はあったようで、私の言葉にぴくりと反応を示す。それから眉間に皺を寄せ、睨むようにこちらを見る。


 「もう一度問います。アルル様を見殺しにするか、否か。貴方が選んでください」


 効果覿面と見て、私はぐいぐい押すことにした。

 警衛はアルルを見つめる。

 雨足は強まる一方だった。


 「……わかった。通るといい」


 警衛の片方は項垂れながらそう答える。


 「おい。いいのか」

 「我々の使命はこの屋敷を守ることではない。エルサレム家の方々を守ることだ。そしてそれはアルルお嬢様も例外ではない。アルベルト様もアルルお嬢様の危機とあれば許してくださるはずだ」

 「屁理屈に近いな」

 「屁理屈だ」

 「えーっと、通っていいんですね?」

 「構わない。本館へ案内しよう。ちょうどアルベルト様はご帰宅されている。事情を話せば対応してくださるはずだ」


 ゴールを迎えた、みたいな空気感を醸し出しているが、これはゴールなんかじゃない。やっとスタート地点に立った。

 アルルの父。アルベルトの機嫌を損ねたりしてアルル共々追い出されれば、本当にアルルの命は危ない。


 塀の中に入る。

 広大な庭が広がっていた。

 まるで校庭のような広さがある。

 色とりどりな花が植えられていて、見ていて飽きない。

 中央に敷かれた石畳の上を歩き、本館へと向かう。大きな屋敷。それに見合うだけの大きな木製の扉。案内してくれた警衛は扉を開ける。


 ぎぎぎと音を立て、扉は開く。


 その音を聞いてか、奥からスーツを着たおじさんが出てきた。まさに紳士。しっかりとスーツを着こなす白髪のおじさん。


 「セバスチャン。アルルお嬢様が重体だ。俺はアルベルト様に声をかけてくる。そっちは任せた」


 警衛はそう言って私たちの前から姿を消した。セバスチャンと呼ばれた男は私の背中をじーっと見つめる。

 名前やら容姿やらからこの人は執事なんだろうなって推察できた。

 これで執事じゃないのなら……仰天する。どういうトラップだよってなる。


 「失礼いたしました。エルサレム家に仕えております、セバスチャンと申します。本来はしっかりと自己紹介をするべきなのですが、事は急ぐ必要がありそうなため省略いたします。単刀直入にお聞きいたしますが、これはどのようなことなのでしょう。アルルお嬢様は無事なのですか?」

 「見ての通り意識は朦朧としてます。息はしてますし、身体も時折動いているので、全く意識がないというわけではなさそうですが」

 「……それなら良かったです」


 セバスチャンは表情を綻ばせる。

 とりあえずこの家でアルルが疎まれていることはなさそう。


 「アルル様は風邪を引かれました。現在かなりの高熱を出されて、こうなっています」

 「なるほど、そういうことでしたか。であれば、アルルお嬢様のお部屋へご案内いたします」

 「あるんですか」

 「ございますよ。アルル様が追い出されたあの日からなにも触っておりません。もちろん清掃は適宜行っていますので衛生面は問題ありません」


 別に聞いてないことまで教えてくれた。


 「じゃあ案内してください。さっさとベッドで寝させてあげたいです」

 「承知いたしました」

 「薬とかは……」

 「案内が終わり次第、かかりつけ医を手配いたします」


 市販薬のような手軽な解熱剤なんかを常備している、というわけじゃないか。

 平民も貴族もそこは変わらず。


 こうして私はアルルの部屋へと案内されたのだった。




 「こちらがアルルお嬢様の部屋でございます」


 扉の向こうには大きなベッドがあった。机に椅子、本棚。あとはクローゼット。目を引くのはそんなところ。部屋の大きさの割に家具は少ない。正直質素な印象を抱いた。もっと色やら物で主張の激しい部屋を想像していた。


 「お召し物はこちらで用意いたしますので、アルルお嬢様をベッドに――」

 「服濡れてるけど、いいんですか?」

 「……失礼しました。タオルを用意しましたので、服を脱がせて拭いてあげてください」

 「私がしていいんですか?」

 「私がするよりは良いでしょう」

 「それは……そうですね」


 セバスチャンが着替えさせるのは色々問題がある気がする。


 だからタオルを受け取って、座らせているアルルの服を脱がせる。

 びっしょりと水分を含んだ服。かなり重たいし、肌にくっつている。

 剥ぐと濡れた白い肌が顔を出す。

 タオルで身体を拭く。

 肌と手が直接触れる度に彼女の熱に驚く。かなり高熱だ。

 

 この小さくて華奢な身体は、高熱に頑張って抗っている。

 肌に付着する水っけをタオルでまた拭う。

 それでも肌には水分が付着する。


 これは雨水ではない。


 汗だ。

 高熱にうなされ、抗い、絞り出てきた汗。

 アルルが頑張って戦っている証と言える。


 汗もしっかりと拭きあげて、着替えさせる。ファンシーなパジャマみたいな服装であった。というか、多分普段使いしていたパジャマだ。

 着替えさせてからベッドに寝かせる。

 一番楽な姿勢にさせてあげたい。


 横になるとアルルは少し表情をやわらげた。

 上体を起こしている、というのは思ったよりも体力を使う。


 「……ハル。どこへ行きますの。わたくしが――」


 アルルはうなされていた。

 きっと悪夢でも見ているのだろう。

 とりあえず手を繋ぐ。これでなにか解決するとは思っていないが、今の私にできることといえばこれくらいだった。


 静寂に包まれるアルルの部屋。

 色々と考える時間が生まれる。

 まさかこの世界に来て、悪役令嬢:アルル・エルサレムのお屋敷に、しかもアルルの部屋へやってくることになるとは想像していなかった。

 ゲームのシナリオ的には登場してこない。出てくるのはエルサレム家のお屋敷の外観だけ。だからすべてが初見である。セバスチャンとかいう執事も。


 「アルッ!」


 ドタバタドタバタと私の思考を遮る騒がしい音が響き渡った。

 扉を開けるのと同時に声が聞こえる。


 滑り込むようにして入ってきたのは金色の短髪に、スラッとした体型が特徴的な男性。アルベルト・エルサレム。この国の財務大臣にして、アルルの父親である。

 顔面蒼白。

 その四文字以外見当たらないほど憔悴していた。

 私のことなんて気にせずに、アルルの元へと向かう。

 アルルの顔を見て、今にも泣き出しそうな顔をする。


 「アル。今、医者を呼んだ。すぐに来るからな。もう少しだけ耐えてくれ」


 頬を触り、語りかける。


 「ああ、こんなことになるのならば、体裁など気にせずにアルを守りきってやるべきだった。アル。お父さんはダメなお父さんだ。お父さん失格だ。許してくれ」


 私は一歩引いて、溢れんばかりの熱量を出しているアルベルトを見ていた。

 ゲーム内で登場するアルベルトはもっとしっかりとした仕事のできる男性という雰囲気だった。だからギャップに戸惑いを隠せない。

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