第7話 悪役令嬢の父親と会話する
「……ごほん」
ふとした瞬間に、アルベルトと目が合った。
わざとらしく咳払いをした。
「君がアル……アルルの命の恩人だね。まずは礼を言わせて欲しい。娘を助けてくれてありがとう」
頭を深々と下げる。
公爵家の当主が。財務大臣が。
なんの権力を持っているわけでもない、ただの平民の娘に頭を下げた。しかも軽くじゃなくて深々と。
日本的感覚だとたったそれだけ、と思うのだが、この世界で一年暮らしていると、これがどれだけ異質なことかを理解することができるようになる。
異常事態だった。
「えっと、頭を。とりあえず頭をあげてください」
下げている頭を上げさせることから始める。この光景を第三者に見られでもしたら、私が悪者扱いされてしまう。
それは……困る。
この世界で生きていくともうとっくに高を括った。だから変な問題を起こしたくない。アルルを拾った時点で問題を起こしてるじゃねえかと言われればそれまでなのだが。まあただその中でもできる限り穏便な日々を送りたいと思っている。これはガチ、本音。
「褒美を与えなければならないな」
アルベルトはすんなりと頭を上げたと思えば、今度はそんなことを言い出す。
「褒美ですか」
正直、そんなのいらないなと思った。
ただの平民が貴族様から褒美を貰う。
それって色んな方向に対して角が立つ。
しかもアルルが関係しているとバレればより一層。
「いらないですね」
「なっ……いらないとはまた面白い答えだ」
「面白いって言われても……いらないものはいらないですし」
丁重にお断りする。
「ふむ、困るな」
口元に手を当てて呟く。
困るのはこっちなのだが……。
「信賞必罰がウチの方針だ。賞すべき者にはしっかり賞し、罰するべき者にはしっかり罰する。今回、君が行ったことは間違いなく賞に値するものだ」
要するにエルサレム家のルールみたいなもの。という認識で良いのだろう。
私に賞を与えなかったら体裁が崩れてしまう。だから与える。
「もしもそれでもなにもないって答えたとしたらどうしますか」
「褒美をなにか求めるまで、外に出すことはないだろうな」
「仮に一生言わなかったとしたら、私は監禁され続けると。そういうことですか」
「ああ、そういうことになるな」
冗談のつもりだったのだが、全く冗談ではなかった。
ちらりとアルベルトの顔を見る。
本気だった。
私は顔を顰める。
そして、どうしたものかと真剣に考える。まあ考えたところでどうしようもない。いくら私が拒否しようとしても、アルベルトが受け取らせようとするのなら最終的に落とし通されてしまう。力の違いだ。平民なんぞ、貴族様。それも公爵家に対抗する術がない。貴族様が目の前にある黒いものを白だと言えば、それは黒ではなくて白になる。
「さあ、どうする」
「……わかりました。それじゃあ一つだけお願いしたいことがあります」
「ふゆ、聞き入れよう」
「アルルを家に上げてください。もう一度、アルルと一緒に暮らしてください」
このような形であれば、波風は立たない。
ウィンウィンではない。ウィンウィンウィン。
私はこれで褒美を消費できるし、アルルは実家に帰ることができて、アルベルトはアルルを実家に引き戻す口実ができる。
誰もが幸せになる提案だと思った。
様子を伺うようにアルベルトを見る。口元に手を当てて思案する。真剣に考え込んでいた。
苦しそうな顔をしながら寝ているアルルの顔を見て、さらに真剣さは度合いを増す。
「……そんなんでいいのか?」
「これがいいんです」
アルルと暮らす気満々だった。
本心を見たら、これがいいわけがない。
でもこれが丸く収まる。というのがわかってしまう。嫌だけど、わかってしまうのだ。
「これがいいんです」
大事なことなので二回言った。
「そういうことであれば、そうしよう」
アルベルトはそう言った。口約束だけれど、交渉成立。
これで今度こそ悪役令嬢を拾ったちょっと変わった異世界ライフも終わり。のんびりまったりな異世界ライフが待っている。前回とは違って今回は円満な終わり方。
私の中に後悔なんか芽生えることはない。いい思い出として残り、時々思い出すのだろう。そんなこともあったな、と。
物思いにふけっていると、医者がやってきた。アルベルトはすぐさま立ち上がって、医者にアルルを案内する。
医者はすぐさまアルルを検診する。
「……風邪を拗らせてしまっただけですね。体温がかなり高いため命の危険こそありますが、普通の風邪の症状と比べて、という話です。ウイルス性感染症や、癌ではありませんので、そこは安心してくださって構いません。調合した薬をお渡しします。飲めばも半日ほどで熱が引くはずです。三日間は毎晩飲み続けてください」
薬剤師みたいに淡々と説明をしてくれる。
私が思っているよりも、この世界の医学は発展しているようだった。
魔法とかがある世界では医学が衰退しているのが世の常、なのだが。
「我が娘を救ってくれた恩人だ。なにか褒美を――」
「毎度申し上げておりますが、これは仕事です。好意ではなく、対価をいただいて行っているものです。褒美は対価として金銭をいただければ十分ですので」
そんなやり取りを私の隣で繰り広げている。
アルベルトという男は、本当にいつもこんな調子らしい。
私の知っている、財務大臣アルベルト・エルサレムとは全く異なっていて、やっぱり今になっても違和感は拭えない。
◆◇◆◇◆◇
セバスチャンから着替えを受け取った。
私の服もビショビショだったので、着替えてくださいとのことだった。
あまり好意に甘えすぎるのはよくないなと思って、さっさと帰ろうと思っていたのだが、夜は遅く、雨はまだ本降り。このタイミングで帰るのは中々に気力が必要だった。正直な話をしてしまえば、今帰るのはみょっと面倒だなあと思った。
なので、着替えたのだが。
貸し出されたのはアルルの私服だ。
平民が着るような質素なものではなくて、フリフリしたドレスみたいなものだった。
社交の場に出る時のような派手さと華やかさはない。けれど、着心地の悪さと大きな違和感がある。服が悪いわけじゃない。私の心が純日本人であり、平民精神が根付いているからだろう。
こんな格好、私がしていいのってなる。
「……動きにく」
肩の可動域は服で狭く、足はスカートのせいで重たい。
こういうのはやっぱり私の柄じゃない。
スウェットにシャツ。なんなら上下ジャージだって構わない。
私にはそれがお似合いだ。
オシャレよりも機能性を重視する。それが日本人かつ平民精神が染み付いた私の答えだった。
窓ガラスに反射する、ドレスを着た私を見ながらぼんやりとそんなことを思った。
◆◇◆◇◆◇
背中が痛い。
腰が痛い。
後頭部が痛い。
腿から踵にかけて、痺れが走り、ぴくっと筋肉を動かしただけで身体全身に稲妻が駆け巡るような痛みが走る。
「うっ……ぐっ……」
まるで通り魔に腹部でも刺されたかのような呻き声を上げ、目を開く。
私は、壁によりかかって寝落ちしていた。
身にまとっているのは今もなお着慣れていないドレス。圧迫感が拭えない。
どのくらい寝ていたのだろうか。
立ち上がって、窓を覗く。
もう雨は止んでいた。
星空が広がっている。遠くには黒くて厚い雲が見える。きっとさっきまで降っていた雨の元凶だろう。
くーっと背を伸ばす。
痛かった身体の節々がここぞとばかりに伸びる。姿勢が悪すぎる状態で寝ていたようだ。
「そういえば」
アルルは大丈夫だろうか。
すぐそばのベッドに視線を移す。
ちょうど寝返りをうった。
死んじゃった。みたいなことはなさそうなのでとりあえず一安心。
近寄って、アルルの顔を見つめる。
私が寝る前までは苦しそうな顔をしていたのに、今は穏やかだった。顔色も悪くない。血色良く、健康そのもの。ただぐっすり、気持ち良さそうに寝ている。そう見える。
額にかかっている前髪を上げて、ぴたりと手のひらをくっつける。
ここへ連れ込んで、寝かせた時と比べると体温はだいぶ穏やかになっていた。
あっつ、という感想は抱かない。
落ち着いてきたなと思う。
きっと薬が効いたのだろう。
「…………」
アルルは目を開けた。
顔を近付け、額に手を当てていたところで目を開けられた。当然この距離。誰かが後ろから頭をぐっと押したら口付けしてしまうような距離感である。
「ハル?」
この状況に戸惑うアルル。とりあえず私の名前を呼んでみたって感じだろうか。
瞳は困惑の色で染まっている。
「あれ、え? あれ? ちょっと待ってくださいな。わたくし……なんか今、すごく、混乱していますわ……」
私が距離をとったのと同時にアルルは上体を起こす。
それからきょろきょろと周りを見渡し、私を見て、自分の手を見る。
困ったように微苦笑を浮かべてから、頬をむにむにと触り始める。むぎゅっと指でつまみ、引っ張ったりもしている。
「痛い。痛いですわ。つまり、これは夢ではない……ということですわね?」
古典的な方法で夢と現実の判断している。
「なぜここにハルがいますの? そもそもなぜわたくしはわたくしの部屋におりますの? ハルと一緒に暮らそうって話をしていたところだったと記憶しているのですけれど」
体調が悪い中でも倒れる直前までしっかりと記憶があるようだ。こういう時って記憶を一部失いがちなので少しだけ嬉しい。
忘れなかったんだ……ってことが。
「もしかして……攫われたとか!?」
アルルは私の肩を掴む。心配するように私を見つめる。
私は首を横に振った。
「違うよ。私の意思でここに来たの」
「本当でして?」
「うん。だって嘘つく意味ないもん」
「それは……そうですわね」
「アルルは覚えてないの? なんでここに来たのか」
「覚えてませんわ」
朦朧としていた部分は記憶が欠落しているらしい。
起きてるのか否か、微妙な感じだったし仕方ないかあと思う。
「すごい熱があって――」
「アルッ!? 目覚めたのかい?」
事情を説明しようと思ったら、薬を持ってきたアルベルトが部屋に入ってきて、私の言葉を遮ってきた。
「お父様」
「アル……」
アルベルトはコップと薬を私に押付けて、アルルを抱きしめた。
まるで感動の再会。そのような絵が目の前で描かれる。
抱きしめられるアルルは酷く嫌そうな顔を浮かべていた。
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